『きょうは悪くない』(180430)

 散歩の花。

 雑草もたくさんで咲くと華やかである。


180430sanpohana1.jpg


 地に咲く花の教えてくれること。

180430sanpohana2.jpg



 きょうは月曜だけれど、振替え休日なので、日進へ行く予定。

 外出の空。


180430soragaishutu.jpg


posted by superbird at 23:00Comment(0)暮らし

『久しぶりという感じの日進で少しくつろぐ』(180429)

 きょうは疲れている。その理由は、「旅行の後なので疲れているんだ」と、後から分かった。

 久しぶりという感じで日進へ行く。

180429nissinhatakenotori.jpg


 畑に知らない鳥たちが来ていた。

 次に見た畑では、小さな恐竜みたいに走っていた。

180429nissinntanbonotoritati.jpg



 シロツメグサの花を見て、それからゆっくり体操をした。

180429sirotume1.jpg


180429sirotume2.jpg





posted by superbird at 23:32Comment(0)散歩

『石山寺3』(180428)

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)に出会う。

18042888kashomeguri-huda.jpg


 ここに敷き詰められている石畳の下には、四国八十八ヶ所の土が埋められているとある。
 宝篋印塔を廻ると「四国八十八ヶ所を巡ったのと同じ功徳が得られる」ということなのだろう。

 わたしは喜んで観音菩薩の名号、
「南無観世音菩薩ナムアーリヤアヴァロキティシュバラーヤ」と唱えながら二回廻った。

18042888kashomeguri.jpg



有難き観世音菩薩の名号を

二回唱えて廻る宝篋印塔ほうきょういんとう




 帰りの山門。ようやく写真を撮れた。来る時は、山門に一人の老女がとろとろきて、仁王像の前に腰掛けたので、まあ写真を撮るのは遠慮した。


180428isiyamadera7kaeridakedo.jpg




 《中略》

 京都駅まで出て、ネットカフェで休憩。バスの予約は石山寺へ行く前、駅のコインロッカーに入れるとき済ませてある。ドンキホーテがあって、立ち寄りようやくミネラルウォーター(エヴィアン)を買い、予定通りバスに乗って帰名である。

 バスは超特急で甲南SAで一度止まる(10分休憩)だけである。



旅を終え優しくなれる名古屋かな


posted by superbird at 23:30Comment(0)

『石山寺へ行く2』(180428)

「ここは参道なんだよなあ」と時折口をついて出る。

 京阪の石山寺駅からはもうずうっと参道なのだ。

 参道は瀬田川とそして、右手の山並みといっていいのだろうか、斜面からの色濃い緑の風がさわやかに吹きぬけていくのだ。


京阪の駅を降りればいにしえ

石山寺の風が吹くかな




 しばらく別世界のような世界を歩いて行くと、右手には高級住宅地みたいな戸建てが並んでいる。京都への通勤圏なので、お金持ちが多いのだろう。なかなか寺が見えてこないので、そろそろ疲れてくる。

 一軒の家の庭木のちょっと珍しい松の葉っぱ。


180428isiyamadera4.jpg


 ちょっとした公園みたいな広場に立つ木。

180428isiyamadera5.jpg


 石山寺の縁起。

180428isiyamadera6.jpg




 石山寺の山門をくぐっていくと、すぐに大黒天の大黒天堂がある。順路は最後のようだけれど、それはあと気づいた。

 はじめは老婆の、帰りに寄ると、和尚様の同じ説明が聞けるのだった。

180428isiyamadera8.jpg


 握り拳の大黒天は珍しくまた、驚きの万寿元年の弘法大使様の作品だと言う。

聞き耳を立てて聞くかな驚きの

万寿元年弘法大師の大黒天と



180428isiyamadera10kaeridakedo.jpg


 少し歩いていく。小さな池に鯉がいたり、岩の中を潜り抜ける儀式のようなものもした。何かいいことがありそうなので、とりあえず頭を低くして潜り抜けた。小さな女の子もわたしの前を潜っていった。案外大人はやらないものである。

