『人は努力なしでは暮らせなくなる』(180109)

 仕事になると通勤がある。交通機関が時間に縛られているせいか、いろんなことが時間に縛られて、それがゆえに忙しい暮らしである。通勤がなくても体内時計があり、日月星辰、天の時計もあり、動物的な生以上のことをするときりきりになる暮らしである。
 

感謝かなきりきりが多い暮らしかな


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『きょうが仕事始め』(180109)

 家を出るときょうは中学生がもう帰ってきた。試験週間なのだろうか。早いものである。一日に一つしか試験はないのだな。楽である。

 後に気づいた愛知県HPを見ると小中高はきょうが始業式である。そうだったのか。それも楽だな。うちの大学は5日(金曜日)が仕事始めである。若い者がたるんでいる。名古屋市の図書館も長らく休みだったし、この国は学ぶ姿勢に関しては新興国あるいはそれ以下である。お金の余裕があったら私設図書館を作って国や社会に貢献したいとふと思ったりもするくらいである。学ぶということはある種の快楽である。それを悟らず忘れて猫も杓子も長期の正月休みでは、国の未来は絶望である。これは言わなくていい教育者の杞憂であり愚痴でもあるのだろう。

 久しぶりの通勤の道はけっこう風が強いけれど、雨上がりなので、気持ちいいのが救いである。地下鉄も昨年末の通勤より混んでいた。(地下鉄もというのはもちろん中学生や高校生がやたら多いから混んでいるのは道路に加えてということである。)

 車内で若い女性がずう~と寝ていたけれど、若い男が横に立って、じっと女を見つめている。と、女は目を覚まし、知り合いだったらしく、ずうずうしく男は横に割り込んで座り話しかけ、目を覚ました女は風邪だったらしく、立て続けに咳をし始めた。咳をものともせず男女二人話し始めた。近くの客はみないい迷惑である。

 欲望をかなえようとすると、周りの人間に迷惑をかけるという一例である。わたしは席を立ってずう~と離れて窓際で立っていることにした。

 金山駅で下車。散策である。イチョウの木をまず見るわけ。さすがにもう落葉してふつうのイチョウの木になっていた。

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 名鉄はまたどこか、江南のほうで人身事故があったとかで、
「またか、もしかして授業に間に合わないぞ。もしそうなると新年早々縁起が悪いな」と心配したけれど、自分の乗った電車には影響はなく、ふつうに学校に到着。ほっとした。
 以前あれは夏だ、一度止まってしまったときは、電車を降りて一時間ほど早歩きで学校まで汗水たらしてたどり着いたことがあった。

 どこかぼんやりした正月ボケみたいな頭である。ふだんより混んでいる名鉄を降り、バナナやもやしなどの買い物をして学校で授業の準備である。

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観音や常と変らぬ新年の

仕事始めの有難さかな

posted by superbird at 17:31Comment(0)仕事

『人間は酔って盲目である』(180108)

 明日は仕事である。自分にとって仕事始めである。学校はすでに五日から始まった。

 世の中には悪いことをする人がいる。そういう人は案外自分のしていることが悪いからとか善いからいうより、陶酔感に酔って悪いことをしているいるようなところがある。悪いことをして人に迷惑をかけ、周りから指摘されても、かえって逆にいっそう、悪いことを行うものである。

 人の過ちの典型的な例である。孔子の論語にも、
「過ちとは、過ちを指摘されて正さない、それを過ちという」という一文がある。

 嘘つきはドロボーの始まりというけれど、小さなときから些細なことでも善悪を教え、悪いことをしたらそれを正す習慣を身につけさせないと、大変な大人になってしまうのである。

 では善いことをしてそれが習慣になったどうか。善いことをしてそれをほめられ、よりいっそう善いことをたくさんするようになる人もいる。先の例とは逆の場合である。社会にとっては好ましい人であろう。しかしさっきの例とはまったく逆向きのこれらの善き人たちは、「よりいっそうたくさん」という面、善なる行為に酔ってしまっているということにおいてはさっきの悪しき人たちの例と似ているのである。

 人間はおかしな生き物である。悪にしろ善にしろ欲望の結果で、無欲にただ生きていくことがなかなかできないのだ。無工夫という生き方がむずかしい。当然かもしれない。無工夫という禅の教えは悟りの境地で生きる高僧たちの生き様である。

 皆様方に神様の思し召しがありますように。

posted by superbird at 22:54Comment(0)仏教

『昼になった朝の散歩』(180108)

 雨の中のあまり歩かないけれど、時間は長いという散歩は寒い。

 これは樒(しきみ)だな。密教の修行に使う木である。

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 ロウバイが咲いていた。今年は雨の中のロウバイである。昨年はたしか雪だった。

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 このロウバイも素人管理人たち県の職員にめちゃくちゃ切られてしまったので、少しになった。



posted by superbird at 22:00Comment(0)散歩

『成人式は雨』(180108)

 きょうは成人式の月曜である。成人式にしては珍しく雨である。今年の成人の将来をふと心配する散歩であった。オリンピックは2020年(予定)である。
posted by superbird at 16:07Comment(0)散歩

『昼になった朝の散歩』(180107)

 いまは落ち葉が多い。落ち葉と一緒に安らぐのもとてもいい時間。

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 散歩帰りの御嶽山。久しぶりに見えた。

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 そういえばきのうの夕方も、黒っぽい御嶽山が見えていた。

