『遠隔授業は肩がこる』(200528)

 仕事が終わると必ず気になるのは、右肩の凝りである。授業中でも、一息と思って席を立つと、すかさず肩が痛む。

 水でも飲みながら、右腕をストレッチしながら、再びパソコン画面とにらめっこ、いままでのように生徒の顔は見えないし、ひたすらパソコン相手に授業をするという感じでもある。

 文字打ちはかなり早いけれど、じゃあそれで生徒たちがついてこれるか、内容を理解しているか、いろいろふつう以上に考えもしながら、生徒にチャットで聞いてみたりもしながら、質問もひたすら繰り返しながら、ある種これは必死である。


遠隔は終って堪える肩の凝り



posted by superbird at 21:34Comment(0)仕事

『ようやく出会えたサボテンの花』(200527)

 きょうの散歩は仕事があるので、急ぐわけだけれど、もちろん目当てのサボテンがあって、近くの団地の南側を通っていく。

 案の定というか、待ちに待ったサボテンの花がいっせいに咲いていた。


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 地植えでこんなにたくさんのサボテンが花を咲かせるなんて、いい国だなあなんて、筋違いともいえそうなことを感じてしまう。

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posted by superbird at 19:00Comment(0)散歩

『今朝の夢から』(200527)

 朝の目覚めで、(夢の中で)けっこうすごい時計をもらった。他にも何か資料のようなものを受け取った。

 時計をもらうのは、(解釈では)多くの援助があるということかなと。援助というのは(こちらのミスの場合は助かるけれど、向うのミスや仕事をこっちに肩代わりさせるから生まれるようなものは迷惑であるので)、いい悪いがあるのだろう。

 時計は針のない、黒っぽくて長方形で、現代的なものである。


手探りの遠隔授業はフォリアかな





注:WIKIによれば、フォリア(folia)とは、
「『狂気』あるいは『常軌を逸した』という意味があり、もともとは騒がしい踊りのための音楽であったことが窺われるが、時代を経て優雅で憂いを帯びた曲調に変化した。」という。
posted by superbird at 12:59Comment(0)仕事

『日曜の夜が意外に静かなのは』(200524)

 きょうも晩ご飯の買い物を終えて公園で休憩。

 梅酒を漬けなければならないので梅(中)を2Kg買った。1Kgのを二袋である。アルコールも買った。氷砂糖も買った。それに加えて晩のおかずのアジのフライも買った。生のいい魚がないので仕方なかった。

 自転車に乗って帰るのもしんどいものがある。二三日分の新聞をかばんに入れて移動しているので、その重さもまたこたえる。公園で顔を洗って、おもむろに軽く狭い園内を走ってみたりして、体調を取り戻し、ようやく一息。新聞を取り出しながら、缶コーヒーを探し出しながら、ベンチに腰を下ろす。

 もしや明日は公立の学校の授業再開か。 


珈琲を一口飲んで静かかな




posted by superbird at 02:58Comment(0)暮らし

『ようやく後輪のブレーキを直した』(200523、24日夜明け前)

 もうだいぶたってしまった。きょうはようやくそれを直した。ワイヤーを何度も調整しながら。自転車の後輪のブレーキは、ようやくいい感じになった。夜明け前である。もう寝る時刻なんだけれど(ここしか時間がないのだ)。


夜明け前自転車直し安堵かな



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posted by superbird at 00:00Comment(0)暮らし

『人は誰しも苦難の人生を歩むゆえの信仰心』(200522)

 いつもどおり散歩に行く。

「きょうは仕事のことはしないぞ」という感じで朝起きた。

 なにしろ体調が悪い。下の階の洗濯の音でストレスがたまるので、きのうあれだけ疲れていてもよく眠れないのだからあきれる。

 このごろ(チベットの)文殊菩薩に祈っておくようになったのは、下の階の洗濯の音がひどくなることをある種予知していたからにちがいない。

 いつものように空を見ていく。

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 いつも気になるキノコはまるで向うから語りかけてくるように目立つのだ。

