『通勤地獄はやはり人を地獄の気分にさせるものである』(171031)

 通勤を終えて家の近くまでやってきて、ネットカフェに寄って、一息入れて、さて公園できょうを振り返ってみれば、なにが問題なのか。

 急に授業に来なくなってしまった学生が2、3人。これはあす事務方に一言言っておこう。

 ありがたいことではないか、きょうも無事に仕事を終えて帰ってきた。感謝かな。それとあと、道をふさぐ連中(歩道を行く人間に気づかない車や無礼な人間など)に一度ならず何度も出くわして気分が悪くなったことかな。

 人間が幸福よりも不幸を望んでいることは、通勤地獄でよく分かる。



観音や苦界の海の一分子

観れば両手を差し伸べ抱き



 通勤地獄という悲惨な人たちの一分子になってみなと同じになって苦悩し、そして解放されて、自分が幸福感を感じることができれば、さして気にすることでもないのだ。


世の中はなんだかんだととりあえず

うまくいっているようである


posted by superbird at 23:07Comment(0)仏教

『学校がブラック企業の代表といえば非常勤は昔から変わらないな』(171031)

 明日は電磁気がある。授業後、明日の問題の解答用紙を作る。学校がブラック企業の代表といわれるようになったのは最近だけれど、非常勤の自分に関していえばはなからサービス残業は当たり前で、昔から変わらない。

 専任の先生たちを見ていればそれはたしかに、仕事量が増えた。高校教師(私立)時代に見ている限り、わたしの父や祖父の時代からすると雲泥の差というべき、サービス残業は非常勤以上に当たり前だ。


 ブラック企業という言葉が一般化してくる理由は、世界の中央銀行が金融緩和を延々と続けてきたからだ。金融緩和は政府日銀官僚や経済学者らの多くがGDP神話にとらわれているからだ。GDP神話は自然破壊によって支えられて、無数の生き物たちの命の犠牲の上に成り立っている。

 お金の量と指数相関的に無数の生き物たちの命を奪う。マイナス金利などという次元にまで来た中央銀行の金融緩和は命を奪った無数の生き物たちの苦しみや恐怖に相対するカルマを積み上げている。その人間社会の行為は延々とカルマを積み上げ、世界を覆い、人々を苦しめる。天災も人の心。罪深い政府日銀官僚や経済学者らは累々と積み上がった死に目を向け、真摯に供養をしただろうか。善良なる市民は自分の命に目を向ければ心静かになって平和がおとずれるだろう。

 人間は命よりもお金儲けにまい進した結果の一つの表れがブラック企業という言葉の誕生だ。虫や鳥の命だけでなく、人間という労働者たちがよりたくさんの命をささげなければ成立しない社会を登場させることになったのだ。



仕事終え明日の授業の準備かな


posted by superbird at 17:56Comment(0)仕事

『これがふつうかもしれない』(171030)

 来週は中間試験的な試験だ。きょうの授業の終了まぢか10分余り前、
「質問のある人は質問してもらって。質問のない人は帰ってもいいです」と言うと、
 全員が帰り支度を始めた。

 五時間目だからこんなものだろうか。

 一人だけ残っていた生徒は、質問というより自分の理解についての心情について話しかけてきたけれど、その後は自分のバイトの話で、トラックの運転で全国あちこちを行く(半ば自慢)話であった。腰が痛くなるという話もあった。福井のほうが好きだという話もあった。それはそれで聞く価値のある話ではあった。

 授業時間内にふつうにきょうは平穏に終わったというべきだな。感謝である。

posted by superbird at 12:48Comment(0)仕事

『きょうの空』(171030)

 台風一過の空。

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 出勤前、朝の散歩で一休みした。
 
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 風が強いので通勤は帽子をかぶらずに行った。強風で疲れる通勤だった。


posted by superbird at 22:00Comment(0)自然

『夜の散歩』(171028)

 また週末は台風がやってきそうで、きょうは雨だった。夜の散歩も雨なので、じゅうぶんではない。雨に濡れてしまうとやはり、昼間じゅうぶん濡れたこともあってよくない。雨に体が濡れることがよくないのだろう。