 このごろはやることが多すぎて忙しい。学校のあるときの忙しさと種類がちがうのは、これは贅沢なぼやきである。学校あるときはまず電車が時間に縛られていることと、通勤地獄と、生徒が何を求め、何を提供することがベストであるのか、毎回毎時それを考えて、それに対応するために準備をし、帰宅に向かって今度はバスの時間とかふたたび、時間に縛られ、帰りは通勤地獄は緩んでいけれど、生徒が何を求め、何を提供することがベストであるのかを考えながら、家に帰ったら晩ご飯も食べなければならず、あっという間に24時間が過ぎる。

 いまは趣味が大半ということもできる。とはいうものの、学校の先生というものは、趣味が教育に直接的につながってるものである。まあそれがゆえにいっそう、贅沢なぼやきということもできるわけだな。

 しかしながら十二指腸が痛くなってしまったのは、いささか残念だ。高校教師時代はこういうことはなかった。立派な教科書があって、それを教えていれば良かったけれど、大学の先生というものには、ちゃんとした立派なみんなが共通して使うにたりる教科書がない。

 大学は時流に流されず、先生方の興味に流されず、理科は基礎学問であるので、そこを踏まえて教育にもっと真剣に取り組むべきである。それがなんだかんだといっても、生徒のためである。という感じである。


posted by superbird at 19:49Comment(0)散歩

『とりあえず人間がいなければこころやすらかな散歩になる』(180105)


 散歩道の落ち葉の何か。

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 今年も散歩道にも出てきたセキレイ。

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 人間たちは走っていったりして、すぐいなくなるけれど、鳥たちはこのあたりが生活の場所である。


鶺鴒や人の視線をかわしつつ

自由の道を歩くなりけり


posted by superbird at 19:18Comment(0)散歩

『起きることを平和に変換することのできる静かな夜空のありがたさ』(180104)

 きょうの帰り道には正面に昇る黄色い月が見えた。家に着く前に休憩した公園では、狂気のような犬の吼え声が断続的に続いて止むことがなかった。場所を変えて気分を入れ替えるのにずいぶん時間がかかった。公園を後にする最後、ユーターンして公園の人のいないところで過ごすひと時は、月も見え、星も見え、オリオン座やきれいな黄色味を帯びた月を目に、かすかにたたずみ、狂気の犬の吼え声も、きょう一日の心を乱す出来事も、みんなそれでよかったんだなと思える瞬間がやってきた。


一日が終わる夜空のひと時は

一人静かに過ごすなりけり


posted by superbird at 23:05Comment(0)暮らし

『人のいない世界に広がる幸福を求めて遊ぶ鳥たちの道』(180103)

 散歩の人の来ない空き地でストレッチをして、空を見れば、枯れ木の枝先が銀色に輝いている。

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 木々の間で遊ぶ野鳥。

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 散歩帰りの団地の中庭で人を避けつつ散策をするセキレイ。

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鳥たちの遊ぶ世界が広がれば

自由の空に消えるよろこび


posted by superbird at 19:32Comment(0)散歩

『気功の空は晴れやかである』(180102)

 きょうの夜空は雲が厚かった。時折雲が晴れて、月が顔を出すのだろう。そして気功で空が晴れるということはよくあることでもある。

 きょうもまたそんな夜空だった。



気功終え月が明るくこうこうと

照らす大地にしあわせがあり

posted by superbird at 22:26Comment(0)暮らし

『元旦の空』(180101)

 元旦の朝は眠れなくてしんどかった。昼ころ起きてきた。下の部屋のエアコンの騒音が昨夜から昼近くまで延々続いていたからである。

 下の部屋の人は古びたエアコンを買ってきたのだ。

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 人間というものは夜中騒音に悩まされるといろいろよくないことを考えるものである。

 瞑想していて昨年からの懸案事項が頭をもたげてきて、もう親族との揉め事なので、弁護士に相談するべきであるという結論に達した。自分勝手に法律にのっとったことを実行しない人がいると、まともな人が迷惑をする。そのために弁護士などが存在するのであろう。

 こういうことはもうなかば決めていたことなので、わざわざ正月に思い出さなくてもいいものなのに、思い出す。
 すなわち、
「一年の計は元旦にあり」という言葉そのままである。

 おれはもう法律を破って自分だけの利益をむさぼり(こういうのを悪事を働くという)て平気でおる親族とは極力かかわらんということである。苦労して多くの人を巻き込んで作成した遺産分割協議書を守らない人。それが一人二人であろうと、親父のときがそうで、しかも親父のときはそのドサクサにまぎれて自分名義の資産を取られたこともあり、そしてもう今回の伯父のときもまた遺産分割協議書を守らないのでほとほとにいやになったわけだ。

 家族内で、この一連の相続問題以前から正しいことをしようとすると口論になっていやな思いをして、自分の意見はもう言わないようにしてきたので、もう長年のことなので、それがゆえに親父のときはひどい目にあったわけだけれど、今回はご容赦ごめんこうむるというわけである。

 親父のときのことは天の目からすればきっと「起きることが一番いいのだ」という面もあるので、自分は涙を飲み、なすがままにさせておいた。それが平和というものであろうと。

 しかし今回の伯父からの相続は納得できないことが向こうからやってきた、すなわち親父が自ら印鑑を押した(このときはまだ親父は存命生きていた)遺産分割協議書が手元にやってきて、わたしの相続分があるので、親父のためにも「自分はもらうべきである」旨の意見を述べ、それでも納得のいく説明も対応もなされなかったので、このままでは弁護士に相談しなければという結論になってしまった。

 悪人とは親きょうだいとてかかわらないのが平和の基盤である。

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元旦の満月に向って人生は

良くなるものと思うなりけり


posted by superbird at 19:28Comment(0)暮らし