『いまはむかしなのかワンダプレジデント』(190328)

 住環境が悪いことを理由に真夜中から外で休憩し、気功をした。予定どおり昼前に家に帰って歯を磨き、風呂に入り、ザめしやへ行って、遅い朝ごはんを食べた。

 途中帰り道、以前から気になっていた柴田勝家のお寺が目に入り寄って行くことになった。柴田勝家の坂道を上っていく。もう寝不足で疲れているので、半分朦朧としている。

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 柴田勝家のお寺というのは、実は柴田勝家の生家だった。

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 高校教師時代、柴田勝家の子孫という中学生を家庭教師で教えていた。案外この辺りには柴田勝家に縁のある人たちが住んでいるのだ。

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 イオンにたどり着いて買物をし休憩。


幸福の買物あとの一杯の

缶コーヒーの有難さかな



 休憩しながら今日の日経新聞を読む。新聞は真剣に読んでいかないとたまってしまうので、読み終えたものは捨てていくつもりで真剣に読んだ。

 手にあるのはワンダプレジデントという青色の缶コーヒーで、人口甘味料が入っていなくて、そのせいもあるのか、かつ自然な味のコーヒーを味わえる。

 いまはもうむかしなのか、このコーヒーは棚には並んでいない。処分品みいたいな残り物だけれど、わたしはこれが好きだ。あえてプレミアムという感じもするのだった。


選ばれし今日の一杯のコーヒーは

ワンダプレジデントプレミアムなりけり




posted by superbird at 01:03Comment(0)暮らし

『人はまず自分の部屋で平和に暮らせることが大切である』(190328)

 俳優で画家の米倉斉加年(まさかね)さんはかつて、
「戦争とは生きることを阻むこと。そう考えると現代にも形を変えた戦争がたくさんある」と書いておられた。
(2013年7月6日朝日新聞夕刊)


ただ生きるだけじゃない明日は

平和な世界が実現しますように



posted by superbird at 19:19Comment(0)暮らし

『イオンへ行って切花を見た』(190327)

 おもに食料の買出しに来たイオンだけれど、このごろはまず切花を見たりする。

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 人間はただ生きるだけじゃなくてこうした花を見る余裕がないといけない。しかし戦争中ともなれば、花を見る余裕はなく、ただ生きるだけが困難という時代なのだ。

 はたして現代社会は平和な時代だろうか?

posted by superbird at 19:15Comment(0)暮らし

『生きていくだけでしんどいものがある』(190326)

 外出して体操をする。

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 身のまわりを見ていると、低所得者が増えてきたことはたしかだ。低所得者が増えるといまの社会は堕落していくなあ。

 人は生きていくだけでしんどいものがあるけれど、堕落する低所得者たちの増える社会はよりいっそうそういう傾向があるのだなあ。

 いまもむかしもひとりになってみると楽なものだけれど、社会の中で暮らしていると、いまはしどいなあ。

 団地のルールを守らない人がそばにいる、たったそれだけのことだけれど、健康がおびやかされ生死に関わることにもなってしまうのだ。


神仏を尋ねる空の暮らしかな


posted by superbird at 17:41Comment(0)暮らし

『桜が開花していた』(190326)

 散歩に出ると桜が開花していた。そしていつのまにかサンシュユも満開になっていた。

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 桜の花はあちこちで咲いている。桜の木が多いのは花見客どうし喧嘩にならないようになのだろうか。そんなふうにもとれるけれど、まあ桜の花がきれいだから、単純にたくさん植わっているのだ、ということですますのが気楽である。

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 散歩の休憩では足もとに枯れ葉がたくさんあった。


花見後に足もと見れば枯葉かな


 人は皆花見の時には花ばかりが気になって浮かれているので、こうした足もとのことは気づかないものである。

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posted by superbird at 23:49Comment(0)散歩

『久しぶりで聞く名古屋のウグイス』(190325)

 散歩に出て、ひとり般若心経を唱えていく。きょうはいろいろな鳥たちの歌声が響いていた。人のいないところで休憩すると、鳥たちの歌声が止んだかと思ったら、ウグイスが鳴き始めた。

 名古屋では何年ぶりだろう。耳に新鮮なウグイスの声。まだつたない、若いウグイスなのだろう。


救済の般若心経唱え行き

休む林にうぐいすも居り




posted by superbird at 16:57Comment(0)散歩

『散歩道で考えたこと』(190323)