週末は三度続けて台風が

近づく夜の散歩なりけり


posted by superbird at 13:30Comment(0)散歩

『人間社会は大空から遠くなるばかり』(171027)

 きょうはやはり週末の仕事明けということで忙しかった。スギヤマに豆乳を買いにいってついでに前回カードを忘れてポイントがつけれなかったレシートも持っていってめったに使うものではないけれど、ポイントをつけてもらった。

 いったん家に帰って再び買い物に出かけて、大根、しょうが、えのき、かぼちゃ、それにりんごも買った。週末は仕事期間中の晩の食べ物を自炊するための食材確保があるのだ。

 車、今まであった農地みたいなところがつぶされていく工事、人々の顔つきや態度、こうして休日に仕事から開放されて世間を見ると、やはり世の中は変わったな、と思う。

 家に買い物の荷物を置いて再び外出。

 ひまわりが咲いている。

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 なんか今朝は起きたときから邪気を受けてて、背中がおかしいので、それを大空とともに消すことができて一安心。

 日進へ向かった。世の中はこの大空とは別世界である。

 自転車から見るセイタカアワダチソウがきれい。

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 日進へ来ていったん立ち止まる。


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大空にくるまるように雑草の

黄色い花は地に足をつけ



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posted by superbird at 19:03Comment(0)暮らし

『一見平和な通勤にまとわりつくように病んだ社会が見え隠れする』(171026)

 出勤の空。御嶽山も少し見える。

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 きょうも気になる赤い実。

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 きのうは、夜だかに部屋の中に柔軟剤だかの香料が入ってきたらしく、名鉄電車に乗って、
「やれやれ」と座ってほっとすると自分のスラックスから近所のそれがにおっていたので気分が悪くなった。

 きょうもまただった。きのうの夜家に帰るときにはもうにおっていなかったものが、きょう名鉄に乗ってにおいをかぐときのうより強いにおいが、またズボンからにおった。

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posted by superbird at 17:20Comment(0)通勤

『理科の先生の思い出から(仮題これはエッセイです)』(171023~4)


 やはり人生でまず影響を受けるのは両親、次は学校の先生ではなかろうか。もしかしたら両親よりも学校の先生のほうが子供に与える影響は大きいかもしれない。しかしおもちゃ代わりにスマホを与え、スマホ中毒的な若者やその親がいることからすれば、社会の影響といったほうがより正確だろうか。

 さいきん仕事柄目立つ生徒といえば機械みたいな生徒である。問題を解く作業を機械のように進めていく。機械みたいというのはこころに遊びがないといったらいいだろうか。たとえば落下運動の時間が落下距離と重力加速度gにのみ依存して、「物体の質量には左右されない」という結果を得たとする。しかしそのことに何の感動もなく、ただ動きを止めた機械のように、そんな感じを受けるのだ。答えを得て結果を楽しむこともなければ、答えを得る過程を楽しむこともない。すなわち自分の今取り組んでいる問を自然科学の境地から見ていないのだ。
 解き方だけひたすら身につけるわけだ。受験戦争の時代ならまだしも大学生でこういう生徒が目立ち始めることは不気味ですらある。
「ハトの羽も10キロの鉄アレーも距離が同じなら同時に落ちることに驚かない?」
「ええ。当たり前だと思っています」

