『きょうは金山のネットカフェで休憩した』(181031)

 出勤の空。

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 金山のネットカフェで休憩。ジャスミンティーで口をしめらせ、休憩10分。新聞を読んだりネットを見たり、株があちこち、突然上がっていて驚く。底値圏からまた下がったのでみんな必死みたい。

 ウインナーコーヒーをそのまま飲んでくつろぐ。旨いコーヒー。めったにない(たぶん自分にとっては)。


コーヒーも体に合ってこその味



 40分休憩して名鉄駅まで歩く。余裕の散歩気分で、通勤もこうなるとありがたい。
 中央線と歩道を仕切っているフェンスには、どこからかやってきた木の幹がくいこんでいる。



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金山ものんびり歩けば足元は

自然と人間のせめぎあい



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金山駅出口中央線方面前




 名鉄はすいている。10分もすれば乗り換え。駅に止まって通過電車が走り去る。数分もすれば乗るべき電車がやって来る。


一人かな乗り継ぎ駅で水一杯



posted by superbird at 17:27Comment(0)通勤

『タイムマシンを買ったシリーズ六作目(欲が深い人)』(181031)

 タイムマシンを買ったシリーズ六作目(『欲が深い人』)、まずは仮の表紙で投稿した。


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もうすぐ表紙になる画像



 きのうバスの中や地下鉄の車内で書いた作品。きのう夜中、家でテキストにし、表紙は学校の授業後。

 写真の表紙画像は、どこかのフリーの『サンノゼ』の景色。

 この作品の中で、主人公は中国の会社を売り払って、サンノゼでタイムマシンの部品を作る会社を立ち上げる。

 理由は、中国とちがい、
「アメリカでは欲が深い人はそれだけ多くの功徳を積むことができるので、天国に近づく」ということになっているからである。








posted by superbird at 17:15Comment(0)小説

『庶民の給料は上がらないので』(181028)

 きょうは日曜で明日からしばらく仕事なので、業務スーパーで買い物をし、ネットカフェで休憩してイオンで買い物をし、西友でまた買い物をした。

 ものすごくたくさん買い物をした感じがする。サツマイモは安くなったな、リンゴはまあまあかな、でも初めのころより高くなったな、西友のごぼうは見てびっくりの知っているころの3倍だな。

 ごぼう一本98円だった。

 とにかく高いのだ。イオンを出てエンゲル係数のことが気になった。庶民の暮らしはエンゲル係数がうなぎのぼりじゃないかな。自転車で夜道を走っていく。西友でもそのことは変わらなかった。ごぼうもそうだし、惣菜や弁当は同じ値段でもいつのまにか中身が減っている。



食品を買えばエンゲル係数の

増えが気になる暮らしなりけり






posted by superbird at 23:33Comment(0)暮らし

『タイムマシンを買ったシリーズ2作目の表紙を変更した』(181027)

 タイムマシンを買ったシリーズ2作目『サルの惑星』の表紙はもともとESTARにあった画像で、転載とかできないので、フリーの画像を探して作り直した。

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サルの惑星



 もともとこの小説は、むかし『人里離れた平和な土地』(ブログ)に連載したユーモア掌編SF小説で、たしか削除した作品で、簡単にいうと、
「夢の中でサルの惑星で楽しい思いをするというお話」である。

 画像はNASA(WIKIより)Earthrise, taken by William Anders, an astronaut on board Apollo 8を加工して作った。

posted by superbird at 01:23Comment(0)小説

『タイムマシンを買ったシリーズ5作目』(181026)

 きのう完成させた掌編小説『心臓外科医の休暇』という作品の、表紙(作品ごとに載せるもの)をきょう完成させて投稿した。なんだかどんどん作ってしまう。気づけばもう五作目。きのう仕事帰りのバスの中でほぼ完成させた。夜家に帰ってテキストにした。

 振り返ってあまりやると病気になるかもしれないという心配もあるので、きょうはもうゆっくりしようと思う。

 お袋に手紙も書いたし、きょうも仕事明けとはいえ忙しかった。



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表紙





posted by superbird at 00:27Comment(0)小説

『社会は望んでいる』(181025)

 きょう名鉄の改札を抜け名鉄構内の書店にいたら急に大音量の甲高い声の音楽が流れてきた。ネットカフェから気分よく歩いてきたせいか、名鉄に来て神経を逆なでされた気分だった。

 書店を出て構内を歩いてもその甲高い大音量の音楽は止むことはなった。聞けばPRのためだという。音楽のPRをしてお金儲けをしているのだ。人は皆それぞれにそれぞれの方法で自分の音楽を聴いている。金儲け一辺倒の社会は一方的で全体主義的な音楽を響き渡らせ個の成長と成熟を破壊する。こうして社会はテロリストに活躍の場を与える。