 右手に石山寺の岩が露出している。石山寺は石山に建っているので、石山寺というようでもある。硅灰石と書いてある。国の天然記念物である。

180428isiyamaderanoiwa.jpg


 縁起。

180428isiyamaderanoiwa2.jpg


 階段を上がっていく。中は撮影禁止の張り紙があった。記念に外から写す。

180428isiyamaderahondousotokara.jpg


 ろうそくに火をつけて、お参りした。

180428rousoku.jpg



 外に出て記念撮影、セルフタイマーで自撮りした(その場所)。

180428isiyamaderahondousoto.jpg


 外に出ると、柱に巡拝者の張り紙があり、東浦のもあったので感慨深いものがある。ここまで来ると、東浦はほぼ同郷といえる。
 
180428isiyamaderahondouhasiranoharigami.jpg




posted by superbird at 23:29Comment(0)

『石山寺へ行く1』(180428)

 京都旅行の三日目は、一度行ってみたかった石山寺へ行く。

 ホテルを出て、四条の錦天満宮へお参りして、またおみくじを引いた。

180428nisikitennmannguu2.jpg


 100円を入れると人形が持って来てくださる。

180428nisikitennmannguu3.jpg


 大吉であった。安心である。

180428nisikitennmannguu4.jpg


「及ぶ限り身をへり下りて何事にも進んでするを吉とする」とある。
 大吉というのは、いきおいぞんざいになりがちなので、文言にあるように「及ぶ限り身をへり下りて」というのは身にしみる言葉である。
 宅替えも良しなど、いいことがたくさん。

180428nisikitennmannguu5.jpg


180428nisikitennmannguu.jpg



 京都駅までバスで行って、コインロッカーに荷物を入れ、JR快速で石山駅、そこから京阪で石山寺駅まで、そこから歩いた。観光案内所は休みだった。土曜で休みというのは、外国人観光客が来ないせいであろう。

『CLOSED』と書いてある。

 駅を出ると石山寺への参道である。

180428isiyamadera1.jpg


 少し歩いて右手。

180428isiyamadera2.jpg


 左手が瀬田川で、一級河川の広がりがあって、意外に開放的である。気持ちが良くて写真を撮らなかったのが残念でもある。


 ここはいいところである。とにかく爽やかですがすがしい。


瀬田川や住めば清まる初夏の風



posted by superbird at 22:58Comment(0)

『新聞を読みに行くと図書館では雷雨になった』(180427)

 4時になると霊山観音はもう人がいない。4時で締め切り(受付終了)、20分で閉園であった。

 そこから予定通り、図書館へ行く。来た道をUターンである。再び高台寺のふもとの道を通り、知恩院を右手に見て、歩いていく。途中、人のいなそうな、公園というか空き地というか、青蓮院門跡横で休憩。

 小学生くらいの子供が数人ドッジボールをしている。持ってきた焼芋と小さな全粒粉のパンを食べる。見ていると、いさかいが絶えない。子供たちの世界も大人の世界同様という感じかな。悪いのがたった一人いるとそれで世界がすさんでしまう。

 再び歩いて、図書館へ行く。図書館で新聞を読むためだ。前はホテルにあったけれど、ホテルの新聞がなくなってしまったので、どこかに読みに行かなくてはならなくなった。ホテルでいえば、シーツに抗菌剤を使うようになったり、健康を考えない社会になってきたものである。

 前、同じ系列のホテルでそれに気づいて、
「洗濯の業者を変えたのですか?」と質問したら、
「いや、変えていない」と言ったので、おそらくクリーニング屋さんがやり方を変えたということなのであろう。

 宿泊者の健康を考えて今までどおりのクリーニングをしてほしいものである。柔軟剤の香料といい、日本中がこれである。


 図書館で新聞を読んでいたら、急激に暗くなって雷雨になった。新聞では南北会談の記事が大々的に報じられていた。それを読むために来ている人もいた。

 南北軍事境界線上の板門店で南北首脳会談が実現し、平和への云々という記事である。もちろん米朝首脳会談への布石である。



 
posted by superbird at 01:00Comment(0)