 理科の先生ということで、わたしの経験で印象に残っている先生はと聞かれれば何人かいるけれど、中学高校でいえば中高各一人、中でも中学校のその理科の先生は忘れられないものがあった。
 その先生は授業に来て挨拶をすませると、前置きなどなくにこやかに黒板に重要な語句を二三個大きく板書し、
「きょうは教科書の何ページから何ページまで読んでこれを理解しろ」と言ってもう何も喋らなかった。
 あとはにこやかに教室内を歩き回っているだけである。毎時間がその繰り返し。立派である。
 生徒が集中力が途切れて話し始めたりすると、
「ちゃんと教科書を読んで理解しろ」とか、
「もう教科書は読んだのか?」などと時には注意した。
 一回の授業で一二回あるかないかのそれが説教といえば説教である。わたしはこの先生が好きだった。教科書というのは全国の優秀なそして経験豊かな先生方が、知恵を絞り、いかに分かりやすく理科という教科の中身を習得させるか、自然科学のエッセンスを生徒に伝えるかを考え考えて、しかも年を重ねて改版を重ね出来上がってきた、いわば日本の理科教育の集大成のような本である。いま思えばけっきょく下手に現場の経験未熟な先生がいらんことを喋らんほうがいいのである。
 この先生はそれを分かっていたのかもしれない。それはともかく、陰ではほかの先生方から職員室などで、
「なんであんな偉い先生がこんなところで先生やってるんだ」などとうわさされていた。
 実はこの先生は京大の理学部出身で世間では、
「京大出て何で田舎の中学の先生なの?」みたいな感じだったのだろう。
 当時のわたしにはそれは知りえない大人の論理である。当時のわたしになってわたしなりに考えてみれば、
「何が偉いのか?」それは、
「何も喋らないから偉いのだ」である。
 そして今気づくことはこの先生は、自分が黒板に書いた重要な語句の意味をきっと誰よりも深く明快に理解していた。だからわたしはこの先生が好きになったのだと思う。

 一方次に高校時代の印象的な先生は、理科(化学)でかつ教頭先生で、世間では偉い先生だった。しかしこの先生は、授業中やたら次々と駄洒落で生徒を笑わせ、試験前には試験に出る問題を教えてくれてしまうという、これまたにこやかな先生で、特に受験校だった時習館高等学校では珍しくレベルの低い先生だった。それでも大方の生徒にはこれが受けて人気があった。しかしわたしは何一つ面白いとは思えず、時には憮然としていた。

 自然科学はセンスである。センスは以心伝心である。教科書の法則や練習問題などはおそらく過去のもので見方が変われば一変するだろう。教頭先生の化学はただ暗記して問題を解くだけで過去の遺物のように感じられた。

 教科書の法則や練習問題などに命を吹き込み未来につなぐのは先生のセンスである。教科書の法則や練習問題などは理科教育の道具といえるだろう。田舎中学の何も喋らない先生は教室内を歩いているだけであった。しかしわたしはそんな先生を時に気にしながらも教科書を読み、勝手に自分なりに理科の内容を深く明快に理解したような気がして、静まり返った当時の古びた木造の教室で満足感を得ることができた。

 学校の先生はおそらく誰しも完璧ではない。しかしわたしの経験からいっても、今述べたセンスのようなものはある。たとえば目の前の生徒に、ある法則などの解釈や練習問題の解き方の手順などで質問したとき、わたしが深く明快にそれを理解していれば、以心伝心的にそれは伝わって、生徒は正しい答えを導くことができる。こうした経験はベテランの先生方には大なり小なりあるものである。先生が間違っていれば生徒も分からなくなってしまう。逆に生徒が間違った知識にとらわれていると生徒はたくさんいるのでしばしば先生も分からなくなってしまう。そういうこともある。そういう時は、先生は一度無になって、一から法則などの解釈や練習問題の解き方の手順などを構築しなおす。すると不思議と生徒はみんなあらかた理解できてしまう。以心伝心である。

 師というのは以心伝心的に自然科学のさまざまな道具を使ってとらわれのない境地を伝えることのできる存在である。法則などの解釈や練習問題の解き方などは仏教でいう方便にすぎない。新しい発見や発明はどこからくるだろう。とらわれのない自由な境地を習得させることこそ理科教育の大切な点である。人間である教師は未熟ながらそういう存在に向かって自己研鑽するべきだと思う。自然は自由である。こういうことを口にすると身勝手な非社会的な人間ができてしまうのではと危惧する声も聞かれるけれど、古の仏教の師は自由な境地(禅では本分の田地ともいう)に入れば、戒律(守るべき道徳のようなもの)はおのずと具現すると断言している(注)
 すなわち散歩しながら瞑想することも立派な教育者としてのお勤めである。



