『幸福のもっとも大きな障害は』(200429)

「幸福のもっとも大きな障害は過大な幸福を期待することである」とは、フランスの哲学者ベルナール・フォントネルの言葉で、きょうの新聞で見た。

 そしてきょうニュースを見ると、なんだか何もかも、あと出しというか、後手後手というか、
「なにこれ。政治も教育も同じだな」とつい思った。「何もかも先延ばしで‥」

「学校の新学期のスタートを、4月から9月に変更する意見が急浮上」とか、「緊急事態宣言の延長(まずは五月末まで)」とか――。

「これじゃあ大学も五月二十日の開講は難しいのかな」と笑うしかない。「大学の休業要請も延長されるだろうし?」

 大学が強引に遠隔で授業をするにしても、教職員の通信環境やITを使いこなす能力はまちまちバラバラだと聞くし、生徒も通信環境が全員遠隔授業に耐えられるとは思えない。

 企業のようにどこかにサテライトを設ける必要も出てくるのではないか、そうしてくれると助かるがな。またみんなが急に遠隔をしたら「またWIFIがつながらなくなるぞ」などといろいろ考えて、にわか仕立ての遠隔授業は当然破たんする(と予想される)から。

「これは無理だな」と思うようになった。「それとも破たんしても『エイヤーッ』ってごういんに進めるのかな(これって駄目じゃない)?」とか。


 つまり世間はこの新型コロナという災厄を前に、
「過大な幸福を期待していた」ということなのだろう。

 それに気づいたことはたしかに正しい。下手に賢いウイルス相手に角突きあわせて感染し、深刻な症状になって死んでしまったり重篤な病気になって大いに苦しむより、ひっそり活動自粛して敵が衰えてくるのを待つことができるほうが、ウイルスに対しては賢者の選択といえる。

 なにしろ抗体は、人間少しづつ作ればいいのである。風邪のウイルスなら、急激にウイルスが体内に入ることが重篤になる一つの原因である。下手に真似されてその人の命にかかわると嫌なので、言いたくはないけれど、ウイルスが少しだから、軽症ですんで、少なくとも健康な人ならワクチンなどなくても少しづつ抗体ができて、ということもありうるのではないかと(経験上)思う。

 このウイルスは相当危険だけれど、他のウイルスに対するのと同じようなことがあるのではないかと。

 人間は地上に繁栄してきただけに、こうした選択(いわゆる負けるが勝ち)に切り替えつつあることはやはりあんがい賢いのである。



先延ばしニュースを見れば先送り

新型コロナは負けるが勝ちと





注:実はさいきんこうしたあきらめの哲学(「没法師」とか「これでいいのだ」(天才バカボン)とか)がちまたでははやっている。

 「没法師」という言葉を調べたら出てきた詠み人しらずの川柳。明日は明るい未来となるように。

没法子明日がまたある面白さ




「没法子」とは中国語で読み方は「メイファーズ」。意味は「方法がない。しかたがない。あきらめの言葉」『大漢語林』(鎌田正・米山寅太郎著 大修館書店)



先延ばしニュースを見れば先送り

新型コロナは賢者の勝ちと




posted by superbird at 02:02Comment(0)仕事

『きょうの散歩は疲れて帰ってきた』(200429)

 きょうは散歩に行くとき、休日とは知らなかった。いつもどおりパソコンのメールを見て、仕事のことは片付け、ベランダを見たら鉢植えがすっかり乾いていたので、水をやり、かなり時間がたってしまった。

 なんだかニュースでは、新学期をいっそ9月からにするという話があって、多くの人がそれに賛成しているというアンケートの結果などを見た。

 たしかにコロナウイルスは変異して、毒性を変化させ、人にいつまでも付きまとうという不安はあるので、きゅうに5月末に一斉に授業を開始というのは無理もあるだろう。
 うちの大学もにわか仕立てで遠隔授業にのりだそうとしているけれど、現場の混乱は手に取るようにわかる。休業要請が出ているのも何のその、わたしたち非常勤の先生は高みの見物のようで、いろいろ対応があって実害も生じたりもする。

 だから9月始まるという選択肢もあるわけだけれど、小中高とちがって大学は世間離れしているので何とも言えない。


 散歩に行くと、あちこちふつうの人出だったけれど、気候がこたえた。急に暑くなった。
 いつもと同じような格好で来たのでそれが余計にこたえたのだ。

 山菜と採りながら歩いていくわけだけれど、
「暑いなあ」と口をつく。「きょうは暑いなあ‥」


 いつものように少し体を鍛え、休憩して帰ってくる。部屋ではまずご飯の準備だ、けれど、疲れているのでまずはソファーで休憩である。

 キクラゲやタンポポなど、水につけておいて、梅酒を飲んで休憩である。

 おもむろにクルミにも手を伸ばして一握り、のんびり食べて、それからご飯の下準備である。


山菜があれば沢山下準備





注:きょうの最高気温は23.4度とかいっていた。
posted by superbird at 18:00Comment(0)散歩

『臨済和尚(禅師)はこういう人である』(200426)

