『東京都の新規感染者は2日連続で200人を超え、過去最多の243人(TBS)』(200710)

 東京都が243人で過去最多を更新。2日連続で200人を超え、一日の新規感染者、全国では400人を超えてしまった。


 
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 あきれて物がいえない。東京都に限って言えばこれは誰の目にも見えていたことである。なにしろ4~50人で推移していたころ何もせず(というより、いわゆる規制緩和の道を進み)、二倍の100人レベルになったときにもそれを修正することはなく、(彼らの大きな理由は今の水準で推移しても医療機関の崩壊に至らないからということのようだけれど)、もっと大きな理由は深く落ち込んだ経済の復活への道であって、国民がもし感染して発症しても病院で治療すればよいだろう、国民の治療の苦しみ健康よりも、街の人の生活があるからという声を声高に世間に流し、治療して苦しんだ人たちの声は隠し、世論を誘導し、金儲けを素敵に掲げ優先していることは明らかである。

 それで新規感染者が200人台になっても平気の平左で高見の見物じゃないけれど、何も規制をしないので、
「無知な国民は浮かれてこれでいいのだ!」と遊びに仕事にお出かけする。

 そういう人がけっこういるので、こういうことになったのだろう。この先このままで243人ですむわけがないだろう。誰もが危機感を持っているのに。

 言いたくないけれど、誰かにそういう言い方をされても責任者は(実はこの国にはあいまいに責任者はいないようにできているのだけれど)仮の責任者が(上のような)批判に対して反論しても根拠が薄弱で、説得力がない。なくてもそれが説得力のある発言であるかのように国民を洗脳するので、事態はより一層深刻になってしまうのだ。

 政府(菅義偉官房長官)は、
「段階的に社会経済活動を再開させていく方針を維持する」とこの場に至っても言っているのだからね。

 年寄ほど重症化リスクが高くきついんじゃないかな。いつの時代もこうして弱者ほど国民は、いやな思い苦労を背負わされ、背中が曲がって上を向いて歩いていくことができなくなってしまうのだ。(今日の新聞で60代の重症化率が一番高かったのは体が急に衰えるのにまだ働いているからだろう。それ以上になるとリスクが高いことは明らかだから外に出ない。若者ほど重症化率は低かった)

 地上の世界にしばりつけられ、空は遠くなるばかりである。地上の世界をまじめに見つめながら、じっと耐えて生きていくのがこの国の民の定めである。年を取るほど背中が曲がった人が増える。悪いことをしなければきっと地蔵菩薩が見えてきて、お救いくださる。


空を見て自由の国の人となれ




『昼の散歩』(200707)

 九州の方では豪雨がすごいらしい。

 散歩に出かけるけれど、雨は中途半端でそれほどでもない。

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 タイサンボクが咲いている。

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 梅雨の間はタイサンボクの花は咲き続ける。


梅雨空に泰山木が咲いて居り



 起きてからのすぐのせいもあるけれど、それだけではない、体の重さ。


 休むことなく歩いていく坂道。このごろキノコが大きくなった。

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 またあった大きなキノコ。

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 休憩。

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 とりあえず人に邪魔されず、カラスは元気に鳴いているけれど、一人静かにすごせたといえる。二時間近くもいたので、幸せな時間だったといえる。人間は一つひどいことがあれば、どこかでその埋め合わせをするように幸せな時間があるようだ。

 どこかで功徳を積めばどこかでその果報がいやでも訪ねてくるようなことも同じだろうか。

 
 さいきんキクラゲは食べすぎたし、クサギはなくなったし、このごろはキク科のヨメナとか背高泡立ち草とかも食べているけれど‥‥。

 雨が多いので、キノコ類はすごくなっている。


山菜を探して帰る散歩かな




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 これはもちろん食べる気にはなれない。

 
posted by superbird at 16:01Comment(0)散歩

『抗菌作用というのは一言ではくくれない』(200705)

 純銀製の食器は昔から王侯貴族の持ち物で、いまでも健康に気を使う富裕層は純銀製の食器で食事を楽しむ。

 純銀製の鍋は抗菌作用を持ち、調理中に発酵作用を持つとさえいわれ、すなわち料理が穏やかになる、健康を守る鍋である。

 抗菌作用といえばちまたで溢れかえっているさっこんの化学的抗菌剤との比較は、すれば異次元の話でかみ合わないといえる。


 無知ほど恐ろしいものはない、誰が洗濯に使う抗菌剤を料理にふれさせることができるだろう?誰があのくさい抗菌剤の臭いの中で、おいしい料理を食べることができるだろうか?

