『きょうの空』(160531午前)

 授業は2限目から。名鉄を降りていつもどおり歩いていく。心惹かれるきょうの空。学校を目前にしてしばし見上げる。

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posted by superbird at 22:29Comment(0)通勤

『よる夜中寝る前速攻で上着のほつれを直す』(160530)

 衣食住とは言うけれど、人間着るものがなくてはならない。でもとりわけ仕事では着るものに神経を使う。裏地でもほつれていると困るのである。
 着るものも古くなったせいか、修理を要することが増えた気がする。



寝る前に気づく上着のほつれかな








posted by superbird at 23:56Comment(0)仕事

『相変わらず通勤は楽じゃない』(160530)

 授業が終わってとにかくわき目を振らずに学校を出て、帰路に着く。ぴったしにバス停に着くペースだったので歩きは余裕だったけれど、スーパーで饅頭を買い、時計をもう一度確認して歩いていくと、バスが目の前をひゅーっと走っていく。
「あのバスはどこ行きだ?」
 大通りに出て確認すると乗るべきバスではないか。一目散に走っていく。いつも遅れてくるだけに、バスというのはたとえ一分でも早く来ると、あり得ない非日常的驚嘆の世界である。走っていく。なんとしても乗るぞと気合を入れる。

 礼を言ってバスに乗り込み、時計を見ると一分早いので、バスは悠々と停止したまま一分後発車。次の次のバス停もまた早く着いてしまいしばらく停止している。こういうこともある。バスというものである。バスの中で買ったばかりの饅頭を食べるつもりだったけれど、息が切れたし、水だけ飲んで落ち着くのを待つ。


仕事後のバスに地下鉄吹雪まん

食べて落ち着く乗換えの駅


posted by superbird at 22:55Comment(0)通勤

『彦根城へ行く』(160528)

 彦根城へ行く。またまたすごい上り階段である。ふと後ろを振り返る。

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 物凄い急な階段を上がって、天守閣、最上階からの眺め。

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 お堀の水鳥。普通じゃない。

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 彦根城鑑賞券は玄宮園とセットになっている。

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 玄宮園は見るに値する庭園であった。思うところ無数。

 彦根城のほうでは今時分なんかキャラクターを使ったイベントをやっているころなので、ここ玄宮園は人がまばら。それを狙って皆さんを後にして、自分ひとり、早く降りてくることにした。おかげで白い魂のような水鳥にお堀で出会うこともできた。

 ゆっくりできる。

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彦根城玄宮園げんきゅうえんで昼寝かな



posted by superbird at 20:00Comment(0)

『多賀大社へ行く(2)』(160527)

 きょう一日が終わってホテルでひとり夜のしあわせを噛みしめる。感謝。


しあわせの伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみ阿弥陀様あみださま

出会いみしむ夜のひと時




posted by superbird at 19:06Comment(0)

『多賀大社の帰り道の延命地蔵尊』(160527)

 ここは地獄めぐりといって、最後に多賀大社で救ってもらおうという参道のようである。鉄道の駅のほうから歩けばよいのだけれど、今回のわたしのように彦根からバスで来て電車で帰ろうとすると、逆向きになってしまうのだ。つまり一番畏れ多き多賀大社への参拝をすませた後で、地獄を巡っていくことになる。そんなことは知らずにわたしは適当に参道を逆向きに帰っていく。

 多賀大社参拝後、印象に残っていることを二三記せば、まずは真如寺。そして真如寺に続いて延命地蔵尊に寄った。門前でばあさんたちが三人くらい、しゃがんで四方山(よもやま)話に興じていた。

 わたしは時計を気にしつつ、小さな境内、猫の額ほどの広さに足を踏み入れ、小さな祠のような中をのぞくと、意外にきれいな祭壇が見え、当然とはいえ多賀大社とは違って、庶民的な趣ではある。おばあさんたち三人くらいの四方山(よもやま)話は延々と続いているけれど、わたしは16時27分までに駅へ着くという目的時間があって急ぐので、それらは別世界の話で耳に入らない。

