『きょうは仕事が三つあったけれど救われた感じもある』(200629)

 仕事前の散歩。

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 近所のおばあさんに出会った。
「お出かけですか?」というと、
「ちょっとそこまでマッサージに行ってきます」という。
「そうですか」とわたし、「この前足を骨折されていたんで(心配してたんですが)、治ったんですね」
「ええ。これからマッサージ屋さんでリハビリです」という。
「そうですか」
「暑いですね」とあいさつされた。
「ええ。きょうは日が照ると暑くなるそうですね。31度の予想でしたよ」

 おばあさんは元気に歩いて行かれた。常に明るく生きておられる姿は大したものである。尊敬に値するのではなかろうか。数々の不幸があって、あの方は苦労が多いことはわかっている。それなのに、いやそれだからこそ明るく生きるすべを学んできたのであろう。

 でも骨折は怖いな、と骨折をしたお年寄りに出会うと思う。


 ブランチの山菜を探しながら行く。仕事なのでゆっくりは歩いていけないのだけれど、公園の中を見ると、若い人が平日なのにとても多いのが不思議である。さいきんは年寄はあまり歩いていない。いわゆるいい若い者が平日の昼前に仕事もせず、たくさん散歩している。その光景は新型コロナによる社会変化の表れといっていいのか?

 わたしは非常勤でしかももう引退してもいいような年だし、仕事が午後からでも(ありがたいことに)十分年の割に働いているといえる。どうしていい若い者が、この時間に働かず散歩などしていられるのか。テレワークでも遊んでいられる時間はそんなにないんであって、不思議である。

 これって国にとっても本人らにとってもけっこうしんどいんじゃなかろうか?


 順調に三つ仕事を終えた。

 仕事を終えて、やはり食事前の散歩が必要だった。食欲がない。

 歩いていてふと思ったのは、たとえ事務方(上の人)にとっては評価が悪くても、自分は生徒に対してできることはしっかりやっているのだ。思えばきょうもあれだけたくさんの生徒から授業が終わるたびに感謝されている。

 わたしの評価が悪いというより、政治闘争のようなことが大学内にあって、上の人(トップ)が変わったら扱いが一変したということの方が正しいのではないか? 客観的に見ると、そう思えるのだけれど(真実は知らない)‥。

 わたしだけでもないけれど、同期で採用された人、同じ高校から採用された人、言うべきではないだろうけれど、――まあ、これで一番うまくいっているので、結果的にわたしは感謝している。すべての人に感謝していれば(知らぬが仏的)間違いがないといえる。

「自分でおかした悪が自らを汚す。
 悪をおかさないならば、自らが清まる。」

 という原始仏典の言葉があるけれど、この「悪」がまるでいろいろに姿を変えて(現代人の)心を汚している。悪とは口にする食べ物もそうなりうるし、口にする言葉もそうなりうる、想念もそうなりうる。欲望の結果あるいは知識の結果、いろいろな姿になって心を汚してしまうのだ。


 何気ない足元の花を見て行く。

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 タイサンボクもまだ花が健在だ。

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 散歩帰りにはだれも見向きのしないような花をたくさんつけた雑木の花を見て行く。

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 アルボムッレ・スマナサーラという仏教徒の方が、
「人間はご飯のように口に入れて食べるものだけで生きているのではなく、心の栄養で生きている」というようなことをおっしゃっていたけれど、どうやらきょうは心の栄養で元気である。

 そうでなかったら通勤地獄がないので徐々にサプリをやめたこともあるかもしれない。(五木寛之さんも「ああいうのはなんか好きじゃない」とおっしゃっていた)

 食事もテレワークに合わせて変えてきたのと、体質改善を心掛けて半年以上かな、(大学の先生になってから特に時間がなくて食事がひどかったのを)、ようやく体の何かが変わってきた気もする。

 例えば、
「何年もファーストフードを食べていた人がベジタリアンになっても二か月や三か月で体質が変わるわけではない」という。

 ファーストフードなんてめったに食べなかったけれど、惣菜とか、売っているお弁当とかはどうしてもけっこう長く口にしていたので、食品添加物とかなにか、ジャンクフード的ではあるので、体をもとのように戻すには、長いことかかるのである。