 朝(もう昼近く)布団の中で臨済についておたずねすると、次のようにその人は言った。
「あの人はきょう書類を出しに行って、明日も行くことにし、あすもう一度行くことにした。そしたら日付がきのうになっていた」と。


注:日付がきのうになっていたということは、とわたしは思った。きょうが過去になっているということである。

 上にあるようなことは、意識の面においては十分に禅僧にはありうることで、やがてそれが物質的にもそうなることによって、仙人になるわけだけれど、臨済禅師がどういう体験をしていたかまでは確認しなかった。

 もう一度言うと、きょうの日付が気づけばきのうになってしまったということは、未来へきてしまったということである。


 なお禅宗は不立文字(師から弟子へ直接に悟りの内容を伝えること)を原則とする。




 なおこれを書いていて少しして気づいたことを歌にした。なおもちろん臨済録が残って現代のわたしが手にして読み味わうことができることはとても幸せなことで、深く弟子の方々には感謝している。



臨済の法は廃れて弟子たちの

臨済録は世に残りけり



posted by superbird at 13:17Comment(0)仏教

『小さな花の声に振り向く散歩』(200425)

 散歩に出かける。

 いつものようにコンクリートの階段を下りていく。

 階段を下りて、ふと足元の小さな花が目に入る。

 振り返って腰をかがめて見ていく。

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階段を下りれば小さな花があり



posted by superbird at 00:00Comment(0)散歩

『当然かな商売人も時代をよく映しているといえる』(200423)

 納豆もきのう買ったけれど、安いものは安売り期間に出さず、高い納豆をたくさん売りつけ、安売りが終わって人が来なくなってから定価が安いものを急にたくさん出してみたり、また生鮮食品とか、いまは給食もホテル旅館も外食も減って値が下がりスーパーは安く仕入れて(売れるからといって不当に詐欺のようなことまでして)高く売りつけているのは明白で、スーパーはいまはどこも人間の性根が、悪に染まった商魂たくましいありさまになって、いささかあきれるほど醜いといえる。

 需給で決まるのは、当然なので買い占めに走る消費者心理につけ込んでいるとはいえ、商品がないように見せかける棚の使い方、虚偽が見え見えな値札の使い方などが、えげつないといえる。


スーパーの陳列棚は詐欺の温床



 買い物帰りの空(1)。

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posted by superbird at 21:39Comment(0)暮らし

『現代社会に染まってしまうとあっさり自分の自分らしさが失われていく』(200422)

 自転車のタイヤチューブの交換、別の自転車(予備の方)のこちらも後輪タイヤ空気漏れ修理、リナックスを快適に使うためのあれやこれやの、またスマホの充電が、初期化した後、SIMの入れ替え設定はすんだものの、勝手にどうやら電池の残量で充電したりしなかったりすること、買い物に行くと棚にバナナがなかったり、納豆が棚になかたったり、してあちこちいろいろなお店に買い物に行く計画を立てたり、噴出するように出てくる問題はけっきょく懸案事項になって日々の暮らしの中でわたしを縛るようになる。

 それは何もしないとゴミの山になってしまうのに似ているわけだけれど、そしてじっさいもうゴミの山があちこちにある部屋の片づけもあるし、現代社会というのは、便利だ便利だということは言えるけれど、その裏返しのようにその分ものすごく人を忙しくさせるのではなかろうか。

 あんがい自分を取り戻すのは、散歩のときと、夜のベッドの上である。



何というか次々出てくる懸案は

異常気象の趣があり




posted by superbird at 03:49Comment(0)暮らし

『公園は人出が多いとはいえ散歩はまあまあだった』(200422)

 散歩の空。

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 とにかく人を避けて歩いて行って、休憩。

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 散歩帰りの木々。

 これはクスノキである。

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 メタセコイヤとかの木々の緑の力強さ。

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人のいない世界の命は常にそこに

あって活き活き輝いており






注:人間はそこ(上の歌)のところに気づかずに生きているといえる。

posted by superbird at 23:00Comment(0)散歩

『きょうは穏やかな日である』(200419)

 散歩に行く。

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 このごろ体力がなくて、散歩の休憩のところまでくるとそこそこ疲れている。それでも体を鍛えるのでラジオ体操とかして、きょうは部屋の中が寒くてそとが暑いと気づく。

