『帰宅の前に夜桜を楽しむ』(160331)

 買い物を終えて公園に寄っていく。

 一日をふり返れば、人間とは、という思い。

 この世のいやし花の安寧あんねい




夜桜を一人楽しむくらがりで

静かにすぎるときのやすらぎ





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『都会の畑の大根の歌』(160331)

 ホームセンターへ買い物に行く途中。

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豊かかな 不協和音が心地良い

都会の畑 大根の歌





注:よく言われるように、現代音楽の特徴の一つは「ハーモニーが不協和音」ということである。


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『朝の散歩』(160330)

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にぎやかに鳥のさえずり散歩道

遠くきこえるウグイスのうた


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『ふるさとの亡き父との思い出がよみがえる』(160328)

 帰省の初日は親父と鮨を食べるのが習慣というか楽しみだった。いまは一人ぼっち(注1)である。ひさしぶりに故郷へ戻ると何かと親父のことを思い出す。豊橋駅に着くと唐揚げ弁当(480円)と海鮮散し鮨(689円)を駅のカルミヤで買って外のテラスで食べた。帰りはやはり駅のカルミヤの鮮魚丸忠で「旬の握り鮨」(645円)を買って名鉄快速特急の中で食べた。

 そのどれをとっても何かしら親父の思い出がよみがえるのだ。

 もちろん遺品などを見ていても。そしてあちこちを歩いていても。ふるさとのすべてに親父との思い出が重なっているかのように。

 市役所の13階に昇って、わがふるさとを俯瞰していると、ふと毎年一回親父とここへ上がっていっしょにこの世界をながめたらな、などと。

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 どこか情けない、言うならば情(注2)の世界である。



帰省して親父のいない鮨を食べ

親父を忘れる大切さかな




ふるさとの親父のいない景色には

親父の愛がしみついている



 豊橋市役所東館13階(上の写真同様)からながめた景色。ふるさとの情景と言うよりむしろ光景。

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(注1)「いまは一人ぼっち」とあるけれど、母はまだ健在である。ただ食事が一人ぼっちということである。
(注2)心は情、知、意の順に働くという。


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『スキ家で朝食をとりながら思ったこと』(160328)

 朝スキ家へ定食を食べに行く。

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 食事をしながらふとメニューを見ると、片隅に、スキ家の拡大発展する様子が伺える資料が載っていた。なかなかすごいのである。国内1970店舗、牛丼チェーンとしては国内トップのようだ。さらに中国131、ブラジル11、タイ11、マレーシア3、台湾5店舗など世界に広がっている。企業はすごいとまず素直に思った。それに対し思ったのは、国のことである。

 国は上から目線。企業はお客さん目線に立って商売している。そのちがいである。

 国は上から目線に立っていわば強引に庶民から税金や保険料などを取り上げても、成り立つのにあぐらをかいて、いっぽう対照的なこと、企業はお客さん目線に立って日夜お客さんに喜ばれ必要とされる商売を模索する。そういう努力をしているから企業は発展する、国の現実はいわばその反対であるから、停滞あるいは縮小、あるいは借金まみれになるのであるなと思ったのだ。仮に企業が国のようなことをしていたら即座に倒産してしまうであろうと。

 スキ家のこの朝の定食だってわたしのような庶民の暮らしには必要だし、とてもありがたいサービスである。一方国はさまざまに大企業の役員や正社員、大資本家高額所得者といったごく一部の目線に立ち、いっぽうその他大勢の働く庶民を目くらまし(非正規の所得税や低所得者の株や配当の利益への高い所得税や低い基礎控除などのこと)させて冷遇し、経済や庶民の活動を縮小するようなことをしておきながら、無理に借金したりマイナス金利などで強引に経済の規模を拡大させるようとする。いわゆるGDP神話にとらわれているわけだけれど、それは一般の庶民には少なくとも「うれしい」とか「ありがたい」という政策ではないであろう。

 ゼンショー(スキ家の親会社)が発展するのと対照的な国の姿が垣間見えて苦笑いである。上の写真右下の牛小鉢、これも苦笑いである。なぜなら、実はメニューを見て納豆と思って喜んで注文し、いざ食べる段になって畑の肉(大豆)を醗酵させた納豆じゃなくて牛小鉢だと気づいたから。