『霊山観音まで行く』(180427)

 知恩院で木魚をたたいたりして、高台寺のあたりをあちこち歩いて、それから、高台寺から見えた大きな観音像の霊山観音まで足を伸ばした。

 入り口で300円払った。

180427ryouzankannnonn2.jpg


 観音様だけなら入り口からもじゅうぶん見えるので、払わずに入り口で引き返す人もいた。若い中国人カップルで、わたしの目の前でしゃがみこんで観音様を写しちらとわたしを見て引き返すので、多少の驚きがあった。(時間がなければこれもありだな。)

180427ryouzankannnonn1.jpg



 入り口で信仰心の表れを感じる女性から参拝の手順を教えられ、火をつけてくれた太い線香を手渡され、これだけでも300円の価値はあるというものである。ありがたく線香を持って中へ入り、人のまばらな境内を歩いて、参拝した。


180427kannnonn.jpg




 観音様造営の当初の目的はおそらくは例によって戦没者の霊をなぐさめ、冥福を祈るという趣旨の表れである観音様ではあるけれど、平和を礎にしているので、先の大戦というのは、いまを生きる私達現代人にとっては、見方によっては意味深く、こうしてありがたい観音様の顕現を目にすることができるというのは、不幸の後の幸せ、ということもできるのだ。



180427ryouzankannnonn5.jpg




注:WIKIによれば「1955年帝産グループ創建者石川博資による」造営という。「高さ24m、重さ約500t、鉄骨コンクリート造」。

続きを読む

posted by superbird at 09:38Comment(0)

『高台寺へ行くことになった』(180427)

 知恩院の出口という見晴らしの良い階段を下りていって、道路に出ると、さて左に折れて、高台寺へ行くことにした。掌美術館というところにちょっと興味があったのだ。あいかわらず人ごみの円山公園を抜けていくと、誕生日占いがあった。易である。

180427maruyamakouendanjyoubiomikuji.jpg


 大吉だった。

180427maruyamakouendanjyoubiomikuji2.jpg



 最近大吉が多くなって安心である。

 おみくじの中身を読んでいると人がうっとおしいので、さらに細い人ばかりの道を行くと、西行の最期の庵やその隣に芭蕉庵が、さらによく分からないけれど、道元のなにかもあった。

 実際によく見ている暇もないので、後でいいやと思って先を急いだ。掌美術館はどこかよく分からない。大黒天がおられる。歌仙堂もある。


180427koudaijinohumoto.jpg


 中へ入ると、大黒天堂、そして歌仙堂がある。


180427koudaijinohumotodaikokuten.jpg



180427kasendou.jpg



180427koudaijinohumotoengi.jpg



 狭い敷地内で休憩している人もいる。同じ敷地に掌美術館があった。階段を上がっていく。中は七宝焼の作品展だった。しかしこれは後で掌美術館ではないと分かった。高台寺に行って入場券を買ったらそこの美術館の入場券もくれた。そして高台寺の帰りにもう一度ここへ来たら、二階の上がったところの別の美術館で、七宝焼の展示をしていたのは七宝焼の即売所か何かだった。どうしてこうなるのか?

 さて高台寺はどこから行くのか。再びさっきの細い道に出た。さっき中国人がわたしに、
「高台寺の入り口はどこですか?」と丁寧に質問したのを思い出した。

 中国人の女性が、
「高台寺の入り口はこちら」と行く人たちに言っている。

「ほ~っ」

 ここを折れていくのか。


 中年男と30代くらいの女性のカップルの日本人がわたしの前を階段を上がっていく。わたしも急がずゆっくり行く。前にも見えていた気になる塔が見える。

180427koudaijikaranonagame.jpg



 階段を昇りきって、少し広い敷地に出た。天満宮がある。参拝する。

180427koudaijitennmannguu.jpg


 ためらわず600円払って入場する。

180427koudaiji1.jpg


 はじめは建物の中で、あまり好きじゃない今風の絵の連続だった。それから庭園に出た。庭園は広い。石の庭もあった。夢窓禅師のとは違う趣である。大徳寺とも違う。

 庭を見ていると600円は安いかなと思う。見る人によるだろうけれど。

180427koudaijiteien2.jpg


 高台寺は禅寺である。

180427koudaijiteienengi.jpg




posted by superbird at 09:36Comment(0)

