『台風が近づいたせいかセミが急に元気になること』(190815)

 大型台風10号が四国の方から本州を縦断するとかいってニュースではさかんに報道している。新幹線も東京大阪で55本(約50%)の運行、山陽新幹線は運休?

 名古屋は強風域に入っているみたいである。窓からの風は強いけれど、台風直撃の時の風よりはまし。ふつうに散歩に出かける。

 時折ものすごい音がしたりする。休憩。なんだか台風の気のせいか気功も気が硬くなった。カラスの鳴き声が奇妙である。気にせず気功を続け、耳栓をはずしたら、セミ時雨がすごいことになっていた。世界は蝉時雨一色である。

 ちょっと待てよ、散歩に来た時はセミ時雨なんてなかったんじゃないか。

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台風や台風並の蝉時雨



posted by superbird at 14:06Comment(0)散歩

『法華経を読めばこの世は仏国土』(190814)

 法華経方便品を読めば、地上は過去も未来もまるで仏国土。

 仏教でよくいわれるのは末法の世という思想(末法思想)である。いまはもちろん「釈迦の死後1,500年(または2,000年)以降の時期」であり、いわゆる「末法の世」といわれる。「仏の教えのみが存在して悟りに入る人がいない時期のこと」である。

 ところがしかしながら法華経(方便品)を読めば、(未来において)完全なる悟りに到達した過去からの無数の如来はこの世間を憐れみ、教えを説き、この世の人たちは親しく正しい教えを聞き、なんと、すべてこの上なく完全な悟りに到達するというのである。


末法といえども無数の仏の世



posted by superbird at 14:00Comment(0)仏教

『きょうは台風が来るという』(190814)

 散歩に行く空。

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 散歩に行く。疲れている。きのうの夜散歩したとき、いつもより早めだったけれど、多くの団地の窓の明かりは早々と消灯し、ほとんど真っ暗だった。みんな疲れているのだ。

 気功しても疲れはいっぱいだ。木の新芽を食べて帰ってくる。

 散歩帰りの空。西の空はよく気象衛星で見る台風のもくもくの雲の絵のような台風の雲の端みたいだった。時折風がすごい。写真を写したかったけれど、建物とか電線がいっぱいなのであきらめた。

 北の空。

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 団地まで戻ってきて見ると小さなバッタが一匹。草葉の陰に潜んでいる。

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 今年はバッタが少ない。


草陰の飛蝗を見ればお盆かな



posted by superbird at 18:55Comment(0)散歩

『散歩して気功をして帰ってくる』(190813)

 きょうもまた暑かった。帰り道、百合が公園の生け垣の隙間から茎を伸ばして咲いていた。

 写真を撮っておこう。見ていると風が吹いて揺れてしまうのだ。

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気功して揺れる二輪の百合に会い



posted by superbird at 16:57Comment(0)散歩

『きょうの空』(190811)

 散歩帰りの空(東)。

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 外出しようとして諦めた空。ゆうちょ銀行のATMがきょうは5時でおしまいなのだ。

 母親への還暦(だったか?)のプレゼントを吟味しながらサギみたいなHPに嫌気がさしたりしながら、それでも汗をかきながら、蒸し風呂みたいな暑さに耐えつつ、一時間くらいもかかったろうか、クレジットの番号を入れて、ようやく着替えて外出して空を見て、
「だめだな」と、自分のショウガとかクルミの買い物へ行く予定が狂ってしまったのだ。

 よくこうなるけれど、うちは親子がまったくちがう人間で、親子の仲がむかしから悪いので、世間並みのことをしようとすると、ほとほといやになる。

 (よく母親は「(実家へは)帰ってこなくていい」というのでおそらく向こうも似たようなことを考えているのだろう。あえて逆の見方をすれば、わたしの体の負担を考えて「帰ってこなくていい」といっているという解釈もできるけれど、ほとほといやになるのだ。そういえばきょうは帰省のピークだそうだ。)