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地に伏せて茸の世界に寄り添えば

命の息吹を取り戻すかな



 この存在感は他を圧倒している。

 地面にはうようにして眺める。

 しばしこのキノコのあふれ出る命の輝きを楽しんで休憩した。

 ラジオ体操。ストレッチ。気功。など。

 なにもかもが気功といえば気功といえる。


 体調がすぐれなかったけれど、休憩してあっという間に時間がすぎ、家路を急ぐ。

 足早で行けるだけの体調の良さ。

 空は薄曇りだけれど、いまはこれが一番である。


 
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 夜になって、いつものように晩ご飯の買い物をして、いつものように新聞を、そしてまた別の公園で休憩を、きょうはすっかり疲れが取れた。


御仏に菩薩に祈る功徳かな




注:信仰心はお金儲けが絡むと間違いが多くなるのである。


 人は誰しも苦難の人生を歩むゆえの信仰心。
 人は誰しも苦難の人生を歩むゆえの常楽我浄。
 人は誰しも苦難の人生を歩むゆえの山川草木悉皆成仏。
posted by superbird at 02:29Comment(0)散歩

『きょうは仕事二日目』(200521)

 遠隔授業とはいえ、つまり通勤がなく体が楽のはずとはいえ、どことなく体がだるい。

 朝起きてすぐ、パソコンを開いて予定していた準備をする。きのう使ったチャットの文章をコーピーして保存し、同じ事態が起きた時に備えるのだ。

 チャネルに生徒が投稿できず、生徒間の質問・議論ができなかったことも、昨夜別の先生にお尋ねして、
「タグにチェックが入っていると、ミュートになって結果投稿できないらしいですよ」といわれたので、一応修正した。

 なぜそうなるかは誰も知らない。

 歯を磨き、ニュースをチェックし、散歩に出かけた。

 空はいい感じだった。不安定ではあるな。

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 けっこう好きな空である。

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 昼顔の花が咲いていた。

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 きれいで感動する。学校に行っても近くに昼顔が咲いていて、通勤で名鉄を降りて歩いていくと、ちょうど咲いている時間で、通勤がないとはいえ、まったく散歩の時間と同じなのだ。

 しかしまったく色つやがちがう。新鮮できれいで、学校のは車が通る横で咲いているのでつやが悪いのだ。

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 疲れているせいか、休憩しても精神力が不足し、気功も浅いといえる。

 散歩帰りの雑草。

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 夜になってこれらの写真を見ていると、
「えっ?――これがきょう見た空や花や、なの?」と驚く。

 きょうの出来事はまるで「かなりむかし」の出来事である。

 二日目の仕事は初日とちがって随分やることが少なかった。それだけ生徒は自分で勉強し不都合がなかったわけだけれど、なぜかすごく精神は疲れ、夜の買物を終え、公園で休憩し新聞を読み、一度家に帰って荷物を置き、もう一度公園へ行って休憩すると、もううとうとしてしまうという、この気候のよさなのに、ありえないような疲労感だった。


日中の麗しき花も活力に

満ちた空も夜は昔なり





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posted by superbird at 03:11Comment(0)散歩

『きのうからきょうにかけては一人前の仕事人間であった』(200520)

 夜が更け日付が変わるころには気功もし、きょう一日の苦労も消え、楽しさに気づくのだけれど、晩ご飯の買い物を終え、夜の公園でほっと売ると、やはり仕事(遠隔授業)のことが気になってくるのだった。

 何しろ初めてのことなので、システムは使って見ないとw刈らないことがあるのだ。生徒から見てTeamsがどうなっているかは、授業では初めてで、(生徒が)チャネルに投稿できないというシステムトラブルが発生し、修正できなかったのだ。