 きょうの鳥はシジュウカラである。鳴き声を知っているのですぐわかる。


四十雀そばにやって来てツピッツピッツピッ

力を込めてツピッツピッツピッツピッ



 シジュウカラの小さな体が木から木へと飛んでいくのがちらっと見えてこころ安らぐ。

 それから気功もする。体が疲れないように体力が回復するようにくふうする。

 散歩帰りの空。

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 きょうはブランチの前に自転車の後輪のタイヤ交換作業に取り掛かった(この二三日の懸案事項)。

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 途中で見る空。

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 きょうは納豆も買いに行かなきゃならないし、毎日がとにかくいそがしい。


注:タイヤは二三日前に空気が抜けて、しかもかなりすり減って糸みたいなものまで見え始めていたので、チューブと一緒に交換することにした。タイヤとチューブはすでにアマゾンで買って18日に来ていて、コンパスタイヤ(世界で一番みたいなことが書いてあったブランド品で、しかもかなり安かった)、部屋に置いてある。

posted by superbird at 01:34Comment(0)散歩

『世の中荒んできたという印象』(200418)

 きょう西友へ行った。買い物をして外へ出ると、お客さんなのかわからない、むかしのいわゆるホームレスっぽい人がいた。お客さんが低所得化している現実は変わらないし、心が荒んだ人たちに一人二人出くわすことも変わらないけれど、ホームレスっぽい人がうなだれて歩いている光景は、この昨今とは、ちょっとちがう。

 西友店内の商品の置き方にもえげつないものがあって、詐欺まがいの商法をまたやりだしていた。

 これだけインフレで小売りはもうかっているはずだから、おそらく店員がすさんでいていい加減に仕事をしてお店に対して八つ当たりか腹いせでもしているのだろう。

 バナナだって買おうと思って見たら、ひどく腐ったのが二つだけ残っていて、
「これを定価で売るのか?」と思った。「まあ、以前ひとこと言ったら、店員さんが無線で聞いてくれて、『値札の通りだ!』とその店員さんが怒られたことがあったので、(聞いてくれた店員さんにも嫌な思いをさせてしまったし、)いっさい値段については言わないにかぎるな」と。


 またきょうの一番は、このことである。

 先日ごぼうが97円で、きょうもまた97円だったので買った。ところがレジを通過して、少し歩いてさっきレジ店員の、
「百九十なん円」とかいう声を思い出し、疑問を持ってレシートを見ると、税抜き価格177円になっていた。

 もういちど商品のあったところへ行って確認すると、177円でもあるのだった。

「えっ!?」(証拠写真)

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(もちろんわたしが手にしたのは右側である。)

 この表示で、右のごぼうが177円と分かるだろうか。97円と判断するのがふつうである。まして先日は97円で買えたのだ。

 詐欺にあった気分である。

「どこかで取り返そう」

 今からあの空気の悪いレジに並んで面倒くさい手続きをして返品とかしてもらうのはさらに気分が悪くなる可能性が高い。

 改めて店内フロアを見ながら帰ってくると、いやに疲れ果てたような若者が目についたりもした。(バイトか?いやあのかっこうは遊びだろうな‥‥)


荒ぶ世の詐欺も忍んで行く家路







注:97円はシメジか何かキノコの値段である。ごぼうの下にキノコが少しだけ置いてあった。
posted by superbird at 22:36Comment(0)暮らし

『散歩帰りはところどころのんびりと歩いて(山菜を集めて)いく』(200418)

 このところ山菜のひとつになっているカラスノエンドウ。

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温かな山菜たちにつつまれて

心ゆたかな散歩帰りは



 人や車の行き交う道に出て、整体屋さんの玄関先の花は、いまを盛りと咲き誇っていた。

 鉢植えでこんなにいきいきしているのは気持ちがいい。

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物の世の人の育てた花があり




posted by superbird at 22:00Comment(0)散歩

『新型コロナウイルスの災厄で世の中は結果的にいい方に向けてこれからも変わるのだろう』(200417)

 きのう夜、買い物へ行くとき、片側二車線の都市高速出入り口近くの道を信号で渡るとき、車がまったく来ない。

 記念に信号の真ん中あたりから写しておいた。

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 きょうはスーパーへ行くと、ラーメンの棚の商品がほとんどなくなっていた。わたしはこの種のものは一切食べないけれど、世間では案外これが食事のメニューになっているようなのだ。

 一人何個とかいって制限が書いてある。

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 そういえば先日はイオンへ行った時も何かの棚がすっかりなくなっていたようで、人は同じようなものを急に買いだめしたりもするのかもしれない。