身近な小さなことの積み重ねが

世界平和に繋がっているのだ



 団地で洗濯が六時から十時までと決まっていて、みながそれを守ることですら、世界平和につながっている。

 団地でペット禁止のルールが決まっていて、みながそれを守ることですら、世界平和につながっている。

 身近な平和の積み重ねが、世界平和実現への近道。



posted by superbird at 14:52Comment(0)散歩

『「寿命のこと」というSF短編小説』(190319)

 きのう『寿命のこと』というSF短編小説をほぼ完成させた。

 現代社会の環境の悪化を嘆く青年の、いかに幸福を得て生きていくかという悩みが、時空を超えて善なる世界と感応した結果、ある種の救済を得るという物語。

 SFなのでこれは怖いお話になっている。現代社会への警告を含むものとしてあえて書いた。

「世界が平和でありますように (合掌)」 



『寿命のこと(これはSF現代ファンタジー)』


HIROYASU HARA  


「いま少し立ち止まって未来を想像してみたまえ。高齢化社会で周りは老人ばかりである。そしてこのいまは?」
 六十にもなればがん年齢と呼ばれ、七十にもなれば半数以上ががんになる。八十にもなれば八割ががんの苦しみの中にいる。
「人間は死を忘れてこそ日々の暮らしを楽しむことができる」とは箴言である。「人間は死を忘れてこそ前を向き、希望の光に照らされる」
 若者といえども体の中では常にがん細胞が生まれ正常な細胞と戦っている。いわば生と死のせめぎあいの中に生きている。人は老いる。老いるとは生をになう細胞の活力が低下し死をつかさどる細胞にひれ伏すことである。
 健康的に生きるということは、逆説的かもしれないけれど、自分の体の中の出来事から目をそらし、楽しく人生を謳歌することである。

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posted by superbird at 19:27Comment(0)小説

『明日は彼岸だった』(190320)

 きょうは暖かかった。散歩では鳩がたくさんいたけれど、野鳥は少なかった。きのうとはちがう。

 散歩から帰ってくると、団地にスズメがいた(一羽は確実だけれどもう一羽は?。たくさんいたスズメたちが舞い上がったところ。)

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 きょうは野鳥というより人に寄り添って暮らす鳥たちの日。明日は彼岸だった。祝日だ。

 知らなかった。


雀二羽明日は彼岸のぬくさかな







注:温いは「気持よく暖かい。」といった意味。

posted by superbird at 00:43Comment(0)暮らし

『野鳥が元気に囀っている』(190319)

 散歩の途中で休憩していると、きょうはやたら野鳥が元気に囀っている。人間は春眠暁をおぼえずで、半分眠っているというのに、半分眠って気功をしている人間に興味があるのかないのか、ツピツピと鳴く野鳥が激しくツピツピツピツピと春を謳歌している。


春眠や気功をすればツピツピと

野鳥がやってきてツピツピツピツピッ!


posted by superbird at 19:49Comment(0)散歩

『生きるためにはカネがいるという宿命』(190318)



末法のカネの世界につながって

老いに気づけば真言があり



 この世の人間が老いるのは、一つには仏の世界から離れてカネの世界に染まってしまうからである。かといって、ひたすら仏の世界に繋がって生きていこうとすれば、この世はやはりカネがいるという矛盾。

 日経新聞くらい読んだりニュースに耳を傾けたりは必要とはいえ、それすらがすでにカネの世界を見つめることであり、あっというまにこの身はカネの世界の時間軸の中にあって、細胞を構成する素粒子からが永遠の喜びから死の悲しみに染まっていくのだ。



posted by superbird at 00:06Comment(0)仏教

『旅行から帰ってひさしぶりに考える』(190316)

 旅行から帰って二日目、下の階の人が夜じゅう洗濯するという異常なことが、とりあえずなくなっていたので、夜になると眠れるようになったけれど、朝六時とか六時半とかにはもう洗濯を始めるので、やはり寝不足である。

 豊橋へ帰ったり御殿場へ行ったりする前と比べればましになったので、本当にありがたいことで、御仏や神さま方には感謝の心を素直に表していたいと思う。

 きょうもきのう同様早く起きて外で寝て、それから気功をして帰ってきて、朝ご飯を昼近くに食べて静かだったので昼寝をして、それから少し散歩をし、戻って家の中の整理をしたりパソコンの棚を整理したりした。

