『きょうはお葬式で朝早く起きた』(190226)

 きのう電話して葬式の時間を確認したらなんと朝9時半からといわれたので、
「え~っ」と思った。

 通勤電車に乗っていくのかな。朝6時には起きないと間に合わないな。たいへんだな。

 きょうはひさしぶりに早朝の散歩だ。散歩しているメンバーがいつもとちがう。家族連れがいなくて、ご老人が健康増進のために力強く歩いているのが気持よかった。

 案外朝早いといいんだ。

 月が出ていた。

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 家でいつものように作っているより15分は節約できるので、すき家で朝ご飯を食べていくことにした。

 ご飯はミニにして山芋130円ひとつをトッピング。

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 23日に病院で息を引きとるところにいたので、そのせいか、お葬式ではそれほど悲しみはなかった。
(花を手向けるところではみなさん同様涙が出てきてしまうのはしかたないところだった。)

 葬儀場で形式的なことをし、八事の火葬場で骨を拾ったり、葬儀場に戻って精進落しという食事をしたり。

 葬儀の悲しみを離れてみなが楽しく食事をすることで、死者の冥福を祈ることになるのだろう。残された遺族の人たちが悲しみに沈んでいると、故人も苦悩することになる。故人は生前立派な方だったので、この世にとらわれることもなく、自由な世界へ向かって進んでいくだろう。

 なんかそんな気がした。

 最後は白米のご飯と漬物で、そのあと希望者にはコーヒーがあった。

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 辞退する人も多かったけれど、ホットコーヒーを一杯飲んだ。

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 やはりお年寄りが多いわけだけれど、寄る年波には勝てないという印象はあった。知っている皆さんが何年かぶり出会えば年を取り、いっぽうで故人のお孫さんがもう社会人で働いていたりといった、人生の希望ともいえる上り坂を歩んでいる光景も目にした。


 葬儀場をあとにすると、
「長かったな」と。時計を見ると5時間半くらいようした。


 帰り道、まだ明るいせいか、ふだん見ることのなかった梅の花を見ることができた。

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白梅や葬儀の後の輝きよ


posted by superbird at 20:39Comment(0)暮らし

『ストレスはいやだな笑いヨガ』(190224)

 きのうは伯父が危篤だというので、電話を受けて食事をすませ風呂に入って、東部医療センターまで直行した。

 池下の駅を降りると、なんとバスがないのだった。道はおよそ分かるので、走りに走った。息せき切って走った。病院について、受付で聞き、4Fに上がって、またナースセンターで聞き、部屋に入ると、
「いま!いま!」と部屋にいた伯母さんが言った。「いま息を引き取ったとこ」

(そんなばかな)



 お世話になった伯父だし、高校も大学もわたしの先輩になる人だった。その後いとこ(伯父の子供)と話していて子供のころ豊橋から電子部品を買いに名古屋へきたわたしを案内してくれた。そんな楽しい思い出がよみがえった。


 その後何時間かいろいろあった。病院から葬儀屋さんが遺体を運び出すころまでいて、わたしはひとり、家の近くまで帰ってきたのが9時半ころ。途中の東山でももうスーパーは閉まっていたので、ろくな買い物はできなかったので晩ご飯は家にあるもので何とかすませた。

 伯父はすい臓がんがはじめで肝臓に転移していたみたいだ。世間のニュースを見聞きしているとすい臓がんがさいきん多い。もっと生きてもよかったとわたしは思った。

 たとえばサプリで元気に暮らしていても、薬で元気に動けても、それにあまえて「うまいうまい」と食事が化学物質に汚染されていてもたくさん食べてしまうとか、洗剤の抗菌剤のにおいにふれていても気にならないとか、柔軟剤や芳香剤の香料に平気でいるとか、そんな汚染された環境がいろいろたくさんあるけれど、社会がそれに受け入れて文句を言わないことがよくないのではなかろうか。

 現代人の内臓はストレスと化学物質で慢性疲労状態になっているといえる。だからすい臓がんが多いのはストレスと化学物質で社会が濁流になっているからじゃないかな。


 きのうはわたしも悲しみにくれて疲れた。胃が急に弱ったみたいだ。きょうもまだ回復しない。それでもいつものように最後は買い物をして気功もしたので、今晩はおいしいものを食べるぞ。