「知恩院1』(180427)

 来週からGWとはいえ、あまり疲れてはいけないので、近場という感じで知恩院へいく。地下鉄の市役所まで歩いて、そこから東山まで行って、歩いていくわけだ。ホテルから歩いていけないことはないけれど、なんとなくしないところが心身ともに健全である。

 市役所前のスギ薬局でミネラルウォーターを買おうとしたらないので、水なしのお出かけである。市役所前の大通りの交差点の雑草には、名古屋で見るのと似たような花蜂がいて、やはり一度もぐりこむともう動かない。

 そのくらいに何かおいしいものがあるのだ。

180427siyakushomaehanabati.jpg



天国の愛の香りは花蜂の

目鼻の先に横たわりけり




 知った道を歩いていくけれど、大型バスとかが走るので歩行者は危険である。ここは毎回同じである。ここは歩行者天国にするとこの界隈の価値がぐっと上がるに違いない。観光客目線ではあるけれど。

 左に折れて知恩院の阿弥陀堂とかを目指す。

180426tionnin1.jpg




 この時期緑がいい。

180426tionnin2.jpg


 人間は右側も左側もなく歩いてきて、かつ譲る気持ちに欠ける場合、出会う相手にとっては、人の存在そのものが厄介である。

 法然さまの御影道では、パナソニックの法要があるようだ。黒服のサラリーマンが何人か来た。

 御影道に入ったけれど、幸いというか、法然さまの像があるところではまだ始まっていないようだった。少し休憩していく。ここは撮影禁止である。

 

 阿弥陀堂の縁起。

180427tionnin5.jpg


 阿弥陀堂の中も撮影禁止である。外からなら扉が開いたとき写してもOKなのだろう。

 木魚をたたいて「南無阿弥陀仏」を唱えていく。長いこと唱えているので、人がいなくなった。一回外へ出て、再び長いこと唱えていると今回はものすごくたくさんの人が来て、後ろに座ったり、あるいは入ってきたりすぐに出て行ったりと人の出入りがめちゃくちゃに多くなった。

 わたしはちゃんと回向のつもりでやっているのに、遊び半分興味本位で来る人が多いのだ。仕方のないことである。自分ひとりで回向するに限るのだが、まあこれもひとつの功徳を積んだことといえるのかなと。

 理想は「自分の家は門外不出の禅寺」である。

180427tioninkarasora.jpg


 今回も土産物屋で休憩した。知恩院の小冊子もある。今回は学校の人へのお土産も買った。せんべいだけれど、たくさん入っているので一人一枚はあるのだ。1000円くらいしたかな。

180427ochatyoomiyage.jpg


 山門の上にみえる、「華頂山」の文字。御影道のお香も華頂香であった。

180427sanmon2.jpg



 庶民が日常生活で使う人工化学物質の香料に悩まされているので、華頂香のよさがしみじみである。それでもきっと、花蜂が愛する花の香りには負けているに違いない。

 知恩院の正式名は、
「華頂山知恩教院大谷寺」である。
 そして御所が見渡せたことから、ここは江戸幕府の朝廷への監視どころでもあった。

 開祖というべき法然はもともと修行を重んじ、比叡山延暦寺からも迫害を受け、またその結果、
「後鳥羽上皇から島流しの刑を受けた」という(承元の法難)。

 言葉にできない悲劇というしかない。



注:法然さまは平安末期から鎌倉時代の人で、歴史書によれば、憤怒の後鳥羽上皇から流罪を言い渡されたのは1207年2月28日である。しかしながら驚くべきことに、修行の功徳、法然は流刑地の土佐まで行かず、円証(九条兼実)の庇護により、九条家領地の讃岐国(現、香川県)に配流地が変更され、讃岐で10ヶ月ほど布教していたという。