 親父さんが飲んでいた薬のプリントアウトしたものが二枚出てきた。2015年に死んだことを思い出し、そのまえ(2012年)に何とかしようと思っていたのに、2012年で大学の先生になりたてで常識離れした大学という職場環境への適応力のなさがあったり、親父さんが疲れているのか、あとから分かったことだけれど、わたしの知らないところでいろいろ会社を含めてやり始めたせいで、豊橋へ帰っても二人で話す機会が減ってしまったことがあったりで、自分の好きなこと、親父さんの悪い足のことについてどうしたらいいかということを、好きにできなかったことがまた思い出された。

 親父さんも年だったので、自分自身でどうしようこうしようとしなかったのかと思ったけれど、よくよく考えれば、親父さんなりにいろいろ考えていたことと思う。ただわたしにはそういう相談は直接はなかったな。

 親父さんは天国で幸せにやっている。

 家族がどうだったら、わたしがどうだったらと、後悔はあるけれど、親父さんはいま幸せにやっているのだ、これが一番よかったのだと思うしかない。ことあるごとにこうして親父さんの死に関して後悔が頭をよぎるのは、自分の好きなことができていなかったことがもとにある。

 そしていま自分がこうして住環境が悪くて苦労していることも、もとをただせば自分の好きなこと(転居)をしようしようと何度も思って引越しをしてこなかった、できなかったことと重なるようでもある。

 ともに自分と周りとの関係で、思うようにならないということもできるのだ。

 俯瞰してみれば、この世に生きる人間は、およそ周りとの関係で、「こうしたらいい」と思ってもそれができないということが多いのではなかろうか。いわゆるこれがカルマというものである。

 人間はそれなりに皆自分の事に関しては賢くても、欲の積み重なったようなこの地上の世界では、身動きが取れないようになってしまっているので、世界は「平和」を望んでも平和な世界はなかなか実現しないのであろう。





posted by superbird at 18:58Comment(0)仏教

『仏舎利塔からは平和が広がっている(お絵描き)』(190314)

 仏舎利塔で少し寝て、富士山の絶景スポットまで戻って絵を描きに行く。なんだか体がだるいので、ゆっくり歩いていく。手提げ袋に入っているのは絵の道具、スマホ、それくらいなもので、あとはカメラとかメモとかも携帯しているけれど、重いのだ。

 中国人たちは富士山が見えているときにやってきたグループはもう大はしゃぎで、童心に返ったみたい。しょうがない人たちだなあ。

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 わたしはどこで絵を描こうかと考えながら、この前はどこだったかな、この辺で描いたんだったっけとか、以前書いた斜面を探したりする。

 中国人観光客の邪魔をしてはいけないし、スマホでずうっと動画を撮っている人もいるし、何となく新聞紙をひいて座って描き始める。適当になにげなく絵の具を出して溶いて薄めて描いていく。

 富士山が雲に隠れてしまうと中国人観光客のグループはとても静かである。はしゃげて幸せなグループもあれば、静かに観光をして帰っていくグループもある。後者の人たちの中にはわたしの絵を見ていく人がいる。

 わたしの絵の写真を撮って満足していく人たちもいる。名刺でも作っておけばよかったかな。などとあとで思った。

 わたしが絵を描いていくところを見ていくのは自由である。画面に太陽の影(わたしの頭とか)ができている時には、わたしはあえて立って後ろに下がり、ちゃんと絵がきれいに撮れるように配慮する。

 どことなく(中国人が)満足し、感謝して帰っていくのが分かる。

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富士山や世界平和の祈りかな



 帰り道、境内には法華経に出てくる菩薩の灯篭が立っていて、一つ一つ名前を口に出して唱えていく。それらは宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の最後に出てくる、

南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

 というのとそっくりである。

 参拝の道にはもっとたくさんあって、一つ一つ唱えていく、すると観音菩薩の像が左手に見えたので、そっちにも参拝していく。延命十句観音経の大きな石碑が立っている。

 その先に、観音菩薩像が立っておられる。

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 これはいわゆる山門なのだろう。

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御殿場の日本山妙法寺

平和祈願の山の中かな



posted by superbird at 18:13Comment(0)

『仏舎利塔からは平和が広がっている』(190314)