 新型コロナに感染したらどうなるか、という不安もあれば、いろいろな理由でインフレ、そしていろいろな商品の品薄、いっぽう仕事もなくなってお金の不足する人もいるだろうし。

 とはいえ、人は苦難にあえばあうほど神さまに近くなるものである。


幾重にも新型コロナウイルスに

向き合う人の戸惑いがあり



posted by superbird at 01:26Comment(0)暮らし

『きょうの散歩も穏やかだった』(200416)

 木々の新緑が急に目立つようになった。

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 休憩の空を見るけれど、そこはもちろん木々の傘の下なのだ。

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 散歩帰りにも濃くなった新緑の木々を遠くに見ていく。

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 いくつもの雑草の花、そしてカラスノエンドウの花も見ていく。

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穏やかな平和な春を知る幸せ



posted by superbird at 02:08Comment(0)散歩

『昼の散歩はきょうも雨だった』(200413)

 天気予報はまったくはずれるこの頃。散歩道はかなり雨が降っている。休憩をしているとカラスが来て鳴き続ける。「無視するに限る」とやるべきことを続ける。

 やがてカラスが去ってウグイスが世界は一変したことを告げる。


雨の中烏が去って鶯が

一声目覚めのホーホケキョ




posted by superbird at 01:39Comment(0)散歩

『穏やかな花がある道』(200411)

 近くの団地のいっかくは、土地が肥えているのか、雑草の育ちがすごい。タンポポもそうだけれど、カラスノエンドウもすくすくと育って、うらやましいほどである。

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 そのよこで咲く別の小さな花。

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 いつものように道端ではスミレが咲いている。スミレの咲いている道は一転して荒れた道である。スミレはもうすぐ終わる。

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穏やかにすくすく育つ烏野豌豆

世を忍び耐えて足元で咲く菫



posted by superbird at 01:01Comment(0)散歩

『いつの世も末法の世ということもできるのだろうけれど』(200410)

 さいきんそしてきょうも思ったのだけれど、若い人たちがふつうに勝手に偉そうなことをして人の平和を破壊し、世界を混乱に導いているのは、一つには、彼らがネットの世界で育ったことが大きいのではないか。

 やたら、パソコンもそうだけれど、スマホはとくに、
「利用者(消費者)の不利益を平気で自分たち(サービスを提供する側)の利益のために身勝手なことをする」。

 そのやり方は高圧的でまるで偉大な権力者とさえうつる。

 そこでは人の道にかなっているとは言えないようなことがまかり通っているといえる。

 国民は政府日銀(そして影の官僚)のすることを見ながら日々の暮らしを営んでいる。政府日銀(そして影の官僚)のすることも(寂しいながら)人の道にかなっているとは言えないことが多い、国民の意識のありように大きな影響を与えているけれど、それ以上に、若い人たちにとっては、スマホの世界が影響しているのではないか。



東から瑠璃光浄土が広がれば

西から無量寿光の広がりがあり




posted by superbird at 22:37Comment(0)仏教

『きょうひどく気になったこと(きょうはまたひどい目にあったといえる)』(020409)

 今現在この日本社会では軽度知的障害者の割合が十数%だという。今の若い人たちは基本的にその自然環境、育った環境における化学物質の量からして、その割合がどんどん増えて、将来社会に占める軽度知的障害者の割合が二割、二割以上、悪くすると三割とかになってしまうかもしれない。

 そんな時、彼らがこの社会のあちらこちらで主要なポストについて、そのそれぞれの社会を支配することは十分に予想される。いまでもところどころで、そういうことは起きている。彼らには正当な理屈は通用せず、とにかくただ権勢をきかせて人を支配する。それがどんどん広がって、大きなやがては日本社会の全体に広がって、社会全体をおおうようになるだろう。

 わたしたちは社会のことのすべてを知っているわけではないし、激変するこの社会で誰もが実はいろいろなことに無知である。だからこそ謙虚に生きているわけである。しかし彼らは社会のことは無知であるにもかかわらず人を頭ごなしに支配する、軽度知的障害者であるからふつうの人よりも一層激しくそうなっているのかもしれないけれど、そういう言動を平気でしているのだ。

 社会は共生を前面にして彼らを社会の中に受け入れ経済発展のために無条件に雇っているのかもしれないけれど、年々増加する農薬や食品添加物、香料・抗菌剤、様々な薬品などを考えれば、知的障害者は急激に増加し、境界にいる彼らによって、民主主義とかいう多数決のもと、ふつうの知能を持った人の人権が侵害され、社会は確実に崩壊するだろう。

 
軽度知的障害者十六%が

斯界しかいの主で社会はつぶれる




posted by superbird at 01:57Comment(0)暮らし