 チャットで切り抜けたけれど、生徒も自分も必死である。おそらく生徒はこれが楽しかったのであはなかろうかと思う。投稿できないということではなくて、こういうシステムで授業を受けるということが。

 いろいろなことがあったけれど、システムトラブルを除けば、対面授業で起きるようなことが遠隔でも起きたといえる。

 それにしても昨夜から成績が優秀で受講免除者にも通知をしなけらばならないといわれ(自分はクラスを受講者だけで作成し満足していた)、教務システムで生徒の名簿から免除者を探し選んで配信し、
「このチームに来なくていい」とメッセージを与え、生徒はたしかにこれで喜ぶけれど、授業の準備もあるし、寝るのは当然きょうの朝で‥‥。

 受講免除者の名簿は自分のTeamsのページに掲示してそれを生徒が見ればOKと判断していたのだけれど、これではだめなのだ。生徒は見ることはできないのだった。ページでチャットはできるのに。

 いろいろ反省があるのだ。


遠隔を終えて静寂しじまに反省が




posted by superbird at 02:58Comment(0)仕事

『きょうの空ときのこ』(200519)

 いつものように散歩に行く。

 アメリカではモデルナ社の新型コロナ向けワクチンが、
「治験で抗体が確認できた」という、
「えっ!?」

 ニュースでは、
「7月には大規模治験・早期量産」という。
「早い」

「NYの株は911ドル高」


 近くの団地に地植えしてある大量のサボテンの花が、きのうもうすぐ咲きそうだったけれど、見に行くと激しい雨でダメになっていた。

 散歩の空。

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 きょうは雨のち晴れという天気予報だけれど、かなり不安定なようである。

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 散歩の休憩で出会ったキノコは多肉植物のようでもある。
(むかし育てていたメセン類の仲間のようにも見える)

 きのうも同じところにあったけれど、ほとんど大きくなっていない。

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 これはきのう見た同じキノコ。

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目が合えばメセンのように茸かな




posted by superbird at 02:50Comment(0)散歩

『忙しい一日の終りにやってくる至福のとき』(200518)

 きょうは朝起きると歯を磨くより先にさっそく授業に関するTeamsの準備で、パソコンを開き、あっという間に二時間くらいたった。これはおそろしいことである。

 授業前なのにもう生徒たちがいろいろとTeamsのわたしのページにやって来ている。別にやって来ても当然何もしない人がほとんどだけれど、中にはそうでない人もいて、その対応に追われるので、自分の授業の準備、システムの使い方を試行錯誤であれこれやる予定がかなり削られたといえる。

「ひぇ~っ」

 使い方のしっかりしたマニュアルもないので、自分で先日新聞広告で見た日経の本でもあればいいのだけれど、今更間に合うかというもので、とにかく使えるようにやたらあれこれやって、いつもどおりに散歩も行ったけれど。

 たしかにこれは幸せなことである。

 山菜はいま盛りのようにたくさんある。

 しかしブランチを食べると三軒もスーパーを回って(予定どおり)買い物をし、戻って家で横になって休憩し、先日から始まったネットカフェへ行ってまたまたTeamsを開いて、やるべきことがまた生徒がいてその対応に追われ、大げさかもしれないけれど、システムの作りを調べるためにあれこれは半分くらいでキリにし、雨の中またまたスーパーへ今度は晩ご飯の買物に行ったのだ。

 しかしきのう前あたりから気づいたのは、人間たちはまた急にわたしに引っ付いてくるようになったということだ。どこへ行ってもそうだし、道路ではおまわりさんも引っ付いてきて職務質問なんかしてくれた。

 いつもどおり、
「さいきんは自転車の盗難が多くてね」で始まる例のものである。

 ここでもすっかり予定より遅くなった。とにかく人がひっついてきて、レジでもべったり背中に引っ付いてくるので気持ちが悪い。どうして人間はこうもあっさり元の木阿弥みたいなことになるのか。

