『年賀状を出してほっとした』(191230)

 きょうようやく年賀状を書いて切手を貼って出してきた。きのうようやく絵を完成させて、年賀状を作って、今朝から昼過ぎにかけて宛名書きとかをし、郵便局で切手を買って、貼って出したのだ。

 富士山の絵は三ッ峠山からの富士山で、どうも暗い感じになった。年賀状で見ると、どこかむかしの絵ハガキみたいにも見えるのだ。

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年賀状出して寛ぐお茶が有り




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posted by superbird at 19:30Comment(0)暮らし

『春の嵐と思えばヘビが出てくる』(191227)

 きょうはものすごい風が吹いていた。しかし暖かさもあって、これはどうなのかなという感じである。

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 いつものように散歩して帰ってくる。

 近くの団地の敷地を通ると、驚きの、
「なんだこれ!?」

 ヘビがいた。生々しいヘビである。

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 近づくと動くので生きたヘビである。

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 今朝、
「春の嵐」と起きて窓を開けようとして思った。

 それはわたしだけじゃなくて、ヘビも同じだったのだ。

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 家に帰って、ニュースでは、
「群馬とか関東地方は雪」だそうで、「ようやく本格的な」という表現をしていたけれど。

 どうもあちらほうとこちらは別の世界になったような気がする。


朝起きて春の嵐が吹いたかと

蛇も出て来た冬の驚き



posted by superbird at 20:50Comment(0)散歩

『きょうは後から分かったやはり旅のあとは疲れているということ』(191226)

 旅から戻っていつものように散歩する。

 セキレイのカップルがいる。

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 セキレイのカップルはときどき見かける。セキレイは案外まっとうに生きているといえる。

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 そのあと少し歩いていくと、一羽、黄色い小鳥がいた。カメラを向けたけれど、よく映っていなかった。

 よく聞く鳴き声を響かせ、飛び立っていった。

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 散歩から帰るといつものように朝ごはん(ブランチ)を作り、いつものような食事をした。そのあと散歩はせずに昼寝した。きのうの夜、新聞を読んでいて、どうしても眠くて首がかっくりきて意識を失いそうになってしまったのだ。こういうことはあまりない経験だ。それを思うと昼寝は絶対必要である。

 何しろ朝は下の部屋の洗濯がうるさくてたくさん(以前なら昼近くまで寝るところが)眠れないから。




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posted by superbird at 01:00Comment(0)散歩

『巡礼で奈良の山の辺の道を歩くために乗った電車の中で見た新聞の記事より』(191225)

 ウミガメには様々な目的で観測装置がつけられている。いずれも人間がデータを集めて、金儲けや立身出世に使うためであり、あるいは環境保護を目的にしたものである。

 しかしウミガメにとってはおせっかいな、苦しみであり、人間にだって、「環境や貴重な命を守るためには予算をつけてお金を使う」という前提によって、ウミガメだけではなくて、ほとんどの人間である庶民が高い税金で苦しむことになるいったんが見えるわけだけれど、なにより当の本人ともいうべきウミガメの姿から気づくのは、人間そのものがついにウミガメと同じになっているのだということである。

 スマホを持った人間のある側面・多くの部分はウミガメになっている。他者を苦しめるものは自分を苦しめることになる。こうして他者と自分はつながっていく。


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観測装置を付けた海亀は

スマホを持った人と同じだ



posted by superbird at 01:04Comment(0)

『きょうは長谷寺のあと聖林寺へ行った』(191224)

 聖林寺の観音菩薩は、言葉にできないものがある。ふれることも口にすることもできない。そのくらいの美しさであった。

 そのせいだろうか、薄暗い中に、異界の宙空に浮き上がっているのだ。



聖林寺の十一面観音菩薩

像は美の魂が宿っている




 これは美しいこと言語の外にあるもので、写真や映像などで見るものとはまったく違っていた。たまたまひとりっきりになれたので、ありがたかった。国宝である。あるけれど国宝というのはあまり意味がないといえる。言葉を超えた美を放っているからである。