 中央に本尊の地蔵菩薩、左に閻魔大王、右に地獄の苦を救う千手千眼観音菩薩。

 あまり祈るのは好きじゃないのだけれど、万が一先祖の皆様方の中に地獄の苦があってはいけないので、先祖供養のつもりで祈っておいた。祈って再び参道を駅に向かった。晴れやかで、自分が救われたような気もした。とりあえずベクトルとしては間違っていないのだ。


延命寺地蔵菩薩に閻魔様

千手千眼観音菩薩




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posted by superbird at 10:22Comment(0)

『多賀大社へ行く』(160527)

 セブンイレブンで水(2L)とチーズカステラ一個買って彦根駅から2時52分、3番からバスに乗った。気づけばまだ昼ごはんも食べていない。

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 順路は、彦根駅→国道多賀大社→多賀大社→真如寺→延命地蔵尊→多賀大社前駅→南彦根駅。

 いろいろ驚いたけれど、多賀大社へ行ったはいいけれど、国道多賀大社でバスを降りて、さて帰りのバスを確認しておこうと、道路を渡って逆向きのバス停で時間を見ると、
「何ともう一本もない!」ということだった。目を疑った。
 あわてて帰りの鉄道はあるのかと持っていた時刻表を取り出し調べると、
「まだあった」一安心。胸をなでおろし、歩けばすぐそこにもうあった、多賀大社へ。

 もうひとつは、いよいよ帰り道、16時27分の電車を目指して参道を歩いて、多賀大社前駅について、ライオンマークの見覚えのある西武鉄道のバスが止まっているので、バス停の時刻を見ると、南彦根行きがあり、しかも時間が16時20分で、もうすぐ出るということであった。
「鉄道とどちらが安い?」という天秤もあったけれど、バスに乗っていくことにした。

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 結局料金は驚きの210円だった。そのはず南彦根駅のほうが彦根駅から乗るよりも早くて近いのだ。15分くらいで南彦根駅東口まで着いた。もうホテルは目の前である。多賀大社だけなら南彦根からのほうが便利だったのだ。ガイドブックには書いてない事実である。

 それはともかく今日は幸福な一日であった。行きのバスの中でのカステラと水も生き返った気分だったし、天照大神を生み出したイザナギとイザナミを祀った多賀大社をお参りできたし。多賀大社からの帰りは、ホテルまでまるで貸し切りバス状態で直帰といってもいいくらいだったのだから。

 ちなみにおみくじは十二番末吉だった。

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 おみくじの歌。

春くれば降りつむ雪もとけぬべし

しばし時まて山のうぐいす



 畏れ多くも返歌。


虹色の山のうぐいす春を待ち

仏の肩で無言なりけり




posted by superbird at 00:02Comment(0)

『佐和山城跡ハイキングコース』(160527)

 南彦根からバスで彦根まで行って、310円、観光案内所で佐和山城址と多賀大社への道順を聞いて、佐和山へ行く。(多賀大社はあとになった。)

 駅前にあってよく目に付く井伊直政の銅像。

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 これは神を目指す姿。あるいは神の姿である。

 市内を歩いて市役所前を右折、メインコースともとれる清涼寺を過ぎ隣の龍譚寺から上がっていこうとしたら、拝観料400円が目に付いたので、もうひとつのコースを行く。

 経堂がある。立派である。

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 きっとむかしの図書館のようなもので、必要に応じてここから借りてきて勉強したのであろう。

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 一人初老の男性が、そこを出たとこにいて辺りを眺めていた。わたしは先を行く。大洞弁財天。長寿院ともいう。

 阿弥陀堂がある。

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 阿弥陀堂縁起。

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 隣に弁財天堂。日本三大弁財天の一つという。参拝者はわたしの他に一人か二人、少ないけれど寂れたふうではない。その一人は中へ入ってなかなか出てこない。熱心である。

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 一度中へ入って外からお寺を参拝して、一息。長寿院の境内から見える彦根城。

