『昼になった朝の散歩』(170822)

 つくつくほうしはあちこちで鳴いている。わたしを気にせず鳴いている。

「オーシツクツク、オーシツクツク、オーシツクツク」と繰り返しながらどんどん早くなっていく。もうこれ以上早くなれなくなると、「ツクツクシオーシ、ツクツクシオーシ、ツクツクシオーシ」と三回となえて終わる。

 散歩の帰り道。ちょっとのぞいてみたら、一匹飛んでいった。

 つくつくほうしは小さなせみだ。

 きょうは湿度がすごい。むしむしむしている。


あちこちでつくつくほうしが鳴く道は

湿気で白く霞むほどかな


posted by superbird at 18:30Comment(0)散歩

『やはり日進を通って帰る』(170821)

 きのうと同様、LAWSON100でパイナップルを買って食べた。いま風邪を引いていて、のどがかれていて、とても痛い。という状態なのだ。つばを飲み込むたびに痛い。寝ていたらすぐ治るけれど、夏の暑さなどで眠れないのが夏風邪の厄介だな。

 それにつけても人間社会のますますの不健康は相変わらずである。



日が沈み田んぼの中の涼しげな

秋の虫らの道を行くかな


posted by superbird at 23:15Comment(0)暮らし

『電柱に来て鳴くアブゼミ』(170821)

 昼ご飯を食べたらゆっくり部屋で休憩したいところだけれど、10分休憩したら急激に西向きの部屋は暑くなった。このまま寝ているとどんどん体力を消耗してしまうので、脱出である。

170821sora.jpg


 人間は春夏秋冬を健康に生き抜いていくということは、これはある種立派なサバイバルである。年取って動けなくなってきたら人間死ぬしかないのである。

 死ぬ前にするべきことはもっと優雅な部屋、家や土地持ちの暮らしになっていて、いまのように自転車であちこち遠出しなくても、目の前に果樹園があるような暮らしになっているわけだ。それが日本でできるかどうか。

 日進で山菜を採っていると、突然頭上でセミが鳴き始めた。ここらへんは木はないはずだがな。山菜採りが一段落してみると、横にあった電信柱にセミが来て鳴いているのだった。

170821nissinndenchuunosemi.jpg

posted by superbird at 18:45Comment(0)暮らし

『きょうも部屋の中は暑いのであった』(170820)

 昼下がり、外出前に買い物に行った。しょうがと卵である。卵が第一の目当てだったけれど、なんと茄子が7個で100円だった。即買った。山梨県産だった。実はさいきんここは茄子が安い。例外的である。
 卵は安いところを目指して出かけていったのだ。ここは145円で、このあたりでは安い。大学の近くは田舎なので、115円、安売りのときは95円なんていうのもある。生徒に言わせればそれでも高いそうだが。

 このあたりは物価が高いのだ。

170820sora.jpg


170820sora2.jpg



 日進へ来て橋を渡ると、天白川にサギみたいのがいた。名古屋の天白川にはいま鳥は見えないけれど、こっちにはいるのだ。

 
170820sagitenpakugawanissin.jpg



170820niinhirabarisora.jpg


 日進から平針へ出る。

 平針のLAWSON100でパイナップルを買った。日が傾いて幾分涼しくなったとはいえ、体は十分暑い。よってこれは、むしゃぶりついて食べるべきパイナップルである。

posted by superbird at 20:18Comment(0)暮らし

『きょうも日進を目指す』(170819)

 名古屋市の小さな公園で見た空。

170819sorakouen.jpg


 県の公園、牧野ヶ池緑地公園では自然の部分と人間の歩いたりトイレなど利用する場所、芝生や遊具置き場グラウンド(ほとんどが自然の緑をつぶして作った)などとが混在している。しかしいまでもなお草刈をしながら毎年自然の部分が減らされてしまうのは、いかがなものか。山林など自然の部分は手を加えないことになっているはずである。それでも自然の部分は確実になくなっていくのだ。また薬草の道などと称して自然を削って薬草を植えたところのほとんどが薬草など草刈のときになくなってしまって、ほとんどが失われ、いまはまばらに自然の残る荒地である(これはまばらに自然が残るという意味でまだまし。税金の無駄遣いのあとが見え隠れしているが)。

 こういうことは愛知県にも一度二度と電話で文句を言ったけれど改善されるものではない。愛知県は直接管理しているのではなく、いわゆる下請けに丸投げである。そして、わたしたちは長年見続けている公園も県のお役人はサラリーマンで昔のことなど知らないので、かつてどれほどここが自然豊かな場所だったかなんて知らないからである。

 きょう発見した無残、この山道みたいなところの草木も無残になくなっていた。きのう草刈をしていたようなので、そのとき刈ってしまったのだ。

170819makinogaikekusakarigo3.jpg


 とにかくやらなくてよいことをやる。これが税金でまかなわれているということを知らないのだ。税金は私たちが血と汗、涙の結果稼いだ給料などが原資である。貯蓄の利子、株の利益や配当にも20.315%という世界一高い税金をかけて、もっと豊かに暮らせていい庶民の暮らしを抑圧しての結果の税金である。

170819makinogaikekusakarigo2.jpg


 つい昨年までは草などが茂って、小さな木、時には竹の子も出て、虫やトカゲ、蝶々やクモ、無数の生き物たちの生きる空間を提供していたけれど、あっさりと今年の草刈でこれだけが禿山みたいになってしまった。たくさんの生き物が生息できる空間は、人間の健康にも計り知れない恩恵をもたらす化学物質を植物たちが放っているのである。

 牧野ヶ池緑地は自然が豊かだからこそみなさんここへやってくる。自然というのはお金をかけずに何もしなければどんどん増えるのだ。まさに神様のお恵み、慈悲の心の現われ。都会の中の貴重な自然である。それを巡回者、管理人(管理人が草刈業者に依頼しているそうだ)が無教養、あるいは無知、あるいは愚痴(仏教語)をいいことに奪ってしまうのだ。

 これは荒地である。

170819makinogaikekusakarigo.jpg


税金で自然を奪う人たちは

命を奪う闇の蒙昧



 昔のように残念だとか腹が立つとかあからさまに感情が芽生えることはないけれど、いまは黙って記録に残しておくわけだ。 


170819sora1.jpg


 日進の空。

170819nissinsora.jpg



鳥たちのいきいき暮らす田を横に

空をながめてしばしくつろぎ

posted by superbird at 18:53Comment(0)暮らし