『散歩帰りの花たち』(160430)

 公園の路地の角。
 草にうずもれる中から花を咲かせて、空を見つめる。

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 人や車の行きかう道の、アスファルトの歩道とコンクリの壁の隙間。1mmほどの小さな花を咲かせて、人を見つめて空を見つめる。

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足下で平和な空へ行く花が

人の知らない道となりけり





posted by superbird at 22:08Comment(0)散歩

『きょうの空』(160429)

 きょうは強風がすごい。暑いくらいの気温だっただけに、寒いくらいである。


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 団地の壁に避難するかのようなカミキリムシ。さしずめ寄らば大樹の陰で過ごす。

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posted by superbird at 18:58Comment(0)自然

『一貫といえば本来3.75kgであるが』(160425)

 仕事が終って寿司を食べていく。バス停の近くまで来て、ちょっと寄っていく。時計を見ながら四皿。大葉真いか、鉄火、あなご、さんま。一皿に二貫、こじんまりとのっている。くら寿司の一個(一貫)はとても小さくなった気がする。
 一貫とは質量でいえば、およそ3.75キログラムである。寿司一個が一貫というのは少し違和感があるというか、四皿八貫はあっという間に食べられるのだ。
 一貫3.75キログラムはあまりにも大げさにしても、まあ四皿は寄り道みたいなものだからちょうどよいのである。


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軽々とバスを待つ間に寿司八貫





posted by superbird at 19:30Comment(0)通勤

『金山を歩く』(160424)

 金山から白金のネットカフェまで歩く。波寄町辺りの民家の小さな庭に咲く花。いくつもの種類の花が遠慮がちに咲いている。それぞれの花が控えめに咲いている。心優しい園芸家の気持ちを代弁するかのように。

 ぼくはそっと花に顔を近づける。

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ささやかに花を咲かせる庭付きの

都会の道のしあわせがあり



人知れず花を咲かせるやさしさに

命はぐくむよろこびがあり





posted by superbird at 18:45Comment(0)散歩

『都会では竹林も貴重である』(160424)

 現在この地上の世界で毎年失われている森林の総面積は、
「東京都面積の約23.8倍にあたる520万ヘクタール」(環境省 自然環境局)。
 人間は二酸化炭素を吸収する緑地を減らしながらいっぽうで、緑地が減って二酸化炭素が増えて温暖化が進むといって騒いでいるのである。そうしたおろかさの縮図のようなものが、ここ牧野ヶ池緑地公園でも見られる。

 たとえばきょうの中日新聞を読むと、竹ECO活動という法人が、牧野ヶ池緑地公園の竹を500本間伐したとして讃えられている。切った竹を持って行って肥料にしたり断熱材に加工したりするそうである。竹はほっておくと林が暗くなり、木々の生育に影響を及ぼすという。しかしここ何年か見ていると明らかに竹のあった場所の土地は貧しくなっている。都会の中の貴重な緑を間伐といって取り払ったりするなと言いたい。愛知県はこの場所で市民がタケノコ一つ採ることを禁止しておいて、莫大な量の親の竹を切り倒してよそへ持って行ってしまう活動を支援しているのである。

 どこか人のいない田舎の放置された荒れた竹林が膨張し家を壊すとか道路を壊すとかいう場合には、止むを得ず竹林を間引くなり、容認できる姿に再生修復させるならまだしも、風情のあった貴重な都会の竹林に手を加え破壊することがECOだなどとは聞いてあきれる。もしそれがECOならECOとは命を粗末にすることである。土の神さまはさぞや憤慨していることであろう。

 牧野ヶ池緑地公園はもともと自然に近い環境が少々残っていたから貴重なのである。だからむしろ人が手を加えるより逆に人の手を加えずに、自然の姿を取り戻すように少なくともしばらくは放任する方向に置くことを提言したい。自然は命をはぐくむ土台である。土台は広大で甚深であればあるほどよい。どうしても竹を切る切りたいというなら、公園を保守する観点から、せいぜい道路などにあふれ出てきた竹を、ささやかに切っておく程度にしてもらいたいものである。

 機械を持ち込んで今まであった竹林を破壊し妙なる風情をなくして、さらに聞くところでは、また竹林を削り取って新たな散策路を作ろうなどという計画があるという。それが環境保護、あるいは環境保全、環境学習、いや待ってくれ。それは無知なる偽善の表れである。それは言うまでもなく立派な環境破壊というのである。

 






注:もしここにわれわれの税金が少しでも使われているなら、税金を払うか払わないかは各人の判断に任せてもらいたい。
posted by superbird at 18:27Comment(0)自然

『ベランダのジャスミン』(160423)

 ベランダのジャスミンの花が咲き始めていた。

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 巷では人工香料の増産が伝えられている。都会では病的な人工香料が溢れつつある。ジャスミンの花の香りはそんななかでの一服の清涼剤。しばしすがすがしさを味わいながら、ごくごくささやかながらの園芸家気分。



