『通勤の帰り道に前から気になっていたサンタのオブジェに挨拶をしていく』(191202)

 今日の帰りのバスで、途中乗ってきた高齢のといっても七十代くらいの男性は、病気持ちも甚だしく、どうしてこんな時間にわざわざバスに乗ってくるのか。

 お前はもう死にそうなほどになっているのだぞ。ほかの席がいっぱい空いていたのにどうしてわたしの隣に座るのか?

 すでに寿命が尽きるときがそう遠くないというのに、ここで悪いカルマを積んで来世の悪趣を引き寄せているのだぞ。

 人は(救いを求めて)他人に近づくより神さまや菩薩、御仏に近づくほうがいい。

 人間は病人のそばには近寄らないけれど、健康な人のそばなら何をしても寄り添ってくる傾向がある。特に病気の人は、通勤バスや地下鉄などではそういうことがままある。

 ここは通勤地獄なのだぞ。悪趣を引き寄せてすでに悪霊に取りつかれたお前のために、たちまちのうちにわたしの体は病気の症状を呈した。通勤地獄だからこそ、悪霊はこうして乗客に取りついてくるのか。

 悪いけれどわたしは黙って早々に席を離れた。すでにお前のためにわたしも随分と功徳を積んで悪霊の存在を知ったのだ。

 わたしにも世間のふつうの人と同じ、いわゆる憲法で保障もされている基本的な人権があって、きょうの晩ご飯をおいしく食べ、明日の暮らしや学校の仕事をよりよくこなし、健康的に生きて、社会に功徳を積み、仏の教えを学び実践し、あたかもふつうの人と同じ、幸せに生きるという願望もあるのだ。

 人は(救いを求めて)他人に近づくより神さまや菩薩、御仏に近づくほうがいい。人の社会がこれ以上すさんで、いっそうの地獄にならないように。一人の人の感情の積み重なりが社会や自然界にも影響する。わざわざ若い女性の二人掛けの隣の席に年寄が押し入るように座るのも目にした。あちこちに席が空いているのに。その若い女性はどれだけいやな思いをして耐えていることだろう。

 みんな働いて苦労している。人は働いてなお通勤地獄で疲労する。同じ一つの電車やバスの車内にいても人それぞれみな全くちがうのだ。自分の汚れた欲のために赤の他人に近づかないのが現代社会のエチケットといえる。重い病気ならなおさら。それが他人を病気にすることもあるということを知ってほしい。



 いつもどおりバスを降り地下鉄に乗り、自転車を走らせ、
「サンタクロースだ!」
 わたしにやさしく幸福な気を送ってくるサンタクロースのオブジェを前に、
「挨拶をしていく」ときょうはいったんは通り過ぎてUターン。



通勤にサンタが見える道があり


191202santa.jpg



191202santa2.jpg





posted by superbird at 21:24Comment(0)通勤

『溝に落ちたような衝撃によるパンクは修理するより交換するほうがいいかもしれない』(191201日)

 木曜の夜に自転車がパンクした。判明したのは翌朝だった。金曜の夜公園で休憩してから帰る途中、溝に落ちてその時の衝撃でパンクしてしまったのだ。

 金曜土曜と二回修理した。一回で終わると思ったけれど、翌朝見たら空気が抜けていて、土曜の朝にまた修理した。そしたらまた少しだけれど、抜けている状態だったのだ。

「もうこれは一回チューブを外して修理しないといけないな。それなら予備の新しいのと交換しよう」と決めた。

 きょうの朝、新しいのと交換した。古いのはしっかり水につけて小さな空気漏れを確認し、修理してとりあえず保存しておくことにした。同時にamazonで同じタイプのチューブを探して「ほしいもの」リストに入れておいた。
  
 日が沈むころようやく愛車ともいうべき自転車に乗ることができた。いわゆるママチャリではあるけれどこれが一番軽くていいのだ。


復活の自転車乗って笑顔かな




posted by superbird at 00:00Comment(0)暮らし