 この十一面観音菩薩像は、もともと驚くべきことに、三輪山・大御輪寺の本尊で、前回奈良へきたとき、三輪神社を参拝し、そのあと、山辺の道を歩いて、仏教伝来の地へ行く途中寄った、平等寺にあったものではないかという記述もどこかで読んだ。聖林寺は「平等寺の遍照院を移して再興した」といい、そこにあった仏像類の大半はここ聖林寺に移されたからなのだ。

 前回そのことを知って、
「それじゃあ聖林寺へ行かないと」と思ってきたのだ。

    聖林寺の境内は狭いけれど、その猫のひたいほどの境内のはしに立ってながめると、奈良盆地が三輪山の裾の先ににぎわっているのが見え、さらに(わたしには見えないけれど)卑弥呼の墓(古墳)があるのだという。
 
    なんだかすごいなぁー。はるかな昔、邪馬台国というわけなのだ。あるいはまたそこ、桜井は昔大和の中心だったという。 

    邪馬台国は知らないけれど、聖徳太子くらいは本当だろう。なんともいえない静けさが横たわっている。







posted by superbird at 22:11Comment(0)

『奈良行きのバス』(191223)

 人がいるところでものを食べるのはよくないとはヒンズー教の聖者の言葉であるけれど、じっさい胃が気持ち悪くなってしまうので。だけれど仕方ないので予定通り、時間を見計らって名鉄の地下で買った弁当を食べていく。



奈良行きのバスに揺られて人の世の

苦労が窓に見えてくるかな




晩ご飯一口ごとに口をつく

有難いなあ有難いことだなあ



親父さんと一緒に食事した

感謝の気持ちがまたよみがえり





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posted by superbird at 00:00Comment(0)

『あとから気づいたけれど通勤地獄を経験してそのあと奈良まで行くのはかなりきつかった』(191223月)

 仕事が終わって予定通り奈良へ行く。23日というのは二泊三日だと25日に戻るので、
「帰りが混むかな」と心配していた。
 行きは案外普通電車に乗ればすいているかなという楽観があった。

 ところが通勤地獄の時間で普通電車も空気が悪く、
「これじゃあ混んでても急行とか準急とかに乗り換えて早く行ったほうがいいな」と適当にホームに来た電車に乗り換えた。

 けれど、人が多いのはホームからたいしたもので、もうずいぶん疲れた。


巡礼も通勤地獄の人となり



posted by superbird at 23:00Comment(0)

『きのうはたくさん雨が降ったけれどきょうは晴れた』(191223)

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 休憩の木。朝日を受けて輝いて見える。

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 休憩から、散歩道へ。

 きれいに晴れている。

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 きょうは仕事があるので急ぐ。

 今年最後の仕事である。果たして生徒は来るのかなと。

 先週、数少ない生徒の一人が、
「来週は来ません!」などと言っていたのだ。

(試験の結果が悪いのと試験のやり方が自分の思い通りに「変更されなかった」ことで拗ねてしまったのだ)


注:試験のやり方は何度も説明してあるのに、早く帰りたいがために勝手な提案をしてきたけれど、先生は決められたとおりに実行したのでひたすらぐずるのだった。

 とりあえず、きょうで今年の授業は終わりなので、感謝してつつがなく仕事をして来ようと思う。南無観世音菩薩。





posted by superbird at 15:49Comment(0)散歩

『いつもの散歩は元気が出なかったけれどこれでもましな人生である』(191221投稿は22)

 人間社会というのは自分一人が善良に生きていても、周囲に悪人がいると、とばっちりを受けることがあり、こういうのを不幸という。

 きのう夜中から朝方の4時ころまで下の部屋の住民が洗濯をし、今朝は今朝で9時ころから洗濯を始めて(音がうるさかったので)寝不足である。元気が出ない。こういうのも人間社会の不幸というものである。