天然の香りさわやかジャスミンの

花を見ながら水をかけてく





(注)巷にあふれる人工香料。蚊がいなくなるような人工香料が人の心身の健康にいいわけがないのである。
posted by superbird at 21:11Comment(0)園芸

『通勤地獄とは無縁の世界がひっそりと表れる』(160420)

 金山駅を降りていつもどおりカフェによっていく。途中アスファルトとコンクリートの境目に雑草が育って花が咲いている。

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 コーヒーを飲んで駅に戻る道すがら、歩いているとふいにさっと飛び立って横の線路に舞い降りたセキレイ。そこはJR中央線の下りの線路。たとえそこが次の電車が来るまでの短い時間であろうと、いまはまるで楽天地。通勤地獄とはまるで無縁。ぼくを見つめるセキレイのあたたかなまなざし。


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通勤の朝の線路にセキレイの

慈愛にみちたまなざしがあり




posted by superbird at 21:32Comment(0)通勤

『出会う花がみな夏の花の雰囲気になっている』(160417)

 きょうはあちこちで夏日になったようだ。暑いと思った。昼間洗濯をしていたらけだるさを感じた。外出して出会った花はみなきのうまでとは雰囲気がいっぺん。どの花も夏の日の装い。



どのはな衣替ころも が えかな夏の顔




注:18日のニュースでは、
「名古屋では27.2℃と夏日を観測し、今年1番の暑さとなりました」(メーテレ更新時間:2016年4月17日 17:57)と。
posted by superbird at 22:00Comment(0)自然

『都市高沿いに咲く花』(160416)

 都市高沿いに残された都会の畑。子供の背丈ほども盛り上がった、目の高さほどの高さの畑がある。幾種類かの果樹が植えられている。
 昨年の秋には柿の実がたわわに実って、歓喜の鳥の囀りばかりになっていた。きょうはあまりにも車の騒音が激しくていっこうに鳥たちの囀りをきくことはなかった。

 天国の鳥は静けさの中にやってくるのである。

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posted by superbird at 01:46Comment(0)

『マイナス金利政策で庶民の不平不満は?(これは小説です)』(20140414)

 『マイナス金利政策で庶民の不平不満は?』(20140414)