 ファーストフードならできるって?


 明らかに生体に侵入して細胞を苦しめる化学物質の抗菌剤は、化学物質とはいえ、銀製品(Ag)がウイルスや細菌に作用して、生体内に入ることを目的としないで働く結果出てくる抗菌作用とは、天地の差があるといえる。


穏やかに純銀鍋の抗菌は

雲泥万里の化学物質




posted by superbird at 01:42Comment(0)科学

『きょうもいつものように一人静かに過ごす夜の幸せ』(200703)

 きょうは昼ころから徐々に雨が強くなってきて、夜も遅くなるにしたがって雨足が強くなった。

 晩ご飯の買い物を終えると、イオンで買ったプレミアムボス(78円)を飲みながら新聞を開いた。新聞は7月1日のもので、疫病と人間の関係をつづった話をまず読んだ。


最高のコクPREMIUMBOSSという

缶コーヒーを飲んで休憩



 しかしながら、ふと思い出す、今朝の新聞を家で読んだとき、驚いたのは、名古屋の名東区で殺人事件があったことだった。きょうもいつもながら買物に行くと人間が悪くなったなと感じながら、一人だけそうでない人もいて何もなく平和にすれ違ったけれど、(あれはふつうだな、以前はみんながあんな感じですれちがっていたんだ)などと思い、やはり人間のほとんどが(すれ違うたび出会うたび他者を傷つける)悪人になってしまっている、ときょうも傷ついた身体の自分を感じながら思った。

 がんの増加にしろ心不全(パンデミック状態《国内患者130万人で》といわれるほど)の増加にしろ、アレルギーの増加(30万~50万人)にしろ、そもそもは人間の心が悪に染まりきっているからであろう。

 宗教家は必ず「人類は滅びる」というけれど、それはこうした状況の下では信者を増やしたり、信者の信仰心を保つために無難な発言である。(「悪はいつか必ず滅びる」という思想は間違っているとはいえないから)

 名東区の大針一丁目で殺人事件が起きるのも、驚きだけれど、ふだんの買物で出会う人間たちを見ていれば、殺人事件もさもありなん、わからないこともないなという気もしないでもない。

 そのようにさいきん治安が悪くなったということは切実に感じていたけれど、(犯人がお巡りさんに相談していてもこうして)殺人事件がまるでふつうに起きてしまうようでは、「アメリカとどっちが安全なんだ?」と思うし、また、思い出すのは、ジム・ロジャーズ(Jim Rogers)さんが以前、
「もし私が10歳の日本人ならAK-47を購入するか、この国を去ることを選ぶだろう」(2017年12月週刊現代)と言っていたことである。

 どこに住もうかと考えながら、将来不安はぬぐえないといえる。


 雨足が強くなるなか、新聞に目を近づけ、東大寺の大仏様の写真を見る。

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 この毘盧遮那大仏様は、光明皇后さまが聖武天皇に進言し、また、夫の聖武天皇だけではなく、民の来世の安寧平和をも願うものであったという。

 死者の安寧平和があってこその現世もまた平和であることを思い、おそらく最終的には少なくとも結果的に、平和にこの国を治めるための賢明な大仏様の造成、供養、祈りの姿である。 

 手元の7月1日の日経新聞には、
「奈良時代の735年(天平7年)8月、九州の大宰府より疫病の報告が都に届いた。今で言う天然痘らしい。国は病人に食料や薬を与え、神仏に祈りを捧(ささ)げた。しかし、疫病は全国へと広がり、2年後には政治の中枢にいた藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)の命を奪った。

