『アリクイの故郷』(190106)

 昨年書いた掌編SF小説。きょう遅まきながら、ESTARへ投稿した。


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アリクイの故郷のカバー



 世界が平和であるために、アリクイは蟻を食べる。命を永らえるアリクイは、夢となって世界平和のために蟻を食べて、夢の中の生を楽しんでいた。脳死になった植物アリクイのアリーのお話。

 人間の環境保護政策で絶滅危惧種を死なせるわけにはいかない。手厚い予算によって、アリクイは命を保ち、脳死になっても死ぬことを許されない。そんな現実が生んだアリクイのアリーの夢である。






posted by superbird at 00:09Comment(0)小説

『いまは花がないのでスーパーの花屋さんを見て行く』(190104)

 なんという花か知らない。

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 花を見て買い物に。

 オーガニックのもやしを一つ、納豆を一つ、安くなっていた低脂肪乳1L、ヨーグルト用に。

 総じて気分が乗らないので、本の立ち読みはほとんどなしで、家へ帰る。

 夜なので人のいないところを適当に見つけ体操をし、ジョギングをした。

 老化というのは、運動で防げるということが雑誌「NEWYORKTIMES」(1997年)に載っていた。すっかり、いや半分くらいは忘れていたけれど、運動とストレスのさじ加減もむずかしいものである。

 とにかく、ストレス社会の運動は血がにごるけれど、人の社会、人間から解放された運動は老化防止というよりも健康増進のために必要だ。


気功して一人楽しむ平安が

満ちて広がる時の彼方へ




posted by superbird at 23:35Comment(0)暮らし

『どことはいわないけれどいまの社会は素人が働いてたくさんの金を稼いでいる』(190104)

 きょう(四日)は散歩に行くとき御嶽山が見えたので気が休まる。

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 きのうはおよそ天気は平和なものだったけれど、人間には傷つくことがままあった。小さな子供とか、まだ若い店長とか、彼らは無知なのである。小さな子供は無邪気なものだけれど、社会で金を稼ぐ立場の人が礼儀も知らずサービス業の店長をしていることがままあるのが、いまの社会である。いわゆる素人が社会人として働いてサービス業をしかも店長などをしているのである。

 東京オリンピックに際してよく「おもてなし」という言葉を聞くけれど、名古屋にはあまりないかなと。少なくとも庶民の行くようなところは、ないのかな。でもすき家とか吉野家とかはまだましだなとか、コメダはあるかなとか。


盲目の間違った人に傷つけば

我が平安の道を拓かん





 夜になって買い物もすませて、後に思ったのだけれど、どうやらこれは、「十羽一からげ」の仲間じゃないかなと。


まるで日々劣化していく社会かな



 例えばむかし、教員免許の更新制度が導入された時、ごく一部の先生の資質や、更新制度の中身と直接関係ないような先生の不祥事やなどが導入の口実になり、
「教員免許は(医師の免許同様)一生もの」という制度の下取得した約束みたいな免許が反故にされてしまった。

 つまりほとんどの先生方は大迷惑をこうむったといえる事件があった。これはどういうことかというと、いわば性悪説に基づいて、つまりごくたまに悪い先生がいるからすべての先生に平等に「教員免許の更新制度を導入するべし」ということになったのだ。

 こうしたお上のすることが庶民の間にまで広がってきたので、
「すべての庶民消費者に平等なサービスを」という前提で、お店はお客さんに対応するようになってきた。非人間的な対応がそこには多くみられることになっても、
「すべての庶民消費者に平等なサービスを」という前提が幅を利かせて、結果善良なお客さんへのサービスをも劣化させることになっているのだ。

 抽象的で分かりにくいかもしれないけれど、端的に言えば、人間関係、信頼関係が崩壊しているのだ。

 お店がお客さんと「人間関係、信頼関係を築けない」から、「悪い人間を基本に」お客さんと対応する。これが日本のいまの社会ではないだろうか。少なくともこのあたりの名古屋では。案外高級な店ほどこういうことはない。ところがいま日本は貧困層も増え、低級化しているのが現実だ。

 だからこうして社会は劣化していく。悪い人間を前提にした社会というのは、そうとうに息苦しいというか不便で不愉快な社会になっていくだろう。


まるで日々劣化していく社会かな


posted by superbird at 18:26Comment(0)暮らし

『2019年は激動といえども振り回されないことである』(190102)

