『どことはいわないけれどいまの社会は素人が働いてたくさんの金を稼いでいる』(190104)

 きょう(四日)は散歩に行くとき御嶽山が見えたので気が休まる。

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 きのうはおよそ天気は平和なものだったけれど、人間には傷つくことがままあった。小さな子供とか、まだ若い店長とか、彼らは無知なのである。小さな子供は無邪気なものだけれど、社会で金を稼ぐ立場の人が礼儀も知らずサービス業の店長をしていることがままあるのが、いまの社会である。いわゆる素人が社会人として働いてサービス業をしかも店長などをしているのである。

 東京オリンピックに際してよく「おもてなし」という言葉を聞くけれど、名古屋にはあまりないかなと。少なくとも庶民の行くようなところは、ないのかな。でもすき家とか吉野家とかはまだましだなとか、コメダはあるかなとか。


盲目の間違った人に傷つけば

我が平安の道を拓かん





 夜になって買い物もすませて、後に思ったのだけれど、どうやらこれは、「十羽一からげ」の仲間じゃないかなと。


まるで日々劣化していく社会かな



 例えばむかし、教員免許の更新制度が導入された時、ごく一部の先生の資質や、更新制度の中身と直接関係ないような先生の不祥事やなどが導入の口実になり、
「教員免許は(医師の免許同様)一生もの」という制度の下取得した約束みたいな免許が反故にされてしまった。

 つまりほとんどの先生方は大迷惑をこうむったといえる事件があった。これはどういうことかというと、いわば性悪説に基づいて、つまりごくたまに悪い先生がいるからすべての先生に平等に「教員免許の更新制度を導入するべし」ということになったのだ。

 こうしたお上のすることが庶民の間にまで広がってきたので、
「すべての庶民消費者に平等なサービスを」という前提で、お店はお客さんに対応するようになってきた。非人間的な対応がそこには多くみられることになっても、
「すべての庶民消費者に平等なサービスを」という前提が幅を利かせて、結果善良なお客さんへのサービスをも劣化させることになっているのだ。

 抽象的で分かりにくいかもしれないけれど、端的に言えば、人間関係、信頼関係が崩壊しているのだ。

 お店がお客さんと「人間関係、信頼関係を築けない」から、「悪い人間を基本に」お客さんと対応する。これが日本のいまの社会ではないだろうか。少なくともこのあたりの名古屋では。案外高級な店ほどこういうことはない。ところがいま日本は貧困層も増え、低級化しているのが現実だ。

 だからこうして社会は劣化していく。悪い人間を前提にした社会というのは、そうとうに息苦しいというか不便で不愉快な社会になっていくだろう。


まるで日々劣化していく社会かな


posted by superbird at 18:26Comment(0)暮らし