笑いヨガにしんの煮物牡蠣フライ

食べて寛げ晩ご飯かな



posted by superbird at 02:01Comment(0)暮らし

『帰りのバスの中でまあ幸せな旅だったなと思う』(190220)

 ほとんど相国寺と御所でかなりもう時間がなくなっていて、しかもコインロッカーを入れたのがまた勘違いがあって四条河原町だったので、戻って荷物を取り、京都駅に出るのにそれはしんどい思いをする羽目になった。重い荷物を手に持ちリュックを背負いたくさん歩いたり階段を上り下りするのだから。

 ネットカフェの外にあるコインロッカーは200円で格安だったけれど、けっきょく高くついた。

 京都駅でのんびりネットカフェとかで休憩する暇がないので、人目を避けて階段に一人座って休んでいく。

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 御所の一般公開を見てくればよかったかなとも。

 だんだん天気が回復してきた。青空が見える。

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 いつもバスの予約チケット売り場に隣接する進々堂でサンドウィッチを買ったりするけれど、きょうもそういうことになりそう。

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 高速バスの中で食べる卵サンドは、なぜかものすごくうまく感じだ。ホテルの朝ご飯がひどかったせいが大きいと思う。いつもは朝食バイキングで健康的なものを選んでたくさん食べていたのに、いかにも不健康な安物の弁当だったのだ。

 駅で買った291円の卵サンド。

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進々堂卵サンドの旨さかな



 ホテルの電子レンジで焼いたサツマイモ、バナナ一本、野菜ジュース二本(朝ご飯の時もらえた)、これらを卵サンドのあと次々食べた。頭が疲れてぼんやりしているせいか、たんにバスに乗ってのんびりしているせいか、バスが止まって(名神八日市で)たくさん人が下りていったので、(名神多賀で)休憩なのかと思ったら単なるバス停だった。

「お客さん!」と運転手さんは目をむいて叫んだ「八日市ですよ!!」

 危うく降りていってしまうところだった。

 帰りがバスの旅というのは人が少なければ、いろいろ考えることができるのがいい。



posted by superbird at 18:15Comment(0)

『京都には愛すべき文化があるけれど変わったな』(190220)

 きょうは相国寺へ行った。ホテルから歩いていった。はじめは地下鉄で行こうと思った。途中古本屋があって覗くと、広重の版画があった。

 トビウオである。青い。

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「赤尾照文堂より」


「15000円かあ」15000円(?)だった。

 こころ惹かれる思いがしばらく続いた。

 ほかにもだれそれのなかなかこころ惹かれる梅の肉筆画があった。これも腕組みしてしばらくながめていた。実はきのうも壬生寺へいくとき、どこかの大きな会社のウインドウに同じ作家とおぼしき梅の絵があった。なかなかにいいのだ。

 名古屋ではこういう場面に出くわすことはない。

 さらに歩いていくと、大きな観光案内所があったので、立ち寄って、
「相国寺に行くんですけれど、その辺りに何か他にいいところはありますか?」と聞いてみたら、
 片手を上げて思案しながら、
「ここから歩いていって、御所を散策してはいかがですか。ちょうどいま梅が見所です。ここから二十分くらいです」という。
「ああ、そうですか」とわたしは梅が見所という言葉に心奪われてしまった。
「ええ、このあたりです」とその年齢的にはもう引退後とも見受けられるご老人は地図を指さしていった。
「はあっ、そうですか」とわたしはいいかなと思った。
「御所は一般公開中ですから、散策しながら出かけたらいいんじゃないでしょうか」

 御所まで歩いて二十分、御所の端から端、御所は広いので相国寺までまた二十分。けっきょく歩いていくことにした。けれど、疲れるのだ。

 御所の中でもう疲れてしまった。大木があちこち倒れるままになっているのには驚いた。昨年の強風台風で倒れたままになってるのか。名古屋の牧野ヶ池緑地よりある面ひどい。

 倒れるものは倒れるままにしておくのが自然といえば自然で、これが正しい管理という言い方もできる。もちろん意味があるからこうなっているのだ。

 昨夜3時過ぎまで本を読んだりメモを書いたりしていて、歩いているともう疲れて駄目なので、ベンチで寝ることにした。空は回復してきていて、青空が見える。日差しが暖かい。