注:夢窓禅師はこのようにおっしゃっておられる。
posted by superbird at 17:48Comment(0)学校

『学校に到着』(171024)

 出勤の空。台風一過の翌日の空は案外曇る。

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 名鉄を降りて卵とか買い物をして歩いていくと、ハトがのんきに食事している。

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 きょうはきのうとは打って変わってのどかである。空は曇っていたけれど台風一過のきのうより平和である。

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posted by superbird at 12:53Comment(0)通勤

『午後から平常授業というのは高校では少ないという印象だったが』(171023)

 きょうは台風21号の影響をもろに受けた。授業は午後から平常でその点わたしは影響ないわけだけれど、地下鉄に乗ったら愕然、まるで通勤ラッシュと変わらぬ様相だった。

 それでも地下鉄のルートを変えて途中から優雅に座っていったけれど、金山からは名鉄が混乱していた。わたしが乗っていい普通電車が15分遅れだった。

 まあそれはわたしは余裕で通勤しているのでよかったわけだけれど、ホームから見て実際乗ってがっかり、地下鉄よりひどい、高校生も大学生もみんな午後から授業が平常なのだ。車内は電車が遅れたこともあるのか、朝と比べて正午前後は電車の本数も少ない、完璧に通勤地獄の様相だった。


人混みとダイヤの乱れ吹き荒ぶ

台風一過の通勤地獄



 もう少し遅れて行ってもよかったかな。

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 学校前でまるで赤い実が、花が満開に咲くようにあでやかに結実している。
posted by superbird at 14:36Comment(0)通勤

『台風一過の暴風の中』(171023)

 空は台風一過の晴れといえる。

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 自転車で行くときの風はふつうじゃない。暴風警報の解除は9時半だったらしい(のちに生徒から聞いた)。まさにこれは台風の風で、後に生徒にも話したけれど、通過した後も吹き返しが強い台風は意外にあるのだ。通過した後海にまた出たし。なぜ気象庁は警報を解除したのかわからない。

posted by superbird at 14:05Comment(0)通勤

『きょうは雨に濡れて寒いのでちょっと贅沢をした』(171022)

 台風21号が直撃のようである。真夜中に最接近するようである。カードのお金を入れてきたり税金を払ったり、ネットカフェに新聞を読みに行ったり、あちこち行って合羽を着ていたけれど、足から頭までずぶぬれである。この前の風台風とちがって雨台風である。

 一日の終わりは晩ご飯の買い物である。きょうはサバ押寿しが半額、地鶏のカツが30%引き。ちょっと迷ったけれど、どうやら雨台風のおかげで早めにお安くなったようである、二つとも買ってあとは煮物などを家で作って晩ご飯にすることにした。

 鯖押寿しは明日の晩用に二貫残し、きょう食べる分はいくらか暖めて食べた。



豪勢な錦爽地鶏に鯖押寿し

食べて豊かな晩となりけり

posted by superbird at 23:46Comment(0)暮らし

『朝の散歩に出かければ』(171020)

 急にきょう気づいた山茶花の花。もうすでに満開だ。

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 しばらく休憩して帰り道、きょうもあちこちでくもの巣の多さに気づかされる。

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 くさぎの木が実を結んでいる。

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花もあり実りもあれば人間は

社会の中で生きていくかな


posted by superbird at 22:26Comment(0)散歩

『キャンパスに到着して早々に思ったこと』(171019)

 大学というところは人間形成という面では全く教育がないといっていい。学生たちの無礼は目に余るものがある。とはいうものの、振り返って考えてみると、これは社会全体に共通のことでもある。

 ただ大学では、
「人間形成という面では全く教育がない」ということは、先生に向かって尊敬も敬意もなく、無礼な態度でキャンパスなどを歩き行動して、それでいいということだから、それでは、
「(学生よ)お前たち落ちる奴は勝手に落ちていけ」という世界である。

 高校とはちがうところである。

posted by superbird at 12:22Comment(0)学校