 弟子たちとの修行の功徳の違いが見て取れる史実である。


posted by superbird at 09:36Comment(0)

『知恩院を参拝2』(180427)




阿弥陀堂木魚叩いてトントントントントン

トントントントントントントントントントントントントン



posted by superbird at 09:35Comment(0)散歩

『来週はGWで学校も一週間休みになるので』(180426)

 来週は一週間休みになる。かといってどこかへ行けば疲れるし、結局どこへも行かず、いつもどおりの日常になるのだ。それはそれでありがたいことだけれど、どこにも行かないと、それはそれでなにかよくないのだ。

 きょうの五限目は別の週の補講日(4限目)に移動し、早退して遊びに行くことにした。実はもうけっこう前から計画を立てていて、けっきょく京都の図書館に調べ物に行くことにした。何かしら理由がないといけないので、好都合である。趣味と実益である。

 生徒も5限目より4限目のほうが楽であろうし、誰一人文句は言わなかった。誰一人文句を言わないのは今年の生徒がまじめであることの証でもある。課題も文句を言わないし。

 不景気になると生徒はまじめになる。景気がいいと態度がでかくなって手に負えないようなのが出てくる。いまは景気がいいとか政府日銀は言うけれど、庶民というか生徒を見ていると決してそうではないな。

 
 ホテル代が13000円である。新幹線は混んでいるので、きょうは試しに高速バスで行くことにした。往復4100円は安いと思ったけれど、もっと安いバスがあった。迷ったけれど、神経を使うのがいやなので、十二指腸がちくちく痛くなる、いつも使う名鉄の高速バス(JRと共同運行している)でいくことにした。

 バスはすいていて助かったけれど、いろいろ忘れ物をしてしまった。歯磨きとか、サプリとか。名駅で時間があったので発車時刻までいろいろ買い物で時間がつぶれた。千里馬という薬局はお客さんがもっぱら中国人だった。日本人はいない!でも店員はわたしにちゃんとレジをしてくれた。

 バスの狭い通路を挟んで右に来た若い女性も中国人だった。ハイになって鳥の歌のまねをして「ピーポイ」などと高い声でさえずっていた。
 思い出したように、
「ピーポイ」また思い出したように、「ピーポイ」

 そのうちお弁当とか取り出して食べている。

 わたしは耳栓をして外の音を静かにして自分の持ってきた自家製のパンとバナナの食事を始めた。晩ご飯は京都で食べるけれど、昼前に家で食べてきりなので、まあ間食かな。ほっとする。

 見ると、中国人の女性はいつの間にか力なくぐったりしてイヤホンで音楽でも聞いているのか、おとなしくなっていた。甲南SAで休憩してもその人はぐったりしている。わたしは外で空気を吸って体操をして、まあいつもどおり、気分転換して戻ってきたけれど、ぐったりして力なく沈んでいる。

 SAは車がいっぱいで、バスの運転手さんもさっき、
「止める場所がないので何々」とかいってずいぶん遠いところにバスを止めたのだけれど、木曜の夜で車がこんなに多いのかと驚く。庶民の景気は悪くてもこうして車が忙しいところを見ると、景気はいい面も多々あるということか…。そういえばヤマト運輸も今期は値上げ効果で八割増益(連結営業利益)という。

 バスのなかではずう~っと気功をしている。カルマがあって十二指腸が悪くなっているので、何とか軽く治めてやり過ごすしかない。世の中おかしいので、十二指腸もおかしくなるという面もある。おかしいというのは世の中がお金儲けで命を粗末にしているからである。

 夜の八時半、京都タワーが別人のように見える。

180426kyototower.jpg



 地下鉄に乗って乗り換えて、歩いて、晩ご飯の納豆や、あすのおやつ、そしてメインの寿司をかっぱで予約し、ホテルに着いてチェックイン、寿司を受け取りに行って、ようやく部屋の風呂に入って、ベッドで人心地、いつもながらに旅行に来ると、仕事があってありがたいと思う。