 親のことを考えると腹が立ってうまくいかないというのは、社会のことを考えると腹が立ってうまくいかないというのに似ているような気がする。


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 子供が親のことを考えていると自分の事がうまくいかなくなる、ということは一般論としてあるのではないかと思う。とくにさいきんのように時間に追われている社会では輪をかけて。

 何もしないで地域のことや親などのことを考えていて幸せに生きていけるというのは、社会の変化が緩慢であったころの話であって、むやみやたらと社会も自分の仕事のことも変化するこの時代は、あまりにも時間がないのだ。

 前からそういうことはいわれていたけれど、さいきんはそれがすごすぎる。社会が身勝手なせいでおそらくみんなが身勝手なことをして、それを受け入れるのが当たり前みたいになっているようにも見える。

 身近な暮らしにおいても、きょうもわたしの部屋の玄関ドアを同じ階の子連れの母親が通りがけに叩いて行ったのには腹が立った。

「人の玄関ドアを叩くなよ!いいかわかったな!」と外出してからしばらくなんども口ずさんでようやくおさまったけれど、すれ違いざまにわざと咳をしたり、そういう身勝手なことを平気でする人間が名古屋には極端に多く、さいきんは、
「またか」とか、
「そんなものさ」と諦め、まるで「これがふつう」と思えるほどなのだ。

 団地の雰囲気もこの何年かで急に悪くなった。社会が悪くなったのと関係あるだろうな。ところが若い人は過去を知らずこれがふつうなので、過去を知っていると年寄りの何とかと批判されるので、誰にもいわないのが平和である。


 さて社会と親のことに話を戻せば、親の強欲が子供の将来を不幸にするということもあるだろうし、社会の強欲でいえば、いま庶民の学習コストなどさまざまな、負担するコストは極端に増加している。それらは社会の発展GDPのなかにどのように組み込まれているのか。


 時間がないということは(税金などを除いても見えないところで)お金の負担も増加しているということである。

 インターネットをしていても、ブラウザのキャッシュ、ネットサーフィン中に組み込まれるウイルス様のプログラムは、閲覧履歴を勝手に収集しているけれど、その通信はわたしたちの負担である。負担もそして勝手に収集するためにネットが遅くなって時間を奪われるコストも負担させられている。

 世界でも屈指の低速といわれる日本のネット環境で、それはないだろうと。

 あちこちのレジの無人化でも、お客はその使い方を学習しなければならないし、それではたして便利になったかといえば答えはノーである。なぜならそれはお店の都合であって消費者目線の無人化ではないからである。

 タッチパネルは遅く、人間が応対したほうがずっと早い、お客はキカイの都合に合わせなければならず、商品のバーコードを読み取らせたり、さまざまなことに確認などをしながらお金を払ったりクレジット決済したりする。

 アマゾンのシアトルなどの無人店舗とはまったくちがう種類のものである。

 お客のコストを増やし店の利益を優先しているので、じっさいはものすごい値上げである。おそらく人件費の抑制というものをお客に転嫁しているのである。


 現役世代が仕事をしながら将来のことを考え、かつ幸せに生き抜くのは至難のことである。わたしたちはふつう幸せを追いかける時、社会のことを常に目にしながら考えるからである。

 仏教が出家するのは真の幸福を得るためである。大乗仏教が在家でもって妻帯も認め、幸福を得ることを目指すけれど、実際はどうだろうか。日本においても幸せといえば、キリスト教の天国を目指すのなら、まあうまくすればありうるだろう。

 現役世代が働きながら将来の幸せを求めるのは盲目、日銀の出口戦略がないのと同じ、先がないのだから、働く中で幸福を得るしかないだろう。政府日銀が目指すインフレと、増えることのない年金暮らしでは、仕事が終った年齢になったら人生はほとんど終わりという社会設計、時代になっている。




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