『日進へ行ってそれから平針で大根を買う』(180123)

 途中牧野が池を見ていく。きょうは水鳥たちがたくさん岸のほうに来ている。いつもより時間が早いせいかな。

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 カメラマンが一人たいそうな装備で写真の機会をうかがっていた。

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 クレジットカードのお金を銀行口座に入れ、丸亀うどんに寄ってブランチを食べていく。1月中に使える100円の券と株主優待券で支払い20円で420円の野菜かき揚げうどんを食べた。店内はごくすいているけれど、すいているけれど人間はすぐ近くの席に寄ってくる傾向があり、二回席を移動した。後ろの席にやってきて人の迷惑を顧みず大声でしゃべる女は若くても年寄りでも下品である。

 日進の空。風が冷たくなった。

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 平針で今度は家賃を別の銀行口座に入れ、隣のコンビニに来たら店前で市みたいのがあって、おもむろに歩いていくと、大根が128円で売っていた。

 目が丸くなった。例年と比べたらばか高いけれど、今年の値段からするとまあまあの値段なので、即買った。税込み134円である。

 きょうの晩は大根を食べよう。高いけど薬の代わりだな。

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 このコンビニにはセキレイが居ついている。前もいた。そのときは食べ物をねだるようにわたしの前で体を動かしていた。きょうはちがうな。

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 ネットカフェはやはりすいていたけれど、薄い板があるとはいえまん前の席に来た人がわたしのほうを向いて咳だらけである。世間ではインフルエンザ警報が出ていることもあって、気分がよくないけれど、時間内に新聞を読んだりできることなどをして過ごして帰る。

 わたしが店を出てドアのところで月を見たりコートを着たりしていると、そのさっきの咳の人もまた出てきて咳をして行くのだった。

 人のいるところに来ると、こういうことがまことに多い。夜空には宵月が見える。

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宵月や人の暮らしをちらりかな


posted by superbird at 19:08Comment(0)暮らし

『昼近くの散歩』(180123)

 なんとはなしに散歩に出かける。

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 いつものようにコケの生えた地面で、しかし(休暇に入ったので)急ぐことはなく、のんびり軽くストレッチ。

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 人のいないところで横になって休憩である。風が時折吹いていく。気功もする。

 歩いていく。

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 人を避けながら歩いていくと、きのう近くの団地にいたような鳥が二羽いた。林のほうへ行った。

 ふつうの公園に来ると、これもまた知らないような鳥が二羽いた。

 木の枝で背中を見せている。

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 知らない鳥が多い。

posted by superbird at 19:00Comment(0)散歩

『きのうは試験をして今年の仕事は終わった』(180123)

 今年はあと成績表を送るだけである。成績表はもう完成といっていい。今年はなぜか疲れた。さいわいよく眠れるのはありがたいことである。

 たまたまきょうの日経新聞(夕)を見ると、クラウドファンディングで資金を集めて実業的な学習をする学校もたくさんある。動機のひとつに、自分たちの学んでいることが社会とどうかかわっているのかわからないという生徒の気持ちがひとつ書かれていた。教育者は自分たちの教えていることに誇りも尊厳もないのだろうか。

 たとえば基礎的な理科の学習はないがしろにしたまま、ないがしろにしてというのは、言いすぎかな。しかし現実として大学へ来た生徒らを見ていて感じることは、高校で基礎学問である物理や化学をちゃんと修めずして、この化学物質やさまざまな電気製品のあふれかえった世界で、しかも人間は自然の一部であるという現実を理解する手助けを身にまとうこともなく、どうやって正しい生き方の選択ができるというのか。ということである。物理や化学の計算ができればよいなどということを前提にしているようでは理科という教科に誇りも尊厳も生まれはしないということはいえる。

 社会に出れば病人だらけになってしまっている原因もこの辺りにあるのである。学校は人間の存亡を左右する。知性の欠如が社会の姿になってるのである。人間の行動、特に通勤バスやなどを見ていると病気になるように彼らの心のベクトルが向かっている。

 わたしはもう昼ごろから学校へ行くことにして過激な通勤地獄はなくなったし、帰り道だけ中くらいの通勤地獄を味わって帰るわけだけれど、この一年、秋休みはあったけれど、やはり疲れたわけである。しばらくそんな通勤地獄の一端から開放されて療養である。




 
posted by superbird at 18:23Comment(0)仕事