 おれはそのうち名古屋からいなくなるぞ。できたら外国(移民の国)へ行くからな。

 ずぶ濡れの雨合羽でベンチに座り、屋根のひさしの下、新聞を開く。夜遅くの公園の雨ともなれば、一人である。


新聞が時を忘れて浄土かな





 あとで気づいたんだけれど、そもそもTeamsのサイトは授業が始まるまで生徒が来なくてもいいのではないかという気もする。チームというところにメンバー(生徒)を入れてクラスを作るのだけれど、オープンになっているので先生の休み時間がなくなるのだ。メンバーになっている生徒、なっていない生徒も来る。

 あれこれ対応がありすぎるといえる。対面授業なら、時間が来たら教室へ行って授業をするだけといえる。ところがこっち(遠隔)はいま教室つくり作業場つくり生徒の学習の場所つくり、掲示もしたり、課題とはとか、どれだけやればいいんだ?



posted by superbird at 05:04Comment(0)暮らし

『夜明け前の散歩』(200514夜明け前)

 夜明け前、シジュウカラが鳴いていた。いつもとちがう鳴き声だった。ほ~っという感じでメタセコイヤを見あげながらしばし聞いていた。


夜明け前四十雀が鳴いており


 帰りには、東の空が明るくなりだし、薄いこんいろの空になり、北の赤焼けた空のもとに御嶽山がきょうも見ていた。

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夜明け前御嶽山が見えており



posted by superbird at 00:00Comment(0)散歩

『いろいろやれば生きているという実感から幸せになれるものであるけれど』(200513)

 きょうは風が強い。こういう日は人によっては体が悲鳴を発する。人間はイラつきがちだ。

 あえて自転車で夜道を遠回りしていって、GEOに寄り、スーパーまでへ行き、早足で買い物をすませ、公園でふと振り返る。


買物の後に感謝の珈琲が


 昼といい夜といい仕事をし、こうしてようやく休憩のときがおとずれる。手に缶コーヒーを、かばんから新聞を取り出し、ベンチに座れば、感謝の言葉がこぼれる。

「どうもありがとうございます」


新聞を広げて夜の静けさが



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posted by superbird at 02:01Comment(0)暮らし

『(遠隔授業は)今まで教務がやっていた仕事がいきなり先生に回って来た』(200513)

 遠隔授業になって何がいけないかって、いままで教務がやっていた仕事がいきなり先生に回って来たという感じがする。システム上便利だからといって先生の仕事が増えるのはおかしい。それにレアルの授業の予定で決まったことが、暗黙の内にご破算になっていて、それ(教務がする受講生や受講免除者への通知)も先生がやることになっているのだ。

 教務のシステムにこちらからネットでインして、配信するのだけれど、生徒を一人一人コピペで加えて、講義内容をテキストで入れて「こういうふうな授業ですよ」とかクラスごとに自分が発行した「キー」を書いて、慎重にいろいろ確認とかしていくので、これが一クラスあたり三十分以上もかかるのだ。

 しかもそれでシステムから各生徒さんに連絡が行っているかを確認するすべがないのだ。(自分はTeamsに「連絡可能」と表示があった一人の生徒に「送ったよ」と連絡をし、反応を見たけど返事はない、いちいち授業前に知らない先生に義務でもないことをしないだろうけど)いささか不安である。

 なにしろ、一度入れた名簿がTeamsの中で消えてなくなっていたくらいだから‥‥。

 学校の先生というのは、授業をするのが仕事だと思っていたれど、これからは教務のする仕事もあれこれ受け持つわけで、システムがより進化したら、学校の先生と生徒とこのシステムだけで学校の存在の肝は完成である。あとは理事とか学長とか直接教えることにかかわらない人たちだけでなりなってしまうのだ。

 おそらく将来はシステムはAIになって、大学(の教育面)は先生と生徒だけになっている可能性もある。



昼夜ひるよると遠隔授業の準備かな




posted by superbird at 00:00Comment(0)仕事