 晩ご飯を食べてちらとパソコンをして、一度部屋に戻って、温泉に入ることにした。



真夜中を過ぎて天然温泉に

一人入って一人出てくる



posted by superbird at 01:18Comment(0)

『仕事の時期は暇が本当にないのだ』(180425)

 晩ご飯は速攻で作る。朝ご飯と同じである。無駄なく効率的にてきぱきと、スムーズに手足を動かし、頭を働かせ。

 学校へ行くとき、トマト三個百円ちょっとで買ってきた。

 晩ご飯の準備が一段落した時点で、トマトを食べながら休憩、ブログも書き、つねに部屋の空気を気にしながらという、忙しさ、かな。



食前にトマト一個の至福かな




posted by superbird at 22:53Comment(0)暮らし

『科学技術に支えられた社会で科学技術が空気になってしまった不幸』(180424)

 とにかく風邪を引いた人が多い。地下鉄ホームでも学校でも。人に向かってわざとせきをする人もあいかわらず多い。こういう人間の傾向は、企業の金儲けの姿勢にも現れているし、社会の風潮にも見て取れるだろう。

 むかし、1960年代のはじめころだろうか、「鉄人28号」がテレビで放送されていたころ、ジャパネットタカタの高田明さんは、
「誰もが正座を崩さず、『月光仮面』や『鉄人28号』などを、かしこまって見ていた」という。

 科学技術への畏れ、あるいは多くの人の汗を敬う気持ちだろうか。あるいは、放送されている番組の中身にたいする憧れや夢があったのだろうか。少なくとも庶民の心は素朴で素直であったのだなと思う。

 いまはすっかり自然科学や科学技術に対する畏れも、それをつくった多くの人の汗にたいする感謝や尊敬の念も感じられなくなった。現代の科学技術はしばしば悪役だ。科学者や技術者はしばしば神を冒涜してきた。そういう不幸もあってか、人は純朴さを失い心身ともに病んでしまった。それはつまり自分に対する畏れも感謝も尊敬もなくなったということなのだ。

 最近身近なところでは洗剤メーカーはすっかり悪役になったけれど、それを使う庶民も、洗濯の柔軟剤の香料が人をだめにしても、洗剤の抗菌剤が人をだめにしても、分かっていてもまるで中毒患者のようにそれらを使い続ける。欲望にとらわれて自分の体を病んで幸せになれるはずがないのに、それが見えないからそれを止められないのだ。


風邪引きが年々増える社会にて

念念純朴示す御仏




注:念念は「一刹那、一刹那」といったような仏教用語。

posted by superbird at 00:20Comment(0)科学

『きょうはいわゆる本格的な仕事前の最後の休日』(180422)

 きょうは日曜で、明日から本格的に仕事が始まり、いつもながらに忙しい。

 散歩に出ると雑草の花が気になる。写真を撮ると、ついでに新芽も偶然に映った。

180422sanpozassoutosinme.jpg


 きょうはこの鳥が多い。たまに見る鳥で、いつもは見ていると逃げるのに、きょうは集団でいるせいか、ほとんど逃げずにみんなしてなにやら食べているのだ。

180422sanpotori1.jpg



180422sanpotori2.jpg


 みんなでいれば安心というのは人間と似ていて、案外生き物共通の習性である。

180422sanpokaeritoi3.jpg



 タンポポもみんなして綿帽子である。

180422sanpoikitanpopo.jpg



 散歩から帰って食事の準備、いつもと同じ朝(もう昼過ぎ)の食事をし、きょうも楽しいけれど(十二指腸が心配になるから)知らず知らずに神経を過度に使う、電磁気の問題集の本を推敲し、それから富士山の絵を入れる額を買いに行った。


 藤が丘の向こうのほうなので、きょう行っておかないと仕事の疲労がたまると行けなくなる距離である。

 四月いっぱいの優待のはがきが来ていたので、それを使って、会員価格のさらに二割くらい安かった。四千三百円くらいだったかな。値段は安くなったけれど、F4の額縁の質量はとても重かった。