 歩き始めると白の混じった小鳥が一羽。逃げることなく目の前にいる。珍しい小鳥である。

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「これはにげない」

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 人が来ると逃げていった。


 御所を出て道路を渡り、同志社大学のふちを回るように歩いて、遠回りになった。

 相国寺にようやく着いた。

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 以前の知っている禅寺とはちがっていた。
「ここは禅寺じゃないな」と思った。

 救急車の音が耳につき、外の音もうるさいし、境内だというのに自転車が道路を行くみたいにひっきりなしに走っている。通勤通学の道路である。
 関係者以外の車は入れないとあるけれど、関係者の車だとしても中を走っているのは気に入らない。おそらくいろいろあって座禅によって出てくる雰囲気がないのだ。

 雰囲気がないせいか、日本人観光客が禅寺を味わっていない。

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 法堂。

 法堂(はっとう)は住持(住職)が僧に説法をするところである。本尊の釈迦如来がおられる。

 開山が夢窓疎石だとは知らなかった(というより何度か来てだいぶん前には知っていたけれど、さいきん忘れてしまっていた)。


 美術展があるようだったけれど、興味がわかないのでUターン。

 一本の白梅の木が満開で、この白梅だけがじっと見つめていればその美を無言のうちにかもしている。

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 すずめが境内の道にいる。名古屋の散歩道とあまり変わらない光景である。

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 ここは変わったな、と何度も思う。

 さっき「雰囲気がないせいか、日本人観光客が禅寺を味わっていない」といったけれど、
 観光客に禅寺を味わうこころがないから、禅寺の雰囲気がないともいえる。

 外国人が視線をちょろちょろするのも駄目である。ここは遊園地じゃない。遊園地と同じベクトルで来られても困るところである。彼らは日本文化を理解する下地がないので、門外漢である。

 日本人が教育を受けてなくて禅寺を理解できず暴れたりするのは門外漢というより、いかれたやつという感じがするけれど、外国人はそれとの比較でいえば門外漢である。


相国寺門外漢の鼻が見え



 再び御所へ戻ってまた疲れたので、人の来ないようなところ、松の木の根元で寝た。今度は少し本当に眠った。




posted by superbird at 02:41Comment(0)

『けっきょく京都は都会なのだ』(190219)

 業務スーパー(三条川原町)へ買い物に行った。ホテルから出てすぐなので、かっぱ寿司とあわせていつも利用する。

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 京都にもある業務スーパーだけれど、名古屋とちがうのは、値段の安さと商品を入れてくれる買い物の袋の丈夫さ、そして店員の人当たりのよさである。

「なにこれ?」

 名古屋の買い物のあの袋は、印刷は同じだけれど、あまりにも薄くてすぐにやぶれてしまう。同じお店とは思えない。

 値段もちがうのが不思議、まあ場所がちがえば物の値段がちがうのは当たり前かもしれないけれど、京都が安くて名古屋が高いということである。これは名古屋が暮らしにくいということではなかろうか?

 店を出る時、
「京都に住みたいな」と思った。

 名古屋ではお店で買い物をしても程度の差こそあれ、比較してお客さんという雰囲気がないといえる。けっきょく京都は都会なのだ。

 都会ということは買い物袋も丈夫で使いやすく、値段もぼったくらず、そもそもそうしたことがどこから来るかといえば、人間の質がいい、文化・教育レベルが高いからということだろう。


買物を終えて京都のよさを知り


 持ち帰ったかっぱ寿司のねたのサイズも名古屋とちがって小さいなりにも大きい。かっぱ寿司は京都で食べるにかぎる。

 ホテルでかっぱ寿司を食べ、朝ホテルでもらった野菜ジュース、ジャガイモを電子レンジでふかし、納豆2パックともどもすべてをカレーに混ぜ、ニシンも入れた。カレーは2パック。

 今朝の弁当の白米をすこしだけ、食後にきのうやはり業務スーパーで買ってきたクルミを食べ、紅茶を飲んで満足の晩ご飯だった。

 野菜ジュースを入れたカレーがこんなにおいしいとは思わなかった。などとクルミをかじるように噛み砕いて食べて思うのだった。


晩ご飯食べて京都をジョッギングし


posted by superbird at 00:00Comment(0)