 平和公園までたどり着いて、日本山妙法寺を参拝し、ほとんど中国人観光客というなか富士山をながめ、予定通り絵を描こうと思う。

 その前に仏舎利塔の仏陀に参拝することにした。

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 世界平和への道の一つが示されている。

「人には皆仏様と同じ尊い心が具わっている。
 その心をお互い拝み合うことで、
 世界平和で幸福にくらすことができるのです。」

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 すなわち、
「この地上の人間の世界においては、お互いに相手の仏様の心を拝みあうことで、世界平和が実現する。幸福な世界になりますよ」という思想である。


 以下は仏陀の背光の中に浮かび上がった文字。

「この三界は、みなこれ我が有なり。
 その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり。
 しかも今この処は、諸の患難多し。
 ただ我(仏陀)のみ、よく救済をなす。」

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 すなわち、
「人間のもっている世界(三界)に生きるすべての有情(衆生)はその仏様の心の子供であり、しかもそこ三界で子供たちはさまざまな困難に出会って苦悩することおびただしい。ただわたし仏陀のみが救済となるであろう」


 正面の仏陀は北を向いて平和の象徴である富士山と向き合っている。

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 西には涅槃に入る仏陀がおられ、

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 南には仏陀誕生の像がある。

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 東には悟りを開いた仏陀の初転法輪。

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 何しろ睡眠不足なのと疲れているので、しばらく南の仏陀誕生の前で寝ることにした。


(注:上の仏陀の言葉の中で、もとは「我一人のみ」とあるところを「我(仏陀)のみ」と著者が僭越かもしれないけれど、書き換えました)

(注:三界とは「衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界」のこと。
posted by superbird at 18:00Comment(0)

『きょうは三島大社へ行く』(190313)

 予定どおり11時27分の電車でまず沼津まで、それから三島まで東海道線で行くわけだ。沼津は意外に大きな駅であった。


 沼津から三島はすぐ。

 ここは一度来たことがあるので、見覚えがある。以前来たときは駅前だけ見て明るいなと思った。

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 さて歩いていく。

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 民家の庭にきれいな花が咲いている。先が分からないのでさっさと歩いていく。

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 一遍上人ゆかりの地と聞けば立ち寄る。

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 ガラスケースの中に

「身を観ずれば水の泡」


 という歌(句?)が書いてあった。

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 水の泡というのは、「水泡に帰す」ということでもあるわけだけれど、
 自分の身を観照する事なかれということか?

 もしそうならこれはすごい境地である。

 西福寺。

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 お地蔵様のお寺。

 いわれは怖い。

「時宗の開祖一遍上人が三島大社を訪れた時、
一度に往生を遂げた七、八人の従者達が
この地の高台に葬られ」という

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 何事も成らぬということはなし、というような成就地蔵尊である。

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 本堂のほうへ戻ってもう一度ながめる。

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 成就地蔵尊のお堂の前へ来て、再び縁起をよくよく読みながらしばし熟考。


水上に成就地蔵が居りにけり




 西福寺を出てファミリーマートによって、急遽pdfのプリントアウト。

 境内の縁起(上に記したのとは別)を見ていて、お地蔵様のいわれから、とりあえずこの世のことを一仕事しておこうと。

 コンビニを出るとなんとみずばしょうが無造作につややかに咲いている。

 生活の排水路でもあるようで、しかしきれいな水が流れている。

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 観音蓮ともいうらしい。


巡礼の三島の水に観音蓮



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 水が豊かな三島である。水鳥が平和に住み着いている。


 なんとなく三島大社に到着した。

 鳥居をくぐるごとに一礼をした。

 天皇陛下在位30年記念である。晴れやかな気分である。

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 参拝をすませて境内をなんとなく歩く。

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 おみくじ200円、「幸福みくじ守」に頬が緩んだ。

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 熊手が出た。末吉である。

 記念の品みたいなアクセサリーみたいなものが入っている。
「福よせ熊手」にまた頬が緩んだ。

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 いろいろな種類があって目の先にそれぞれの意味が書いてある。

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 絵馬(500円)も買った。

 これも頬が緩む。

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 家族ともども無病息災としておいた。


 神馬。神様の乗るお馬様であろう。

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 きっと天馬のように駆けているのであろう。丁寧にお祈りしておいた。