 自転車で持って帰るのがとてもしんどくて、
「限界だな」と思った。「田舎暮らしとかするようになったら車だ」

 帰り道にあった公園で休憩、体操をし、ベンチで寝た。

180422hujigaokakaerikouen.jpg


 ラジオ体操をしたら上空に月が見えた。

 再びベンチで寝たら、月が目の前に見える。

180422hujigaokakaerituki.jpg



地を離れ静かな空に月は居り


posted by superbird at 00:52Comment(0)暮らし

『花の季節だけれど人間社会は風邪がはやっている』(180421)

 団地のツツジ。色がきれい。しばらく前から咲いている。白いかすかなピンクのツツジは見慣れた赤いのよりも好きである。

180421gaishutudantinohana.jpg



 外出にこのツツジを見て、後は急いで自転車で走って行った。天白図書館まで行った。もう暗くなってきた。手前の運動場で体操をしようと思ったけれど、時間が少ないので、図書館へ行って新聞を読んだ。この前は日経新聞が占領されていて読めなかったけれど、きょうは新聞のあたりに人が一人もいなかった。二十分くらい一人わたしが占領した。

 時間がないので残念である。本とか読めない。家で電磁気の問題集の本を推敲していて時間がなくなってしまったのだ。七時前に窓を閉められて急に空気が悪くなった。
 窓を閉めたらこんなに急に空気が悪くなるのかと思った。

 七時に図書館をあとにして、
「図書館は七時まで窓を開けておいて利用者が気持ちよく本を読める環境を保つことが大切である」と思った。

 運動場で体操をしてネットカフェに行った。迷ったけれど行った。そしたらすごい風邪引きさんたちだった。いまは風邪がはやっているのか?

 プレジデントで、大前研一さんの記事を読んだ。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」ではあるけれど、近い将来にこうなるという一つの見通しで参考になることは事実だ。

 みんなお金持ちとか勉強熱心なサラリーマンとか、こういう話を読んで、身構えているのだろう。自分の身近ではこういう記事を真剣に読んでいる人はいない。それは彼らが何とか生きていけるとうすうす感じているからだろうか。わたしは将来楽をして生きていきたいと思っているので、いまこうして専門外ともいうべきことをいろいろ勉強しているのだろうか。


 記録として残しておけば、大前さんの記事の中に、学校の先生のうちで「こういう先生が生き残る」という話があった。
 生徒にただ答えを教えるのではなく、各生徒のそのときそのときに応じていかに適切に教えることができるか、といったような話がもう少し具体的に書いてあった。大前さんいわくAIでは対応できないからだ。

「しかし待てよ」とわたしは思った、「自分はそういう先生にどこか当てはまるかもしれないけれど、そういう先生をいったい誰が評価してくれるのかな?」

 本当にそういう先生がいて、今の日本の教育現場でそういう先生が教えることができる環境は十分にあるだろうか?実際はないので、そういう先生があまりいなくて、生き残るとか言われるほどに、貴重なのだろう。



眺めれば言う事はない現場かな



posted by superbird at 23:56Comment(0)暮らし

『月が端正である』(180419)

 仕事を終え、バナナを一つ食べ、冷蔵庫にしまっておいたもやしと卵のパック(10個入り)を手に、いつものようにバス停まで真剣勝負の歩きで、わき目も振らず、ただひたすらまっすぐ。

 バス停でおやつに持ってきた自家製のパンを食べようかと思ったけれど、きょうも時間がなかった。

 お金を稼いで、かつ生きていくということはこうも時間がないのだ。

 道路は大通りでやたら車が多いけれど、車の多さを気にする心でもないのだ。学校帰りのバス停までの道のりは半ば心が物化している。


 いまのところだけれど、バスはなぜか昨年までと大違い、今年は人が少ない。

 助かる。


 しばらくしてバスの窓から見える月は、長くて形のよい美人の眉のように、端正だ。

180419gakkoukaeribasunonakakara.jpg




posted by superbird at 01:37Comment(0)仕事