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『朝の散歩』(160326)

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 サンシュユのは花期は長い。

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 桜の花期は短い。



山茱萸さんしゅゆの黄色い花のしあわせは

忘れるほどに続くなりけり



はなやかな桜の花のしあわせは

あっというまに終るなりけり




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『きょうは鰻重二枚盛を食べて満足』(160324)

 朝9時から授業、昼をはさんで会議、終わったのは15時半だけれど、その後もまた何だかんだとあったので、まあ帰りは卵をスーパーで買い、バスは急ぎ足でバス停まで行って、16時07分のを捕まえた。

 おまえはよくやっとる。

 バスを降りると地下鉄の駅できのう豆腐二丁を忘れたので、きのう電話で言ってきょう約束しておいたとおり受け取りに行った。
 駅長室に保管しておいてくれるというので。でも受け取りに行くと、駅長さん、
「本当は当日でないとこれは廃棄だから」と居丈高に言う、「ちゃんと気がついたら当日取りに来るように」
 これはしっかり説教されてしまった。仕方ない、忘れた自分が悪いのである。
 わたしは素直に、
「ありがとうございました」とひとこと礼を言って退散。

 地下鉄駅ホームで電車を待つ足元にはアオキスーパーの袋に入った豆腐が二丁。きのう忘れたことに気づいた時点で思案、もう取りに行かないでもよいかという選択もあったけれど。
 駅員いわく、
「あす取りにこないと廃棄」
 そう言われ、貴重な食べ物(豆腐二丁)またはそのお値段、90円とはいえ貴重なお金を捨てなくてよかったと考えたりしたものである。

 体のしんどさとの兼ね合いもあるわけだけれど、忘れてどこかへ遊びに行ったりしなければ当然ふつうにまたここ(同じ駅)に来るのだ。
 予定通りきょうは晩ご飯は外で食べような。あしたからまた春休みの日々が再開するのだ。少し羽を伸ばそう。

 今朝も、日の出前に起きて真っ暗な中散歩して、6時台の地下鉄に乗って、座ったものの名鉄はもう金山から満員電車、かくのごとく工夫して何とか少しでも楽に通勤しようなんて、授業よりというより、授業とは異なる、異次元の工夫や苦労をしながら通勤するという、いわゆる世間でいう通勤地獄の日々からはありがたいこと、これで当分開放されるのだ。



通勤に授業会議を終えた道

鰻重二枚盛うなじゅうにまいもりのしあわせ



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注:鰻重は吉野家で二枚盛1050円。予定通りの行動で、満足。吉野家のHPには「鰻は中国・広東省の専用池でシラスから育てた厳選されたもの」とある。
 鰻の出自はともかく旨かった。優待券があるうちはときどき食べようと思う。

 何だかんだと、これは苦行のあとの快楽か。




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『バラだけれど棘のないモッコウバラ』(160322)

 仕事帰りに寄ったホームセンタで、偶然見かけた花はモッコウバラだった。少し前、地下鉄駅近くの家の植木で見た、名前のわからなかった花。

 モッコウバラ。白と黄色がある。

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注:モッコウバラ(木香薔薇)980円だった。黄色のは花が終わりかけて、見ごろを過ぎていた。
 「丈夫で育て易く、花付きがとてもよい」という。

 将来自分の広い土地が手に入ったら、ぜひ植えておきたい。聞くところでは、白がわずかだけれど香りがあるという。植えるなら白い花のほうがいいかな。


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『学校に新たに植えられていた桜』(160322)

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 散歩で中庭を見やると、いつのまにか桜が植えられている。近寄って見ると開花がちょうど入学式辺りに重なるようである。さらによく見ると、紅白になるようで、縁起のよい花桜である。


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 大学も生き残りをかけて工夫しているのである。新入生を迎えるにはいい演出というべきであろう。

 新入生にはしかしいつまでも合格の夢に浮かれているのではなく、将来の夢を見据えて地に足のついた学校生活を送ってもらいたい、なんて。いや勉強しろとは言うけれど、そんなくだらないことは口には出さないであろう。