『雨が降ったので歩いて壬生寺まで行った』(190219)


 ホテルは朝ご飯がバイキングのはずだったけれど、改装工事中で、お弁当になっていた。そこらへんで売っている「サバの塩焼き弁当」298円というような弁当よりひどかった。


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ホテルの朝ご飯弁当(フライは魚じゃなくてチーズで包んだ何か)



 こういうこともあるかなと。さほど驚かなかったというか、無感動というか。

 ドリンクバーもないので、紅茶とか緑茶とか、スープとかはなくて、ただコーヒーはあった。

 それから缶ジュースとか缶の緑茶とか。サンドイッチのお弁当もあったけれど、貧相でいうべきことは何もなかった。

 ここは朝食バイキングが売りのホテルなので、みんなどう思ったのかな。

 朝部屋にいると、9時くらいから工事の音が響いてきて、
「これじゃあな」と思った。

 テレビをつけたら都心でワシミミズクが話題になっていた。ペットが野生化しているようだ。野生化が早いとか、一時的に保護するには違法でないとか、捕まえて飼育してはいけないようだが、ペットが逃げたのを飼育してはいけないというのは、もとの飼い主ではないからだろうか?
 日本にもワシミミズクの野生がいるのだろうか。(北海道にはいるらしい)

 まあ気持を入れ替えるにはいい話題だな。


都心ではワシミミズクが舞っている



 きょうは朝から雨になったので、予定を変更して、壬生寺へ行った。お地蔵様のお寺である。一夜天神というのもあった。

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 歯薬師如来様もおられる。微笑んでいるお顔が「ははは」と笑っているようだということだけれど、口を開いているようには見えなかった。でも歯の病に霊験があるらしいので、素直にお参りした。

 人間素直が一番である。古い文献などを見るとき、むずかしく考えてあれこれ解釈するより、たとえば仏祖とあれば素直に仏祖と考えればいいのである。

 人間それぞれに応じてきっと正しい仏祖がわかるだろう。

posted by superbird at 16:26Comment(0)散歩

『久しぶりに旅行にでかける』(190218)

 夏以降歯の調子を気にしていてどこにもいけなかった。ようやく京都へ行く日が来た。

 名神多賀SAで10分休憩。

 きょうも見えている雪の残った山。

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 休憩のあとは、司馬遼太郎の大盗禅師という歴史小説を読んでいく。幻想歴史小説というものらしい。

 仏典の類を読まずにいくのは珍しいけれど、明の仙人がでてきたり、日本の歴史に弱いので、意外に面白く、あっという間にバスは京都に着いてしまうのだ。

 小説の中というのはこれは理不尽のオンパレードだけれど、目の前の現実も、考えてみれば同じだな。

 昨年の12月、京都深草のバス停は廃止しました、とホームページにあったのに、今も書いてあるのに、ちゃんと駅バス停はあって、お客さんが降りていった。

 こういうことがさいきんやたら多い。

 小説との比較でいえば、つまり日本社会は現実と夢の世界の区別がつかなくなっている。これはいわゆる発狂しているということである。

 目の前の現実世界を真剣に生きていないと、こういうことになり、精神に破綻を来たす。夢の世界につかまって、現実世界を生きることができなくなるのだ。

 こういうのを精神病という。何かをきっかけに現実世界に戻れなくなってしまうからである。

 こういう社会とは一線をかくして生きていくのが無難ではあるけれど、現実はなかなかね、そうはいかないところが、人間というもので、生きるということは寄る辺ないもので、ゆえにそこここに、幸福が遍在しているのであろう。

 四条烏丸から四条河原まで歩く。

 月がホテルのまえに昇っている。

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 はてさて世界というものは「狂っている」といわれれば言い訳をするものである。ホテルの部屋で新聞をひろげると、片隅に小さく横浜国大の行ったインフラなどへのサイバー攻撃を調べる実験の記事があった。

 昨年10~12月の3ヶ月間(水道、電力、航空など30のインフラ施設を見立てた仮想遠隔制御システムを構築しサイバー攻撃の有無を確認する実験というものを行うと)システムの数値を改ざんしたりシステムを改ざんして停止に追い込むなどのサイバー攻撃を12回受けたという。

 もしそうなら、名鉄やJRなどの(陸運のインフラ施設の一つである)ホームページもサイバー攻撃を受けて改ざんされてしまったということも可能性としてはあるわけだ。

 え~っ?