 時の天皇、聖武天皇は仏の加護によって疫病を退散させ、国を守ろうと願い、全国に国分寺と国分尼寺を建立した。そして、都に総国分寺として東大寺が建立され、銅造の盧舎那(るしゃな)大仏が造立された。」(奈良国立博物館学芸部長 内藤栄)とある。

 すなわちだとすれば、
「疫病退散とは、人の心の中の疫病退散であったともいえるのではないか?」(自説)と思ったりもしたのだ。


東大寺総国分寺毘盧遮那(大)仏

みかども民も疫病退散









注:AK-47というのは、一般にはカラシニコフ銃と呼ばれる旧ソ連製の自動小銃。

 またジム・ロジャーズ(Jim Rogers)さんは別のところで、
「日本の治安は悪くなる。自分の命は自分で守らなければならない、ゆえに私ならカラシニコフ銃を持つ」という意味のことをいっていたのだ。

posted by superbird at 02:24Comment(0)暮らし

『水曜日の仕事は無事終わった』(200701)

 仕事前の散歩

 きょうの空は雲が多い。

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 きょうは化学ばかりの一日だった。基礎的なことだけれど、計算は小学生レベルでも、大学レベルの奥行きのある知識をたくさん生徒たちに伝えた。おそらくたとえ遠隔授業でも、先生が熱心に一途に(チャットがメインだけれど)授業をすれば、それなりに伝わるものがあるはずだろうと。

 自己満足かもしれないけれど、仕事が終わって後悔のないときは、気分がまあ軽やかではある。

 いつものブランチは仕事前につくっておいて、バナナヨーグルトとクルミだけ食べておいたので、仕事の後は残りのカボチャスープ(みたいなもの)に自家製のパンだけである。

 ほとんど食べずに4時間半(休憩が間に二回あるので4時間50分)、さすがに今日も食欲がないのでやはり散歩に行く。

 タイサンボクは健在だ。

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 ゆっくり写真を撮って、それからその先の足もとに咲くレンゲも見て行く。

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 ピンク色を帯びたレンゲ草にも目をやる。

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仕事して夕焼け空に花があり



posted by superbird at 03:28Comment(0)散歩

『きょうは仕事が三つあったけれど救われた感じもある』(200629)

 仕事前の散歩。

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 近所のおばあさんに出会った。
「お出かけですか?」というと、
「ちょっとそこまでマッサージに行ってきます」という。
「そうですか」とわたし、「この前足を骨折されていたんで(心配してたんですが)、治ったんですね」
「ええ。これからマッサージ屋さんでリハビリです」という。
「そうですか」
「暑いですね」とあいさつされた。
「ええ。きょうは日が照ると暑くなるそうですね。31度の予想でしたよ」

 おばあさんは元気に歩いて行かれた。常に明るく生きておられる姿は大したものである。尊敬に値するのではなかろうか。数々の不幸があって、あの方は苦労が多いことはわかっている。それなのに、いやそれだからこそ明るく生きるすべを学んできたのであろう。

 でも骨折は怖いな、と骨折をしたお年寄りに出会うと思う。


 ブランチの山菜を探しながら行く。仕事なのでゆっくりは歩いていけないのだけれど、公園の中を見ると、若い人が平日なのにとても多いのが不思議である。さいきんは年寄はあまり歩いていない。いわゆるいい若い者が平日の昼前に仕事もせず、たくさん散歩している。その光景は新型コロナによる社会変化の表れといっていいのか?

 わたしは非常勤でしかももう引退してもいいような年だし、仕事が午後からでも(ありがたいことに)十分年の割に働いているといえる。どうしていい若い者が、この時間に働かず散歩などしていられるのか。テレワークでも遊んでいられる時間はそんなにないんであって、不思議である。

 これって国にとっても本人らにとってもけっこうしんどいんじゃなかろうか?