 浮かれた合格の夢も、地に足のついた将来の夢も、ともに首尾よくかなえたとしても所詮は浮世の夢である。夢の浮世なら、夢に浮かれれば浮かれるほど覚めたときのギャップはますます大きくなる。とも言えるであろう。


合格もまた堅実な将来の

夢も叶えてゆけ浮世かな




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『昼の散歩の何の変哲もない帰り道』(160321)


 散歩の帰り道にも咲き始めの桜。

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 世間で伝えられる桜の開花にもっとも近い。

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注:名古屋の開花予想は3月19日から26日(ウェザーニューズ )となっている。


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posted by superbird at 22:56Comment(0)散歩

『昼の散歩』(160321)

 散歩に出かける。これはPHS用の基地局用アンテナだろうか。ちょうど一羽のスズメがやってきた。ふだんはカラスがよくここにきて、スズメと同じ風情で人をながめている。

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アンテナにたえなるすずめ長閑のどかかな



 見ていると、こっそりだけれど。スズメは(カラスも)特に逃げる様子もなく、首をときおりかしげたりして、まあ、しなくてもいいけれど、人がいるのでかっこうだけは思案しているふうを見せているのであろう。

 彼らはまったく自由にやっているのだ。

 この種のアンテナは携帯やPHSの必需品。昆虫の触手のように繊細で敏感なもので、目には見えない電波に乗った情報の取り入れ口なのだ。

 アンテナのおかげで満員電車の中でも人間はスマホなどと格闘し、決死の形相で、その表情には余裕のかけらもない。ゲームなどに熱中する彼ら人間のとげとげしい「気」とは打って変わってここへ来る鳥たちの優雅で、悟りの境地そのものの時の過ごし方が際立つ。


アンテナに彼岸ひがんの鳥がやってきて 

此岸しがんそらは橋となりけり



 一輪かと思ったら二輪、かさなるように開花し始めた桜。

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 桜を見ているとやってきた一羽のヒヨドリ。

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ヒヨドリが花見に来れば太陽が

照らす桜の彼岸なりけり






注:「彼岸」はいわば悟りの世界。「此岸」(しがん)はいわば迷いの世界。


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『ダイエーの花売り場』(160319)

 右の端のひとつだけ、昔ながらの菊の香りを放っている。

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 なつかしききくの香りはひそやかに

もれかくれて薫るなりけり





注:右端の菊は、その種類の花が香りを放っているのである。上の写真をいま見ると、開花が十分でないので、少し疑問符がつく部分もあるけれど、「その種類の花」はおよそ一~二割のみで、それぞれの花束が出来上がっていた。
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『名古屋長久手線(東山通り)で咲く桜』(160319)

 本郷のキャンドゥでファイルを買って星ケ丘方面へ名古屋長久手線を行く。車はいつもながらに我が物顔で走っている。自転車はとかく被害者になる。自転車で行く自由は我が物顔のオオサマたちをかわして走ってゆく。被害者は被害者でないように走ってゆく。

 東山通りの途中いつもながらの緑地帯では、きょうも花が咲いている。清楚なたたずまいを見せ、六分咲きのじゅうがつざくら(上)。隣では、まさにいまが満開の、ソメイヨシノかと思えばそうではなくて、かわづざくら(下)。


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 桜にはたくさんの種類があるのだ。ソメイヨシノが開花予想の基準になっているけれど。


花のある行く先々にしあわせな

楽しみがある街の道かな



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 星ヶ丘では椿も満開だった。

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 西山本通りで道行く人に顔をのぞかす黄色い一輪の水仙の花。

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注:水仙はきのう撮った写真。
 なお水仙の名の由来は、西洋ではナルシストに関連するけれど、中国では、
「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙という」ことから、「水仙」なのである。


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『夜ベッドの横で脳裏に浮かぶ理想』(160317深夜)

 理想は高くなる、
 知識が増えれば増えるほど。

 理想は高くなる、
 自信がつけばつくほどに。

 理想は高くなる、
 年をとればとるほどに。

 理想は高くなっていく、
 どこまでも。そして幻
 雲散霧消に消えていく。



目の前で雲散霧消の理想かな



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