花を見て心豊かになる日暮れ




posted by superbird at 02:35Comment(0)散歩

『いろんな人の文章を読むと人生後半には苦難がのしかかってくる気がする』(200628)

 散歩に行く。

 きょうはやはり夜じゅうそして朝までも下の人の洗濯の音で悩まされつつ寝床にいた。ストレスでかみしめたので、歯の調子も悪くなっている。

 まずは散歩に行って人のいないところで休憩する予定。

 もっと早く家を出た方がいいけれど、気力がない。

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 虫がいて、木くずを出してたたずんでいる。木は枯れ木である。

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 予定どおりひたすら休憩した。寝る。一時間弱くらいも休憩したろうか、うるさいカラスも気にせず、蚊には刺されないようにしながら、それでも元気な蚊には数か所刺されたけれど、休憩しないと死んでしまうのでお休みである。

 そのうちいつものような体操を始め、再びの休憩だった。きょうは小鳥たちが来ない。それでも回復はしたといえる。

 もうあっというまに四時過ぎである。急ぐと十二指腸が痛くなってしまうので、気楽にして、歩いて、いつものように人に会わないように帰る。

 きょうはずっと涼しい。

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 山菜は来る時にそこそこ収穫したので、ただ歩いて帰る。途中赤い木の実がたわわになっていたので熟したのをふつうに数個食べながら歩いていく。


 公園ではたくさんのハトが食事に夢中だった。一羽のハトが人を見て飛び立つ音で、すかさず、すべてのハトがいっせいに飛び立っていった。

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 電線でまるでよそよそしげなハトたち。


人を避け平和の鳩が電線で

よそよそしげに見えているかな






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posted by superbird at 01:50Comment(0)暮らし

『きょうは雲が多く蒸し暑かったけれど夜にはきょうもありがたい雨が降った』(200627)

 散歩の空。

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 きょうはかぼちゃとしょうがを買わないといけないので、散歩から帰るとゆっくりする暇もなくご飯を食べて、数分横になって出かけていった。

 扇風機のタイマーが効かなくなってしまったので、回しっぱなしである。

 相変わらず空の雲は多く蒸し暑そうである。

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 わざわざ業務スーパーまで出かけていった、にもかかわらず、店内生鮮食品売り場は一変していて、いままでと商品が違うのであっけにとられた。

「あれっ」

 かぼちゃがない。しょうがもない。いやあった。おあぼちゃは今までのように半切れまたは一玉で売っていなくて、1/4カットになっていて、値段も明らかに高い。まったく。ここまで来てこれではな‥。

 よくみると、
「なんなんだこれは?」鹿児島産のカボチャは高級かもしれないけれど、「なぜ『岐阜めぐみの会』の商品なのだ?」

 ふざけたことをするなよ、といいたくなった。今までのかぼちゃやしょうがはどうしたのだ?「岐阜めぐみの会」が仕入れた鹿児島のかぼちゃを高く買わせるなよ。

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 帰り道腹が立った。こんなにインフレになるんだったら、本当に早く自分の土地を手に入れてかぼちゃくらい簡単に作るし、薬草茶や薬草酒だってその辺の雑草でいくらでも作ってしまうんだ。

 アルコールは業務スーパーまで行く必要なんてない、西友とかイオンで買って漬ければいいんだ。酒のビックだってあるんだし。

 自転車のかごには高くて驚く鹿児島のかぼちゃに、やはり「岐阜めぐみの会」の高知産のしょうが(これも高級な袋に入っていて以前と比べめっぽう高い)、それから‥。

 これじゃあ西友で買った方が時として安いかもしれないのだ。いちばん理解できないのは、愛知県にいて岐阜の農業関係の団体の商品を買わされるということだ。小売は物流が命というけれど、消費者にいろいろな中間の、差額の金を転嫁させる行為がまことに腹立たしい。


 家でふとネットで確認し、アマゾンでまとめて安く買う選択肢もあるのだと分かった。一安心ではある。

 きょうはその後西友へ行ったら予定のバナナも売り切れで三倍もする(台湾産)バナナだけが残っていた。

 公園で新聞を読んでいると雨が降ってきた。新聞には、野菜類の値段が高止まりだとか、庶民の生活必需品が高くなっていて、この傾向は当分続くとか、そんな話が小さく載っていた。少し前、外食が営業自粛などで商品が売れず困っていて、野菜もタダで配っているというニュースもあったけれど、名古屋ではそういう話はなかったし、とにかくインフレ一辺倒といっていい。

 年を取るとお金の話が多くなる。若いころは勉強と趣味だけという感じだったけれど、将来のことはなにも考えずにやっていた。将来のことを考えずにやって来たから、いまこうしてお金のことを考えるようになったのか、それとも時代が悪魔的なのか?