 HPで2018年12月に廃止とうたっておりながら、現に2019年の2月18日のきょう、深草のバス停が存続しバスが停車し、人が降りていくという矛盾は、HPが改ざんされたことに気づかない関係者の無知というか、気づいても修正しないですます近ごろよくあるサボリというか、
「べつに矛盾していても平気さ!」みたいないい加減さが、存在するにしても、一歩退いてこうしてながめてみれば、(サイバー攻撃を含めた)この世界は正常ということもできるのだ。



月が出て新聞読めば頓悟かな




posted by superbird at 16:02Comment(0)

『夕方散歩に出た』(190216)

 食後、通販の荷物を受け取って、夕方散歩のために外出。

 月が見えていた。

 カメラのタイマーの使い方がよく分からないので、じゃっかんぶれてしまう。

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posted by superbird at 02:41Comment(0)散歩

『心の貧しさは知性の低下を招く』(190215)

 きょう来た分配金の支払い計算書をながめながら、株の配当金(REITの分配金と同じ税率)が20.315%税金で引かれても、不愉快になりそうなところをいつもは、
「これもお国のため、国民のためになっているんだ、わたしのような低所得者が20.315%!こんなにたくさん社会に貢献しているんだ」と思えば笑って納得し満足もできるものであるけれど、きょうはいつもとちがって、現実は誰のためになっているのか、国が作る姑息な税制のもと底辺を見つめて将来を考えて辛苦する自分の境遇からすると、すなおにお国のためにと納得できないことは悲しいことである。

 政府官僚のしてることは当然国の存亡に関わることだけれど、さっこんの統計の不正にしても、嘆かわしいことが目に余るのではないかと、わたしも新聞などを見て感化されたのか学習し、統計の重要性に気づかされ、統計の不正、統計に携わる者のモラルのなさ、人間の心の貧困を思わずにはいられず、最後には大いに笑ってしまったのだった。


税金はお国のためと思えども

国がああではと笑うことになり





注:姑息な税制というのは、地方税との関係を含め、複雑でなにが得なのか損なのかわからないからである。低所得者に税理士を雇う金銭的な余裕はないし、素人が何年確定申告していても、税制がけっこう変わるし、正しく対応できず、やってみたものの損をしていたなんていうことがあとから分かることが多い。

 損をしても修正申告をあとからする時間的な余裕もまた働いている庶民にはふつうわたしでなくてもないだろうし、姑息なことをしているというのが素直な感想になってしまうのだ。

 税制というのは高卒程度の誰でもが分かるように単純にするべきである。

『散歩に出かけて休憩』(190213)

 下の部屋の人がさいきん室内に洗濯機を置くようになり、洗濯する音が響いてきて、ちょうど二日連続寝ている間に音が響いてきて十二指腸が痛くなってしまった。部屋の間の壁や床のコンクリが薄いせいだろうけれど、うちの団地は洗濯機は室外に置くようになっているのだ。

 これも神さまの思し召し。散歩に出て休憩する。


ハッハッハッハッハッハッハッハッ笑いヨガ

カラスも一緒に笑っているよ



posted by superbird at 17:30Comment(0)散歩

『風呂に入って温まって夕方外出』(190212)

 夕方部屋を出てエレベーターに乗った。自分より年長の女性が途中から乗ってきた。体は冷え切っていた。半分痛みを、半分苦しげな気を出していた。

 着ているもの荷物などのかっこうからしてこれから仕事である。


冬にストーブを焚き風呂に入る

普通の暮らしが贅沢に見え



posted by superbird at 00:00Comment(0)暮らし

『食後の散歩のおおらかさ』(190211)

 きのう(二月十日)の朝ご飯は朝定食のサバだった。

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 サバが、しょうゆをかけてもらしい味がなくて旨くなかった。