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 別世界の趣を称えて鎮座する。

 時間を無駄にできないのでともかく先を行く。こうして書いていて気づくのだけれど、自分はゆっくりのんきに旅を楽しむという姿勢が欠けているようでもあるけれど、この先に続く難コースともいうべき山道を予見しているのかもしれない。

 さてもちろんこのコースは普通の道ではなくどこが先に続く道なのかわからないようなコースであり、なんとなくおそるおそるのぞくように見て裏手に進んでいくと、続きの道がこっそりとあるのであった。

 そこから急な斜面を登っていく。山道である。時折狭いけものみちのようでもある。京都の比叡山の不動寺や西の高雄山の神護寺を思い出すけど、あそこの石段のある山道と違って、本当の山道である。

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 そうとうしんどい。

 あとは大して言うこともない竹や木々の茂ったさすがに空気のよい、どこかかぐわしいようなそんな道を上がったり下ったりする。

 時折心臓の働き具合に年を感じる。そして本丸跡について、あたりを眺める。山頂には女性が二人いた。静かな人たちであった。観光客はいないに等しいといえる。人間には興味がないので、景色ばかり見ている。彦根の町が見える。目が慣れてくると、木々の間から琵琶湖が見え、蓬莱の島がぽつんと浮かんでいる。ああいうのを蓬莱の島というのであろう。

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琵琶湖には蓬莱の島がよく似合い



 改めて見ると、向こうに見える山々は幽玄な趣をたたえている。

 千貫井まで足を伸ばすとさらに彦根の町が見えるけれど、たったすぐそこなのにたいへんな道である。そこから水が湧き出すという貴重な場所だけれど、昔の人の城の暮らしのしんどさがしのばれる。トイレがまったくない。結局山には水がないからである。しばらく景色を眺める。太鼓丸と思われる建物が小さく、うっそうと茂った木々の中に見える。しゃがんで休憩。目と鼻の先に見える彦根の町は、近くて遠い、わたくしはまた戻るように山の中の来た道を行くしかないのである。

 再び山頂に戻ってきて、幽玄な世界にひたる。


佐和山の武士の夢かな霞み立つ

琵琶湖に浮かぶ蓬莱の島


 さて下山。

水を飲み竹林の道清涼寺


 ここは清涼寺の境内だというので、今度は龍譚寺を通るコースを行くことにした。すると案の定というか、拝観料を払わなくても帰れてしまった。

 彦根駅までまた歩いた。ようやく駅に着いたけれど、駅にもトイレはなかった。コンビにはあるだろうと、セブン-イレブンに入ったけれどなかった。とにかく駅にも見当たらないので、おしまいである。

 来た時入った観光案内所で再び多賀大社のことを訪ね、要領を得ない、素人の先生が授業をやるようなしゃべりであった。来たときの女性は何もかも少なくとも彦根からのことは知っているという感じですらすらしゃべったけれど、これは時間の無駄なので、次なる質問トイレのことを聞くと、あそこの白い建物がそうだという。二三度聞き返して、旧交番の後ろの建物だという。ほう。礼を述べて、行く。


 






注:蓬莱の島は宝厳寺のある竹生島かと思ったけど、調べたら多景島であった。日蓮宗見塔寺があり、「南無妙法蓮華経」の文字が彫られた高さ10mの岩があるという。
注:清涼寺は曹洞宗、龍譚寺は臨済宗の寺だったけれど、前者のほうが立派な寺で、後者のほうが金儲けに熱心な寺であった。

注:滋賀県の資料佐和山城の歴史
posted by superbird at 19:00Comment(0)

『人はいきなり天に広がる星となる』(160526)

 一のものをいきなり十や二十にできると考えないほうがよい。

 一のものを二や三にすることを地道に積み重ねていれば、土に埋もれた石が知らず知らず星となって天の三千世界に広がっている、そんなことはあるかもしれない。
posted by superbird at 00:23Comment(0)仕事

『帰り道はそれほど急がなくてもの気分になる』(160525)