 なにしろわたしが高校生の時代には、郵便局の金利が1割くらいはあって、2000万円貯めれば金利で暮らしていけるという時代だったのだ。今はマイナス金利。出口戦略は見えないし、やはり悪魔的な時代背景が庶民の暮らしを破壊しているというほうが正しいのだろう。

 世界をおおいつくそうとしているのは人間の欲望を是とするがゆえの不可解な経済政策である。


 雨はすぐ止んだので、さらに別の公園へ行って、体を鍛えて休憩していると、また雨が降ってきた。

 今度は本降りになった。

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posted by superbird at 02:29Comment(0)暮らし

『きょうは蒸し暑かったけれど』(200626)

 散歩に行く。

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 きょうは蒸し暑いけれど、休憩していると、ごくたまに風が涼しかったりもした。直射日光は避けて木陰を選ぶけれど、紫外線はきっと強いのであろう。

 皮膚がんも、皮膚がんでなくても皮膚の疾患には注意が必要だ。なにしろ今まで平気で直射日光の下でいろいろしてきたし、休憩するのだって太陽を気にせず寝ていたりもしていたものだから。


 散歩帰りは池で一羽の水鳥を見つけた。水中に潜って盛んに何か食べているのだ。わたしもこれから食事の準備をするけれど、人がいないので、近寄って見ていた。

 一羽しかいないのでまるで池を独占して自由に食事を楽しんでいる。

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気持ちよく水と戯れ食事する

川鵜が一羽で生きているかな



 空は相変わらずといえる。

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 きょうは郵便局に用があるので、食事をしたら十分ほど休憩し、出かけていった。

 記念切手を貼って送ろうとしたらなんと一枚もないので驚いた。ふつういろいろなのがあまっていて、適当に選んで貼ることができるのだ。

 なぜかな?

 クレジットカードのお金(ほとんど食費など生活費)も入れ、銀行のATMで家賃も払い、家に戻ってきた。めんどうくさいので家賃は二か月分払ったのでお金がなくなった。

 人間は生き物としてのにおいを捨て、化学物質の臭いで体を包んで自分の病気を隠している。いくら抗菌剤や香料で隠しても、病気の空気はその人の周囲をおおっているのだ(すぐわかる)。

 そういうことをして隠しても、逆に余計病気は悪くなるし、他人に大なり小なり(病気を)うつしているので早くやめた方がいい。

 こうしてみると人間はまずは隠し事をせず、自分の素の姿と向き合うことが必要だと気づく。それじゃあ人前に出られないというかもしれないけれど、上に考察したように、余計病気は悪くなり、他人さまにも迷惑をかけ、これでは社会が病人だらけになっていく(もうなっているともいえるけれど)。

 自転車で帰る。(いっぽう自分は)早くいい土地を見つけろよと。そして一人で暮らしていけよと(ずう~っと前から同じことを考えているな)。健康な人間は(こんな時代は)一人で生きていくものではなかろうか?

 家に帰って来て見る空(北)。

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 帰宅してしばらく、急に雷雨になった。名古屋の南西では激しい雨になっているという。


俄雨隠れた功徳の有難さ




posted by superbird at 02:30Comment(0)暮らし

『まだ慣れないテレワーク』(200624)

 きょうは仕事が三つある日なので、散歩は早足で行く。

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 空はまあまあだけれど、雲が覆いかぶさってくるような面もある。

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 4時間半、しっかりテレワークをしたといえる。

 仕事でもずっと家にいるので、途中、簡易書留の郵便物を受け取ることができたのはありがたい。

 いっぽう押し売りも来るけれど、
「いまテレワークだから」というと部屋の中を見て帰っていくのである。


 コーヒーを休憩で二杯飲んだら、胃がむかつくようになってしまった。

 コーヒーというのはゆっくり楽しみながら飲むべきで、仕事で神経を使っている合間に飲んではいけないのだ。何も飲まずにひたすら仕事をするのが正解だな。と思ったけれど、4時間半も何も飲まずにぶっ続けというのはきついのではないか?とも考えた。