 謙二君が恐れるものには、順番があって、
「地震、雷、火事、親父」で世間と同じであるといっていい。
 わたしがどうして親父が怖いのかと聞くと、謙二君は、
「うちの親父は怒ると雷を落とすからだ」と言う。
 そうかそれはやっぱり世間と同じだな。
 世間でも正しくは、
「親父」は「親父の怒り」のことを言うのだ。
 つまり、
「地震、雷、火事、親父の怒り」なのだ。
 ともかくわたしも地震は怖いが、では雷火事親父と来て次になにが怖いかというと、やはり人間ではないかと思う。
「人間は長年まじめに修行すれば体から火を出すから、まあ火事にならないまでも火事の恐怖の原因くらいにはなるだろうし、また修行が不十分な修行者は怒り狂って、または方便などといってあえて人を仏の道に向かわせようと考えて迷惑なことに稲光くらいの電光を走らせる」
 謙二君は言う。
「じゃあ親父よりふつうの人間のほうが怖くないですか?」
「場合によってはそうだね」とわたし。
「場合によってというのは、どういう場合ですか?」
「いや。場合によっては人間は地震よりも怖いんだと思っているんだ」
「えっ」と謙二君は驚いて言った。「それって意外です。ことわざとは順序が逆です。どういう意味ですか?」
「人間の不平不満が無限にたまると地震くらいは平気で起こすからだよ」
 不審げにながめる謙二君にわたしは続けて言った。
「この世界の出来事と人間の心は密接に関連しあっていて、無数にのぼる人間の不平不満がヒマラヤのように高く蓄積してくると地震くらい起きるんだよ」
「無数にのぼる人間の不平不満がヒマラヤのように高く蓄積ですか」と謙二君は少し安心して言った。「まあ何ごともさすがにヒマラヤのように高くは蓄積しませんからね、めったに人間の不平不満なんかで地震は起きませんよ」
「そりゃあそうだ」
 謙二君はまた不安顔になって言った。
「でもたまには起きるんですか?」
「そりゃあそうだよ」とわたし、「大きな地震というものはめったに来ない。忘れたころにやってくるのだ。だから怖いのだ」
「そうか、じゃあ人間は楽観的に生きるといいんですか?」
「そうだ。それはいいね!」
「でもうちの父さんさいきん機嫌悪いですよ」
「そう、というのは?」
「さいきんの日銀のマイナス金利とか、おかしくないですか。だってあれ銀行が日銀にお金を預けているんですけど、お金を預けている銀行が日銀に何億円って逆にマイナス金利分だけ利子払っているみたいですよ?」
「う~ん。それはある意味ルール違反みたいなものだからね」
「父さん機嫌悪いといやなんですよ、家の中が、母さんも機嫌悪くなるし」
「今までのルールと逆の事を始めたわけだ。日銀という権力者が」
「雷が落ちるんですよ」
 あれは金融の世界だけれど。物質でいえば、物質の世界に反物質を持ってきたようなものか。
 謙二君は言った。
「まあでも銀行だけですから、不平不満は猿投山くらいしか高くなりませんから、地震はだいじょうぶですね」
「どうかな」とわたし。「たしかに庶民の利子にはマイナス金利は適用しないとか日銀は言っているけれど」
「そうです」
「でも、きょう日経新聞を読んでいたら、政府が発行する国債はマイナス金利の影響で、すでに借金をする国が利子を受け取っている状況って書いてあったからね」
「えっ。そうなんですか!?」
 新発10年国債利回りはマイナス圏で推移し、お金を借りている国がお金を受け取る状況になっている(2014年4月14日日経新聞)
 謙二君はスマホに手を出して調べだした。
「ほんとうだ。いまマイナス0.086%くらいですか…」
「そうだから、借金すればするほど国は儲かるわけだよ。今という低金利の時代0.086%はけっこう大きいよ」
「へ~っ。こんなに、年利0.086%もらえるんですか。1億円借金したら、8万6千円かあ。国の借金だから1億や2億じゃないよ。10兆とか20兆とかじゃないですか。いくらになるんだ?」
「兆なんて天文学的な数字でね。10が12個だよ」
「10の12乗ですから、0.086%ということは、10000000円、つまり、1千万円、え~っ!」
「10兆円借金したら?」
「……わかりません」
「8.6×10の8乗だから」
「もうわからなくなりました」
「8億6千万円」とわたし。「お金を払うのはいやだけれど、もらうのはうれしい借金漬けの国というもので、ふだん日々働きアリのようにはたらいてお金を稼いでごっそり税金を取られながら豆腐一丁がいくらかとか心配しながら家計をやりくりする庶民が、長年明日の老後のためにと貯金できるかできないかで質素に暮らしてほそぼそ貯金を蓄え年金を積み立ててきた世間に対して、顔見世できるこれは政府日銀のマイナス金利政策ではないだろう」
「まったくです」と謙二君はさびしげに言った。「国民の貯金が少しずつ国や日銀に行くんですよね」
「まあたしかに本来銀行が債券の売り買いで稼いだお金が庶民のお金貯金の利子として返ってきていいものが、日銀に取られているわけだからね、たしかに、年金の一部もそうだと思うよ。年金だって債券に投資しているからね。ただしわたしはそれ(マイナス金利)が正しいのか間違っているのかは分からないけれど」
「どうしてですか?」と謙二君は言った。「これじゃあぜったい庶民の不平不満が?」
「世間には顔見世できないマイナス金利政策っだってことはいえる」(正否よりも政府日銀の言うことよりも)
「なるほど」と謙二君は言った。「じゃあ、不平不満はヒマラヤにはならないんですか?」
「まあそれは君の判断に任せるよ」
「お小遣いがどうとか、またきょうも雷が落ちるかも」
「君、お小遣い減らされた?」
「減らされたのは父さんですけど。困るんですよ。マイナス金利っていうのは。家の中に雷が落ちるから」
 たとえて物質の世界なら、先ほど述べたように、いままでのわれわれの世界に反物質を持ってきたっていうことだよ。政府日銀は。物質と反物質が出合って消滅し、あとに莫大なエネルギーを残す。
 これはたとえ話でSFみたいなもので、気にするな君は未来は明るい、真に受けず日々の暮らし日々の学習にまい進するように。
 修行をしてのちに禅を究めたがゆえに高僧は、こういうものはすべて妄想として片付ける。すなわち心の平安を保つのである。すなわち草木国土悉皆成仏の祈りなのである。




記:この日(20140414)夜9時26分ごろ熊本で最大震度7、マグニチュード6.5の巨大地震があって、そのニュースを見ていて書く気になった。
posted by superbird at 01:50Comment(0)小説

『この春休み人並みに苦労している本作り』(160409)

 詩集『鳥が囀る道の旅人』の表紙。絵は著者自身の絵からデジタル処理して完成。中身は以前出した詩集『鳥たちの平和な国を行く空は』のおもに前半部分を推敲手直しした改訂版ともいえる作品。

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 じゃあね。


posted by superbird at 22:32Comment(0)趣味

「西山本通りから小道に入った民家の庭先の花」(160409)

 きょうは土曜日で道路などみんないきりたっている。この渋滞では仕方あるまい。できるだけ人は人、自分は自分などと区別して行くに限る。心の安らぎがなくなる。

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 西山本通りへ出る小道の民家の、猫の額ほどの庭に育つ庭木は、小さいながら閑静な住宅地そのままに、静かにそそと花を咲かせて、ささくれだった怒りに満ちた外の通りとは別世界の顔を見せて純にけなげである。
posted by superbird at 20:26Comment(0)暮らし