 帰り道のスーパーで酒饅頭が安売りだったので一個買っていく。


酒饅頭さかまんじゅう乗換のりかえきで手にすれば

知らず知らずの夢のひととき



 朝出かけるときの通勤ときたら、たしかに戦争である。だいたい先頭集団のサラリーマンについていく。タイミングがよければ先頭を切っていく。それが一番楽というものだから。通勤地獄というのは人ごみの中にはまったときに感じるもので、たとえラッシュアワーの真っ只中でも、車内環境については言わないのが無難だけれど、電車を出れば先頭を切っていく人たちは精神的に楽なものである。それだけの体力は要求されるけれど。体力のないものは後ろの迷惑になるのであくまで体力が許せば。先頭なら走ってホームを移動する。その結果学校についても仕事の体力は十分確保できる。

 おそらく先頭集団を行くサラリーマンたちは日本経済を背負っているような人たちだ。いつだってかれらにはどうぞどうぞという気分になる。そんな彼らの老後は裕福であってほしいし、そうであるべきであろう。

 でも帰り道、仕事が終ったあと、もう駅で出会うサラリーマンは、朝の輝きはなく、疲れて気も抜けて歩いていく。むしろ大学生なんかが元気よく帰っていく。わたしもただ心は笑顔だけれど、帰り道になると一転、そんな若者たちとは一線を画し、かかわらないように、避けるように端のほうを歩いて帰る。
 とにかく仕事が終ったら人間とはかかわらないのである。通路の端を歩くし、エスカレーターも乗らず、歩いて階段を上がっていく。エスカレーターというのは混んでいるし、案外元気な人が乗るものなのである。



仕事終え地下鉄降りて寛ぎの

一人歩きは夢の道かな


posted by superbird at 21:01Comment(0)通勤

『仕事帰りに寄っていく』(160523)

 仕事の谷間のようにきょうは静けさがあった。こんな時代を反映して自分の未来を破壊する生徒もいれば、もちろんこんな時代だからこそ、自分の未来のために黙々と学習する生徒もいる。きょうはさしずめ後者の生徒ばかりが目につく一日だった。



吉野家で鰻重二枚盛さりげなく

一人静かに舌鼓かな





注:予定通り優待券使ったので、倹約した晩ご飯。
posted by superbird at 22:02Comment(0)仕事

『花などを見ながら出かけていく』(160522)

 名古屋銀行の生垣の小さな花。昨年も咲いたのを見た。

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 平和公園入り口辺りのアジサイの花。

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 ちょっと変わったアジサイ、これも昨年も咲いていたのでなつかしい。

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 約束を守るように、花を咲かせる身近な植物たち。これらは特別は手入れがなされているわけではない。むしろ半ばほったらかしの中から自然に咲く花といった風情をかもし出している。



何気なく約束守るように咲く

身近な花に親しみがわき




 家に帰ればベランダでも。

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 5月20日辺りから咲き始めたバラの花。昨年買ってきたミニバラの一種。

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posted by superbird at 23:52Comment(0)

『植田川で黄な粉大福を食べて』(160521)

 LAWSON100で黄な粉大福を買った。植田川で黄な粉大福を一個食べた。黄な粉大福もいいものである。ふと見ると川辺に珍しく桑の実がなっていた。一つまた一つ、二個食べた。
 あちこちの桑の木が切られてしまったけれど、ここはまだ残っていたのだ。

 しばし夕日をながめて休憩。

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植田川田舎の風情に誘われて

しばし川辺ですごすなりけり



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posted by superbird at 22:57Comment(0)散歩

『興正寺には以前はなかった釈迦牟尼仏の像が』(160521)

 疲れているときや、しんどいときは人間神社仏閣などへ足が向くものである。仕事や家の用事などがすむと、八事の興正寺でも行くことにする。

 以前はなかった釈迦牟尼仏の像が、驚きの大きさで目に入る。6.1mということである。

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興正寺釈迦牟尼仏と対面し



 本堂は阿弥陀如来であった。


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 先祖の皆様方の幸福を祈る。

 100円でゴマ木を買って身心健全と書く。いくつかのパターンがあって実は無病息災にしようと思ったけれど、書き方の例として目の前にあったゴマ木には開運招福とあって、書き損ねたので、適当に似たのを選んで身心健全とした。