 ニュースを見ていたら、
「愛知県内の2018年の交通事故死者数が189人で、16年連続でワーストだけれど68年ぶりに200人を下回った」ようで、
「ほお~、減少したのか」と思った。

 お巡りさんがけっこう地下鉄駅の出口辺りで目を光らせているので、そういうことも功を奏したのかなと思った。何しろ昨年は地下鉄駅の出口辺りでは車が横断歩道で止まったりするようになったのだ(御殿場駅前とかと同じ)。

 しかしその後、ニュースを追えば、こと名古屋といえば、
「昨年より17名(だったか?)増えた」という。

「なるほど」やっぱり名古屋は増えたんだなと、自分の感覚と一致していたので妙に安心した。

 きょうは新聞がないので、朝日新聞の元旦のを読み、
「平成の三十年をさっと振り返り」、
 小林よしのりの漫画(ごーまんかましてよかですか)というのを読み、
「この人昨年は二つも病院にお世話になってたいへんだったんだな」と思った。

 前者について言えば、昨年からの日経新聞も特集していたけれど、それ以前の三十年と比べると災害も多く暗い三十年だったな、後者について言えば、自然災害的な酷暑もあったし気候変動の激しさ、日本ってこれで温帯なの?という感じで、小林さんだけじゃなくて、みんなけっこう身体に不調を訴える年だったんじゃないかと思った。

 池上さんとか、マスコミから聞こえてくるのは、
「2019年は世界は激動」そして「わたしたちにとってもたいへんな年になる」というけれど、たしかに政治経済はたいへんだろうけれど、今こうして三十年を振り返り、歴史をかんがみれば、みんな長き苦難を経験してそれぞれに賢くなり、平成も終るし、冷静に自分の立ち位置を確認して歩いていけば、(次の三十年を含めて)新しい年は多くの人にとってはいい年になるんじゃないかなと思う。

 たとえば、マスコミやネットの言葉足らずな間違ったような文章や、フェイクニュースなどよく目にするようになったけれど、善人ならば、世間と自分は同じじゃないという生き方ができれば最高である。

 そういえば朝日新聞には養老猛司さんと漫画家のヤマザキさんの対談があった、
「いまって民主主義と言いながら、批判とか風刺を許さない窮屈さがありますよね」(ヤマザキ)
「僕が見ていると、今は戦時中の日本とそっくりです」(養老さん)

 まあそうでしょう。



死ぬまで働けという風潮は

戦中一億総玉砕か


posted by superbird at 12:24Comment(0)暮らし

『これまでの豊かで便利な世の中のための技術がこれから人類の幸福のためにはというベクトルに』(190101)

 きょうの新聞では、どれも未来の話が目に付いた。AI社会とか、シンギュラリティー(人工知能が人間の脳を超えるとき)がいつ来るかとか。

 そのとき人類にとって技術は、
「人を幸福にするだろうか」という不安が紙面の背景に透けて見える。

 などと夜になってわたしも思索し、次のようにも考えた。
(これは昨年末に書いた掌編小説(『アリクイの故郷』)と重なる部分もあった)



人類とは幸福とはと訊ねれば

利他で臨んで自利で超えてく



posted by superbird at 01:52Comment(0)哲学

『年賀状を出してほっとする大晦日』(181231)

 きのう年賀状を七枚書いて出した。これで終ったな、と思ったら、きょうまだ二枚出す予定だったところに出していないことに気づいた。

 きょう昼ごはんを食べながら洗濯をし、買い物(すき家の山芋11個)に行って、それから家で二枚書いて、外出のついでに投函した。

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外出の時に見えた御嶽山は夕陽に染まっていた。



 これで終ったな。

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年賀状書けば今年も富士が見え




posted by superbird at 00:13Comment(0)暮らし

『頬がはれたけどいちおうふつうに散歩』(181231)

 左の頬がはれているけれど、いつもどおりという感じで散歩に行く。

 御嶽山が見えているので見て行く。

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 いつもどおりに散歩をして帰る。

 空がいいので、見て行く。

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 人がいたけれど、そこそこ気兼ねなく空を見ることができた。

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 人が騒いだりして遊んでいる頭の上に広がるやすらぎ。
 
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posted by superbird at 00:00Comment(0)散歩