 サバはある種臭みがあるし、適当に自然な下味もついていなかった。そのせいか旨くない。家で作っている煮物や焼いたのと比べてよくない。

 消化も悪かったので、きょうはいつものように納豆と卵の朝定食にやまかけを2個トッピングした。

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 お勘定書きをかくにん。550円。きのうの580円よりは健康的なせいもあってか、気分がいい。サバが不健康というのもおかしいのだが。

 優待券を持ってくるのを忘れたので、全額キャッシュになってしまった。豊橋へ来るとき、旅行に行くとき、何か忘れる。時間には余裕があったのだけれどな。



 すき家で食事して、眼鏡屋に寄って、100円ショップへ行こうと歩いていくと、100円ショップはなくなっていた。豊橋は田舎なので、どんどんこういうお店はなくなる。コンビニもまったくといっていいほどにない。PDFを印刷しようと思ったけれど、きのうからコンビニに出くわさないので、やりたいことができない。

 レストランとか軽食とかステーキ屋とか、食べるところは大通り沿いにはいくらでもあるけれど、あと車屋とか、しかし暮らしに必要なお店というのはなかなか歩いていける範囲にはない。

 仕方なしに、裏通りに入って散歩して行く。

 言いようのない落胆。GDP神話の世界では、企業は利益率の向上、あるいは市場の独占を常に考えて出店するので、豊橋は名古屋とちがって捨て置かれるようなところが多いのであろう。

 駐車場のかどの隙間に雑草の花が咲いている。昔というかほんの少し前までは名古屋にもこういうものがあったけれど、さいきんまったく見なくなった。


捨て置かれ裏道に咲く花があり


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 民家の屋根に遠く「ハトかな?」と思ったら、「ヒヨドリか?」。
 あれはヒヨドリだなとかつぶやいて歩いていく。あとで「(いや椋鳥だった)」

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 見ていると背中を見せて向こうへ行く。名古屋みたいにさっと逃げてしまわないところがおおらかである。

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椋鳥を平和の鳩と見間違え


 裏道のさらに裏道のような知らない細い道を歩いていく。

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 切り売りして残った畑を、昔農家さんだったようなお年寄りが世話している。

 これはぼけである。名古屋にもあったけれど、まったく見なくなった。

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 歩いていってまた別の、冬の畑の片隅の花。

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コンビニのない町だけど裏道を

歩けばさまざまな花があり



posted by superbird at 02:05Comment(0)散歩

『食後は散歩しかない』(190210)

 豊橋ですき家の朝ご飯のあとはいつものように車を避けるようにして散歩に出かけた。

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 さっき食べたすき家のサバはちょっとおかしいな。


 名古屋の車の運転はひどいものだけれど、豊橋もむかし日本が高度経済成長の時代、車の騒音やらふつうに速度違反やら、家が揺れるほどの車の走りやらなどがすごかったけれど、今回、
「むかしに戻ったな」と思った。

 裏道なのに一歩玄関から出ればすごいスピードで走っていく車もあって、思い出すのは母親にわたしが、
「日に当たって外を歩いたほうがいい」というと、
 おふくろは、
「危なくて外は歩けんじゃんねぇ」といっていた。

 その意味が分かった。

 おとしよりは少しでも太陽に当たったほうがいいというのが、少なくとも都会というか、自然の少ないところに住んでいる人へのアドバイスじゃないかと思うけれど、それがままならないのが地方都市といえども現実である。

 わたしはまだ足がしっかりしているので、かなり遠くまで歩こうと思えば歩けるし、道路経験もあるのでもし危ない車が来てもある程度避けることができるのでさほど気にならないけれど(油断大敵)、足腰の弱ったおとしよりには、外へ出て車と人が同じ道路を歩くことは、大げさなことをいえばいかにも自殺行為という側面もあるのだ。


 豊川沿いを歩く。

 これは名古屋にもあるけれど、ずいぶん粘りのでた蜜を出したような種になっている。

 まるではじめて見るような風情。

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 夏ならさしずめアリが来てむらがってきそうにも見える。

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 家に戻って庭のカリン。

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 一つとって食べた。


車と人の世界が交差しない

平和な住処は世界の願い






posted by superbird at 19:49Comment(0)散歩

『とらわれのない自由な空がうらやましい』(190208)