 恒例ではないけれど、おみくじを買う。100円である。安いと感動する。見るのは総本尊の大日如来を拝んでからにする。

 境内を巡る。

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 女人禁制は表向きだけのようである。このようにまぎらわしい言葉の使い方が日本は多い。言葉には言霊が宿るということを知らないからであろう。
 あとで調べたら明治時代までは女人禁制であったらしいが、もしそれならその旨の記述をここにするべきだと思う。
 こうしたことを目にすれば良寛なら嫌がるだろうし、空海ならびしっとすぐさま正せとおっしゃるだろう。そうしたことが人心の、そしてそうしたことの積み重ねが国の平穏安泰にもつながるからである。

 八事山の一番高いところにあるという大日堂総本尊の大日如来を拝んで再び下山。大日堂のカレンダーによると、きょうは弘法大師の縁日だったらしい。もう五時過ぎなので人はまばらだけれど、縁日で人がいないのは私にとってはまあよいことである。

 大日堂↓。

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 もうよいだろうと、おみくじを取り出し、中を見る。末吉だった。
「これでいいのだ」

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夕立の雨は見るみる晴れゆきて

木末涼しくせみの鳴くなり



 悪いことはいつまでも続くわけがないのである。いいことも悪いこともそればかりが続くはずはない。
「禍福は糾える縄の如し」というではないか。

 墓地の中みたいな参道を引き返す。

 帰りには仏像横にあるベンチで休憩。とてもよい雰囲気である。いろいろごたごたがあることは知っているけれど、影響されないように、空の気と仏陀の気に染まって休む。



興正寺釈迦牟尼仏の横に寝る




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posted by superbird at 20:51Comment(0)散歩

『大須観音のおみくじは29番末吉だった』(160520)

 朝、仕事のときのふつうの時刻に起きて、修行、昼に通販の全粒粉の小麦粉を受け取って、朝ごはん、そして外出。床屋にも行って髪を切って、地下鉄に乗り素敵にすいているのでしばしくつろぐ。途中車内でふとまだパソコンのメモリーがないことに気づいて、地下鉄上前津駅で降りてドスパラで2Gの古いの(中古ではない、メモリー内のチップの集積密度の低いやつ)を運よく見つけて購入1750円だった。前回来たときは品切れだった。
 それから始めの予定では熱田神宮かなと思っていたけれど、歩くうちにあごが出てきた。大須観音に変更。

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 100円で線香を立て、参拝。そしておみくじ200円、末吉。安心そして満足。
「苦しみ悩みもいつか消え近いうちに楽しいことが起こります」

 「言」は、

 一利を興すは、一害を除くに若かず。
 一事を生ずるは一事を滅するに若かず。

(↑なぜか下の一文には読点がない)

 裏面(?)にある天のみこえという歌。

歳月は射る矢のごとしものはみな

すみやかにこそなすべかりけれ



 上前津の植え込みに咲く花。

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 古本屋もあって楽しい街である。


 

注:若かずは「百聞は一見に若かず」の若(し)かずである。
注:「一利を興すは、一害を除くに若かず」は、
 利益になることを一つおこすよりも、不利益を一つ除く方がよい。

 「一事を生ずるは一事を滅するに若かず」は、
 利益になることを新たに始めるより、今抱えている一つの問題を解決する方がよい。

 のようである。

 しかし「一事を生ずるは一事を滅するに若かず」は、禅的にはそのままに、
「一つのことを生み出すことは、一つのことを消してゆくには及ばない」となろうかと思う。

注:また明治天皇御製に次のようなのがあった。

年月は射る矢のごとくすぎにけり

わがおもふことはかどらぬまに

口語訳:年月は射る矢のように速く過ぎ去ってしまったことだ。自分の計画したことが、まだ思うようにはかどらない間に。

 さて、


人はみな一つの夢に暮らすなり

人は人自分は自分の夢もあり



人は人自分は自分の夢に生き

大きな夢をゆく旅の空


posted by superbird at 17:57Comment(0)暮らし