 多少肩も凝ったけれど、慣れてきた面もあるので、パソコンに向かってマウスを動かし、淡々とキーボードを打っている自分がいる。

 胃のむかつきがあるので、終わったら散歩に出かける。

 日が傾き、雲が増えたようである。花がきれいなのは、薄曇りからの光がちょうどやさしく地上を照らしているからであろう。

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薄雲の日暮れに閉じる花の



 そのまま足の向くまま、タイサンボクの花を見に行く。

 近くの花を見て早めに帰ってご飯を食べるのだ。考えてみたらまだ起きてから一度もご飯を食べていないのだ。

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仕事して人を避けてく食事前





注:美(い)しは古語である。
 よい。 けなげだ。殊勝だ。などいろいろ意味はあるけれど、(蛇足ながらあえて言えば)けっきょくは「美しく、よい」というべき可憐な姿に感動したということでいいのである。

posted by superbird at 02:33Comment(0)散歩

『また急に暑くなった』(200623)

 散歩に出かけて、かなり行ってからリュックがないことに気づいた。どうしよう。しばし悩んでやはり取りに帰ることにした。

 まるで二往復という感じの散歩の工程である。休憩したものの、きゅうに暑いので、ばてたといえる。人もいないのは暑いせいであろう。草刈りが始まったのでうるさくて神経にさわる。

 ほとんど草なんて伸びていないのに、初夏以降二回目で、こういうのを税金の無駄というのであるけれど、悪いことをしている人や組織に対して文句を言う人、抗議をする人がいなくなったわが日本の社会といえる。

 まあ抗議や文句を言っても全く動かない、改善しないのが今の社会や人間ということもできるのであろうけれど。そういう弱者(税金を取られる低所得者や悪人にいつまでも痛めつけられている弱者)を無視して、のうのうと暮らしている特権階級や悪人たちは、必ずいずれどこかでしっぺ返しをくらって再起不能の底に突き落とされる、というのが因果応報、「良いことをすればよい人生が、悪いことをすれば悪い人生が」(とりあえず知っているところでは道元和尚も言っているという)仏の教えである。

 休憩していてそんなことを考えたわけではないけれど、散歩帰りのキノコ。なにげなく足元に出てきているのは救いでもある。キノコというのはたしかに真摯にけなげに生きている。

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暑くなり散歩帰りの茸かな



posted by superbird at 02:40Comment(0)散歩

『いつものように朝ごはんを食べる楽しみ』(200621)

 実家へ帰る前にすき家がちゃんと営業しているか調べた。なにしろさいきんはあちこち営業時間の短縮とか、休業とか、あるいは幸楽苑など閉店になっていたりして、行ったら食べれなかったではショックが大きいといえる。

 ところが24時間営業になっていたのでこれはすごいなという、喜びであった。

 そして実家で朝起きて、今度は寝過ごしたので、
「もうもしかして」とあせった。「朝の定食の時間に間に合わないのではないか!」

 HPを調べたら11時までだったので、何とか間に合いそうだ‥。

 早足で歩いていく。近くの家の塀にあった花がきれいだ。

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 いつものように食べたいものを食べる。

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 店員の若い女の子の対応もいいし、これで500円ちょっと、とても満足のいく朝ご飯だった。

 ところが最後の方でやって来た若いアベックの客がわたしを見ながら食事をするので腹が立った。やたら見る。若いアベックならそっちで目でも見つめ合って楽しく食べたらどうか?