 先だってePUBファイルにしておいた『タイムマシンを買った』というSF掌編小説集を、きょうamazon-kindleで出しておいた。

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 特に感動はない。

 それよりも、きょうたまたま自治会の会長さんと話していて分かったことが悩ましい。

 団地の「10時過ぎ洗濯禁止」というルールを守らない人に対して自治会関係者の人が、まともに行動しない、他の関係者に何か言ってはくれるものの、(これは確かに情報の共有という面では一つの大きな成果ではあるけれど)誰も直接掲示板に張り紙するなり、ルールを守らず毎日のように夜11時半過ぎや早朝4時代に洗濯をして周囲の人を苦しめる当事者に口頭注意するなりをしてくれてなかったことが一つの悩みである。

 さかのぼればもう昨年の秋以前からこうした悪しき事実は関係者に伝えてあるのに。自治会関係者が団塊ジュニア世代になったこともルールが守られない、悪く言えば人に迷惑をかけてもいい自由でいいじゃないかというような無意識的な行動原理になっていることが大きいと思われる。

 きょう日経新聞の春秋という欄に、『太平洋海戦史』という著書を取り上げ、先の太平洋戦争での戦争を指導した政治家や軍人の「無為、無策、無感覚」によって、「強情、軽率、油断および怯懦( きょうだ)が災害を招いた実情は山ほど」と書いてあった。

 残酷で悲惨な言葉にできない敗戦は、けっきょく政治家や軍人の「無為、無策、無感覚」が大きな原因でもあったのだ。なるほどまことにこの人間社会というものは、新聞などでさっこんの社会情勢を見ていても、身近な団地暮らしをしていても、責任を持つべき人が無責任で「無為、無策、無感覚」であることを感じてしまうこのごろである。

 ひるがえって考えればさっこんの人間の無意識的な行動原理とは、社会的な「無為、無策、無感覚」ではないだろうか。

 人間が物事を真剣に考えていないことは明白である。それが日本の現実である。少なくともさいきんよくそうしたことが目につくような気がする。考えてみれば格差社会の進行とも関係があるのだろうか。格差社会では、上位1%とか2%とか国によっては5%とかの富裕層が、社会の富を独占しているとかいう話もあるけれど、当然の成り行きであるとも言える。

 だいたいにおいていいか悪いかは別にしてとりあえず法の下、世間の中で、長年にわたって富を築き上げてきた富裕層というのは、まっとうに努力してしかも社会に貢献してきた方々だと思うからである。

 そういう富裕層に向かって、「無為、無策、無感覚」な庶民はいわば外野であって、言うべき中身はたとえまともであったとしても、野次以外のナニモノでもないであろう。


空を見れば遠く御嶽山が見えており


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『食後のデザートでチーズケーキを見る?(これは詩です)』(190206)

  『食後のデザートで出てきたチーズはケーキ?』

 ナチュラルチーズ
 チーズケーキ?
 チーズケーキみたいなチーズじゃないか?

 いやちがう
 こんなナチュラルチーズがはじめにあって
 チーズケーキがナチュラルチーズみたいなのだ

 目の前にあるこのナチュラルチーズがあって
 チーズケーキが生まれたのだ

 ナチュラルチーズとは
 目の前にあるこの白くて
 さらに白い皮を身につけたやわらかな
 見るからに素敵においしそうな
 初めて見るチーズなのだ



注:JFLAの株主優待でもらったチーズの詰め合わせの中からナチュラルチーズ(made in France)を選んで食べたけれど、これはいままでに食べたことのないチーズだった。


 いままでの自分が貧しかったのだろうか
 それともこれがふつうなのか つまり
 人間は年を取るほど新たな体験をし経験を重ねる

posted by superbird at 20:57Comment(0)

『夕方二回目の散歩に出かける』(190206)

 団地の敷地内にいた野鳥。

 スズメくらいの大きさで、近くにスズメもいる。

 ちょっと目には区別がつかないくらい。

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 昨年も、やはり近くの団地にいたのと同じ野鳥。茶色の羽色がスズメよりも高級感がある。

 忙しいのですぐに行ってしまう鳥を追いかけている暇はない。


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 早足で散歩に出かける。

 いつのまにか時間が過ぎ去ってしまうのは春休みのせいなのか。



 
posted by superbird at 20:36Comment(0)散歩