 樹齢1200年という金木犀。国の天然記念物。

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 1200年生きていると聞けば、これはまさしく神様のような金木犀ということになる。
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 帰り、ここは鳩が多い。

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 熱田神宮には鶏の類はいるけれど、鳩はいない。


巡礼の三島大社に鳩がおり



 神社の池の鯉を見ていくと、いつのまに来たのか、足元には鳩がいて鯉を見つめていた。

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鯉を見る三島大社の鳩もおり


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 あれは。よく縁起を見ておく。

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 外へ出て振り返る。

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 もっとお寺めぐりもと思ったけれど、疲れてしまうので帰ることにした。道を一つ右折し忘れて、まっすぐ違うほうへ行ったら業務スーパーがあった。

「三島にもある」って感じで中へ入って、アルコールなしの甘酒とラッキョウの酢漬けを買った。

 レジをすませて驚いたのは、
「ここは袋がないんだ」ということで、三島は意識が高いのかなと思った。地域によってまったくちがうのである。

 地図を見て、逆方向すぐ、駅の方角へと左へ道を折れていくと、上り坂である。途中の公園でトイレに入った。

 公園内は地面がむき出しになっていて、溶岩が出ている。そのことを注意喚起するタテカンがあった。なるほどたしかに。歩くには注意が必要といえる。黒っぽくてデコボコである。

 このあたりは富士山の火山灰でできているのであろう。


アスファルト一皮むけば溶岩と

水が湧き出す三島の景色


 さらに坂道を登って歩いていくと、
「これは熱海といっしょだな」と思った。

 坂道が駅に向かっているし、両側にある店の雰囲気も近いし‥‥。

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 JRは来るときも帰りもそれなりに混んでいる。昼間なのに人が多いのは名鉄よりすごい。


 東海道線を沼津で乗換、かなり三十分弱くらい(「こんなに待ち時間があるのか!」)、車内で待って沼津から御殿場線で出発。

 御殿場線からの富士山。

 世界遺産だけれど、どこか粗末にされているという印象の富士山。

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 御殿場駅からも富士山は見えるけれど、大きな建物が建ってしまってかすかしか見えない。我も我もと富士山の展望を求めて高い建物を建てるので、御殿場駅に到着してもだれも見えない富士山になってしまったのであろう。

 逆の箱根方面はよく見渡せる。

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posted by superbird at 21:53Comment(0)

『三島まで往復(2)』(190313)

 ホテルへ帰るけれど、大通り沿いは気分が悪いので、一本内へ入る。

 ここは浩宮さまが昔立ち寄られた神社(藍澤五卿神社)。時々ここを見る。

 藤原宗行の石碑。

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 きょうは珍しい花が咲いている。(前も咲いていたろうか?)
 
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 記念樹も成長したかなと。

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 もうすぐ天皇になられるのである。


 神社をあとにしてホテルへ向かうけれど、風が強い。

 御殿場線で帰ってきた電車内では、通勤電車で味わうような無礼な若者が引っ付いてきて、眠って寄りかかってきたりして、すいたらすぐに別の席に移ったけれど、ここは年寄りとか身障者とかの優先席だし、
「高校生か大学生みたいな若者がアベックで来て年寄りにもたれかかってくるな」という気分なのだ。「もう席がすいているのに引っ付いてくるな」

 などと思ったりしながら外の風景を見たり制服姿の高校生を見たり、疲れて寝ている旅行中の若者を見たりして、あとは静かに黙想であった。

 人間は欲があるから人と関わる。心が満たされず貧しいから他人に引っ付こうとする。そのとき礼がない人間は相手にされないものである。さっこんの若者は名古屋でもやたら他人に引っ付いてくる。

 名古屋にいるとよく、時代が変わったというか、日本人は教養のない新興国レベルになったわけだ、などとよく思うものだけれど、御殿場も似てきたのかなと。


御殿場や富士と箱根に守られて

されど世間の風は吹くなり



 さらにホテルまで歩いて、もう湯につかってゆっくりしたい。足が痛いのだ。(きのう)来るとき充電池をコンセントにさしっ放しで家を出た事に気づいてUターンし、自転車で高速のバス停まで必死になったのがまだ響いている。

 温泉は、「あざみ」というけれど、ここは湯河原温泉の湯であるらしい。多くの文人の傷を癒してきたというふれこみになっている。



あざみの湯つかって落とす世間かな



posted by superbird at 18:39Comment(0)