 順調に三つ仕事を終えた。

 仕事を終えて、やはり食事前の散歩が必要だった。食欲がない。

 歩いていてふと思ったのは、たとえ事務方(上の人)にとっては評価が悪くても、自分は生徒に対してできることはしっかりやっているのだ。思えばきょうもあれだけたくさんの生徒から授業が終わるたびに感謝されている。

 わたしの評価が悪いというより、政治闘争のようなことが大学内にあって、上の人(トップ)が変わったら扱いが一変したということの方が正しいのではないか? 客観的に見ると、そう思えるのだけれど(真実は知らない)‥。

 わたしだけでもないけれど、同期で採用された人、同じ高校から採用された人、言うべきではないだろうけれど、――まあ、これで一番うまくいっているので、結果的にわたしは感謝している。すべての人に感謝していれば(知らぬが仏的)間違いがないといえる。

「自分でおかした悪が自らを汚す。
 悪をおかさないならば、自らが清まる。」

 という原始仏典の言葉があるけれど、この「悪」がまるでいろいろに姿を変えて(現代人の)心を汚している。悪とは口にする食べ物もそうなりうるし、口にする言葉もそうなりうる、想念もそうなりうる。欲望の結果あるいは知識の結果、いろいろな姿になって心を汚してしまうのだ。


 何気ない足元の花を見て行く。

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 タイサンボクもまだ花が健在だ。

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 散歩帰りにはだれも見向きのしないような花をたくさんつけた雑木の花を見て行く。

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 アルボムッレ・スマナサーラという仏教徒の方が、
「人間はご飯のように口に入れて食べるものだけで生きているのではなく、心の栄養で生きている」というようなことをおっしゃっていたけれど、どうやらきょうは心の栄養で元気である。

 そうでなかったら通勤地獄がないので徐々にサプリをやめたこともあるかもしれない。(五木寛之さんも「ああいうのはなんか好きじゃない」とおっしゃっていた)

 食事もテレワークに合わせて変えてきたのと、体質改善を心掛けて半年以上かな、(大学の先生になってから特に時間がなくて食事がひどかったのを)、ようやく体の何かが変わってきた気もする。

 例えば、
「何年もファーストフードを食べていた人がベジタリアンになっても二か月や三か月で体質が変わるわけではない」という。

 ファーストフードなんてめったに食べなかったけれど、惣菜とか、売っているお弁当とかはどうしてもけっこう長く口にしていたので、食品添加物とかなにか、ジャンクフード的ではあるので、体をもとのように戻すには、長いことかかるのである。


花を見て心豊かになる日暮れ




posted by superbird at 02:35Comment(0)散歩

『いろんな人の文章を読むと人生後半には苦難がのしかかってくる気がする』(200628)

 散歩に行く。

 きょうはやはり夜じゅうそして朝までも下の人の洗濯の音で悩まされつつ寝床にいた。ストレスでかみしめたので、歯の調子も悪くなっている。

 まずは散歩に行って人のいないところで休憩する予定。

 もっと早く家を出た方がいいけれど、気力がない。

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 虫がいて、木くずを出してたたずんでいる。木は枯れ木である。

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 予定どおりひたすら休憩した。寝る。一時間弱くらいも休憩したろうか、うるさいカラスも気にせず、蚊には刺されないようにしながら、それでも元気な蚊には数か所刺されたけれど、休憩しないと死んでしまうのでお休みである。

 そのうちいつものような体操を始め、再びの休憩だった。きょうは小鳥たちが来ない。それでも回復はしたといえる。

 もうあっというまに四時過ぎである。急ぐと十二指腸が痛くなってしまうので、気楽にして、歩いて、いつものように人に会わないように帰る。

 きょうはずっと涼しい。

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 山菜は来る時にそこそこ収穫したので、ただ歩いて帰る。途中赤い木の実がたわわになっていたので熟したのをふつうに数個食べながら歩いていく。


 公園ではたくさんのハトが食事に夢中だった。一羽のハトが人を見て飛び立つ音で、すかさず、すべてのハトがいっせいに飛び立っていった。

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 電線でまるでよそよそしげなハトたち。


人を避け平和の鳩が電線で

よそよそしげに見えているかな






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posted by superbird at 01:50Comment(0)暮らし