 哀れな日本社会の縮図が広がる。ここには観音菩薩の慈悲のまなざしがあるだろうか。慈悲のまなざしがありますように。名古屋は京都とはちがう。

南無観音菩薩ナムアーリヤアヴァロキティシュバラーヤ。



南無観世音菩薩願わくば

金儲け社会に慈悲の眼差しを



posted by superbird at 12:57Comment(0)通勤

『きょうの空はまあいいけれど夜は雨のようだ』(181023)

 きょうは散歩に行くとき、工事関係者がたくさんいて、我が物顔で威張って歩いていた。帰りがけに見ると、どこも悪くない道路をはがしてアスファルトを新しくする工事だった。さらに帰宅するとき見たら、表面に何か白い線を表示することはあす以降するみたいだった。


 朝の散歩の休憩の空。

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 空はとてもいいけれど、うるさくて落ち着けないのだ。また散歩の人もなぜかたくさん来た。工事のほうがうるさいので、こっちのほう、少しでも遠くのほうへ避難してきたのではないかな。小さな犬をたくさん連れてきた人もいた。


 きょうは久しぶりに金山でネットカフェによって、ウーロン茶を楽しんだ。気分が晴れてきた。通勤の途中で休憩する安らぎ。

 今朝はたいへんな道路工事をしていたけれど、通勤の途中でもまた道路工事をしていた。

 景気対策かな?

 学校に到着寸前。空を見ていく。

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 図書館で新聞を読もうとしたら、学生がすぐ横に来て、大きな声で喋るので遠くへ避難。避難してもその声がこっちまで響き渡っているので、けっきょく新聞を読むのは諦めた。誰も注意しないのだ。
 図書館関係者は以前上司に聞いたところでは、「学生には注意したがらない」といっていたけれど、若い人に注意するということは、教師の一つの資質である。また図書館関係者特に経験では、専任じゃない人は、静かに新聞や雑誌を読んでいる先生には、けんのある顔で、同じ机の椅子や、本、新聞などを整えるためにヒステリックな音を立てて、これは嫌がらせと受け取れたけれど、あきれる。



 図書館関係者というのは、特に専任じゃない人はまったく教育者ではないということだ。図書館の専任じゃない職員はまるで日本社会そのものを見るような感じがする。


 授業はうまくいった。授業前と後で小説もひとつ完成させた。

posted by superbird at 23:11Comment(0)仕事

『学校帰りのバスの中で思ったこと』(181022)

 きょうはふつうの座標軸、x-y平面を使って、一次元(x方向)の物体の運動に当てはめて、解析する授業をした。x-y平面をx-t平面にし、縦x[m]と横t[s]軸にして物体の運動を調べるという、中学生でもできることなのだけれど、大学生向けに将来の発展を視野に授業をしたわけだ。

 そこでわたしが、脱線してふれたのは、物体の運動は、
「このように時間軸とセットである」ということだった。
 傾き、すなわち速度を考えれば、ある程度分かる。

 時空は一つになって物体の運動は存在するということであった。

 単純に、
「時間が存在しないと物体の運動はない」ということ(断言してはいけないことだけれど)、そのように方便として話した。

 きょうはなぜか疲れていて、バスの中でいろいろ思った。

 その中で苦楽のことが思い浮かんだ。

 本山博という先生は、かつて、
「文学者というものは分かったようで分からないことをいう」と書いておられた。

 そういう前提でいえば、
「人生とは時空を消していくことの必要性に気づくことである」ということもできる。




時空有り苦有り楽有り生死有り

生老病死仏の教え


posted by superbird at 23:36Comment(0)仏教

『今度は空気抜きの配管に穴が開いていた』(181021)

 台所にある配管に穴が開いていた。二箇所もあった。はじめは一箇所かと思ったけれど、驚いた。上下階に通じる配管で、空気抜きみたいになっている。そこから汚い空気が漏れていたのだ。

 修理にはまる一日かかる。前に水漏れで交換したほうがいいといわれていたところなので、間違いないわけだけれど、先日、下の隣の部屋が同じような配管の交換を半日でやっていたので、「やって」といえば半日でやってくれそうだ。しかし半日自分が立ち会っていくらになるのか、自分で修理用の部品とかを買ってきて直したほうが安いのではないか。自分で一二時間かけて直したほうがいいのだ。