 散歩に行くと御嶽山が雪をかぶっていた。
「雪が増えたなあ‥」と。

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 散歩の帰り道。

 山茶花の花は、花弁が色あせているけれど、これは案外、
「花弁が退化したからではないか」と思った。「花弁で虫などをひきつけなくても、受粉は大丈夫」

 そういう進化の結果なのではないか。

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山茶花さざんかや捨てて雄蕊おしべ雌蕊めしべかな




posted by superbird at 00:53Comment(0)散歩

『光陰やもう年の瀬も年の瀬か』(191218)

 きょうは学校へ来る時、スーパーでキャベツ一個を勇気をもって買った。100円である。キャベツは重いのでひざや腰が痛くなっては安いどころではないのだ。勇気をもってというのはそういうことなのだ。

 キャベツの前には、一個50円で柿があった。少し赤みがさしていて、まあ処分品だな。

 仕事は熱中しているので、仕事の後のことなどすっかり忘れていた。もう来年まで会わない人もいて、
「よいお年を」なんて挨拶などして別れた。

 自分はまだ来週もあるなあ。

 しかしあちこちで、
「よいお年を」なんて挨拶が聞かれ、自分も「よいお年を」なんて挨拶を返した。

 講師室へ行くと、自分の机にくだんの柿が一個どんとのっていた。
「そうだこれを食べなきゃ!」

 腹減った。幸福の一人旅。



柿食えば仕事の後の優雅かな



posted by superbird at 23:14Comment(0)仕事

『通勤途上でシラサギがたくさん来ていた』(191216)

 朝の散歩。

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 石についたモミジの織りなす美。

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 今年もこういう季節になったか。

 
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 いつも休憩するところにやたら人が来るので、きょうは急いで別の所へ逃げる。今日は仕事があるのにたいへんだ。

 散歩帰りの空。

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 出勤の空。穏やかである。

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 東の空。

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 きょうは通勤で途中寄った植田川にシラサギがたくさんやってきていた。前に別の個所、天白川でこういう情景を見たことがある。シラサギは時々こうしてたくさんでやってくるのだ。小さなカモみたいなのもいたので、きょうはここが良かったのか、‥‥?

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白鷺や鳥の楽園植田川



 いつも見ていく金山のイチョウ。

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来る度に仰ぐ銀杏の姿かな






posted by superbird at 18:05Comment(0)通勤

『崩壊したような人がたしかにいるけれど一割かそこらかなと』(191215深夜)

 きょうは風がほぼやんで、まあまあの夜の休憩だった。きのうは北西か北風だった。きょうはなぜか南のほうから風が吹いていた。南だからといってあたたかな風が吹いているわけじゃない。そこはやはり冬の、冷たい風だったけれど、まあまあ過ごせるかなと。

 来たときは冬の虫が、「きょうは鳴いている」と口をついたけれど、気功のときはやんでいたような、そして終わったときは比較的元気に鳴いていた。

 ベンチを立って月を見上げる。雲が南に流れていく。

 耳を澄ますともう虫の声はやんでしまっていた。



気功終え聞こえる冬の虫の声




『きょうは休憩していて寒くなった』(191213金)

 いつものように一時間ばかり、夜の公園で休憩した。きょうは寒くなった。もちろんというべきか、冬の虫は鳴りを潜め、気功をすると、世界はいつもとちがって静まっていた。この辺も都会になって、なにかとうるさかったりしたのだ。

 きょうは寒いので咳も出た。これは風邪なのかなとも思いつつ、実は安かったので、ブックオフで買った衣類がリュックに一つ入っていて、そこからくる抗菌剤のにおいがすごかったこともあるのではないかと疑った。

 世界は静まり月は皓々と夜空にあってその世界を照らしていた。


寒くなり鳴りを潜める世界かな




posted by superbird at 01:41Comment(0)暮らし