 散歩に行って休憩していてそれ以外にもいろいろ考えた。順風満帆に見えるようなときは案外事件、あるいは事件に近いようなことが起きる。それはそれでいいのだ。忙しいときにそうしたことがおきたら本当にたいへんだから。いまは後期で授業が少ないので、こうしたことが起きるのだ。

 高校教師時代、難儀なクラスがうまくいったなと思ったら、いままで何もなかったようなクラスが問題を起こして苦労したりということは日常的だった。

 一つの苦労のおかげで、他が順調ということもある。ことわざの一病息災といったようなことだな。



いろいろな苦労があって人の世は

無事に暮らしていけるものかな




注:夜、部品類を買ってきて、晩ご飯を作りながら、修繕に取り掛かった。そしたらなんと穴は四箇所もあった。急に気持が固まった。しーんである。もうボロボロといえる。やり方変更。一箇所、地震などが来たらゆれて配管が継ぎ目から離れているので、完全に固定するような修繕は無理と判断した。多少動いても気体がもれ出ないようなふうにしないとだめである。

 一応応急的にやった。頭がものすごく疲れた。あすまた補強するような修繕をする予定である。明日は仕事があるので、暇がない。

posted by superbird at 16:10Comment(0)暮らし

『掌編小説を書いていた』(181020)

 この二三日、掌編小説『CELEBRATE(旧題名国際雇用事業団)』というSFの掌編を書いていた。

 きょうまたESTARというサイトに投稿した。


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『CELEBRATE(旧題名国際雇用事業団)国際雇用事業団』という題がついてついているけれど、「タイムマシンを買った」というシリーズの三つ目で、
「悪のタイムトラベラーによって狂わされた現在を修正し、幸福な世界を実現する」というお話。

(注:『国際雇用事業団』という題は後日『CELEBRATE』に変更した。)

 このSFは未来の出来事という雰囲気になっているけれど(作者はそのつもり)、
 現実社会ともちろん関係している。

 その一つの種を明かせば、作者の心理的な面持ち、官僚主義と民主主義の関連、
「国や自治体が貧しくなって、民が豊かになって、世界は幸福になる」ということ(小説内)に反映しているな、
 ということである。

 安倍政権のお抱え経済学者、浜田宏一(内閣官房参与)氏は、二三年前かな、
「国が豊かになって民が貧しくなっては意味がない」といって現状を半ば嘆いておられた。

posted by superbird at 01:47Comment(0)小説

『外出』(181019)

 外出の空。

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 久しぶりで四季咲きの桜の花を見た。

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 たくさん咲いていたので、近寄って写真でも撮っていく。

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 ラジオ体操もなかなか都会ではゆっくりできなくなった。あちこち出かけていって空いたところでゆっくりラジオ体操をする。子供が多すぎる。

 空いたところでゆっくりみっちりやることが大切である。そわそわ人を気にしてやると、体操というものは逆効果になるのである。

 月が出ている。

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posted by superbird at 01:34Comment(0)暮らし

『きょうは天気が良い』(181017)

 きょうは五時間弱寝れたのでけっこう楽。朝7時ころからミントの香りが部屋に入ってきて強烈なので、苦労している。

 散歩に行く。

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 出勤の空もまあいい空といえる。きょうは快適な気候である。

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 自転車のある駐輪場前では、赤トンボが数匹、機敏に舞っている。


赤蜻蛉出勤朝に舞っており



 学校では萩が咲いている。その辺の雑草みたいのとはちがうようだ。

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 授業直前、聖煎茶を飲んで気分を整え、半分行き当たりばったりの授業に臨むわけだ。

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注:生徒が中心である。こちらから授業をするというふつうの大きな教室での授業とはちがうのが学習支援での授業といえる。そうでない先生もいるかもしれないけれど、わたしは生徒の進度、それにその生徒を担当している大学の物理の先生やその課題やレポートなどなどを考え、後半になれば、試験対策も含めて、その場で生徒に話を聞き、半分行き当たりばったりという、言いにくいけれど臨機応変とも言いえる、そういう感じにしているのだ。

 教科書があって先生のペースで進めていく高校時代の授業は、生徒を思って進めるとしても、先生の自由度が高い。生徒の反応が予測不能であったとしても、主役は所詮生徒と自分教師である。そういう面では楽である。大学のこの半分行き当たりばったり臨機応変授業は、主役は生徒とはたして他にどこにあるのか、何人もいる物理の先生とわたくしを含めたおぼろな面があり、ここで生徒の前にいるわたくし教師にしてみれば無工夫が最善であるということを学ぶいい機会である。

posted by superbird at 12:56Comment(0)暮らし