 体をこっちに向けてまでよその年寄を見つめながら食べるな!(丸亀製麺でも一度こういうことがあった‥)

 もう一人わたしよりかなり年寄のおばあさん(この人はいつもここに来ている)の方は全く見ないでけしからん奴らである。帰るころにはわたしの頭のところに穴が開くくらい見つめたりするのでまったく腹が立って、店を出てから恨んでやった。

 不思議なことに恨んでやると、さっき穴が開いた頭のところが復活したのである。これは発見だった。ひどい目にあわされたら恨むくらいのことをして仕返しをしないと、(ガンを付けられて)病気になる、というものである。


食事中の眼付けられて店を出て

恨み晴らして行く散歩なり



 ガンをつけられたら恨み返す。なんとなく世の中(悪い気が多くなって)悪くなるような気もする。

 さっこん悪いことをしてそれに気づかないような人も多いのだろう。良くないことだという意識が働かなくなっている社会でもある。例えば人間観察などという言葉もあって、それが他人をじろじろ見つめることになって、そんな悪徳がさも一つのステイタスであるというようにも受け止められかねないような文化がどこかにあったりする。

 じろじろ見つめるだけで、ガンがついて病気になることだってあるのだ。人は人と関わらないほうがいいし、人を見ないほうがいいのである。なぜならふつうこの社会では人は罪を負っているし、たいがいはそもそも病気だし、日々いろいろな欲望で汚れている、それだけでも十分である。


 空を見て気分転換というところだろうか。
 
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 駅の方へ明日の名鉄の座席指定がどのくらい混んでいるか確認しに行こうかと迷ったけれど、やめにしよう、食後の散歩は少しでも空気のいいところ、人のいないところに行くべきだろう。

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 名古屋でもよく見かける花。

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 よくあるような花だけれど、多少ちがうところが、ちょっと変わった花といえる。

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 川べりでしゃがんで休憩した。きょうはほぼ新月で、シジミを採りに来ている人たちがいた。彼らは車で来ていて、漁業権を持っているのかな。わたしは幼いころからここでシジミ採りをして遊んだものだけれど、昔は地元の人がふつうにシジミを採ったり魚釣りをしていたものだけれど、祖父の時代からここで遊んだりしたものだけれど、親父がここで釣りをしていたら、
「ここは漁業権が設定されているから魚釣りは禁止だ」といわれたこともあり、おかしな世の中になったものである。

 いっぽうでああいう身勝手な人たちは人目につかないところでシジミ採りで楽しんでいる。

 おもむろにラジオ体操をした。緑が濃いのはこの辺りだけである。山菜を採って帰る。


 家に入る前、急に電線で鳥が鳴き始めた。

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甲高く気合を入れてヒヨが鳴き




posted by superbird at 02:14Comment(0)暮らし

『実家へ帰る(ほぼ一年余りぶり)』(200620)

 昼の散歩。

 きょうは実家へ帰ろうかなという思いがあって多少落ち着かない。

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 散歩の空。

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 散歩帰りの空。

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 部屋に戻って風呂に入り昼ご飯も食べ、バスの時間を調べ、ベランダの植物たちにしっかりと水をやる。

 なにしろこの頃の温度差は大きくて暑くなると急激に突然のように土が乾いて枯れてしまうのだ。

 昼寝をする暇もなく、ひたすら準備をし、実家で月曜の仕事をしようか迷いながらも、PC(ネットブック)を一つ持っていくのがおっくうで一泊二日、日曜に帰るかなと。

 バスの時間がもう三分しかない!バスが遅れてこないと間に合わない。

 出かける時の空。

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 道路が混んでいて、自転車で走っていくと、乗るべきバスが目の先に見えていたけれど、それを追い抜き、裏道に入り、
「たぶんあれは信号でひっかかるな‥」と思いながら、「間に合ったな」

 道路はたしかに混んでいて、コロナ以前のしかも車の特別多い時と同じくらい混んでいて、バス停に到着してしゃがんで待っていたけれど、バスはいっかな来ないのだった。


 名鉄のミューチケットは、金券ショップで注文すると、
「扱ってない」といわれた。
「えっ?」
「回数券がもう一年前くらいに亡くなった」といわれた(この人は知っているだけ立派)。

 安売りはなくなったんだ。仕方なし自販機で往復チケットを買い、1560円。ミューチケットは360円、定価で買って席を取った。2号車である。

 久しぶりに名鉄に乗ると知らないことが多い。座席のナンバーにおかしいところがあった。言わないに限る。

 コロナなので窓を開けようとしたけれど、開く窓がなかった。金山で後ろの席にしゃべってばかりの若い女が来たので、席を変わり、ようやくコーヒーを飲みながら新聞を読み始めた。席を変わると喋らなくなったり、香料を使わなくなったりするのはよくあることである。人間は人の迷惑になることを積極的にする。

 社会に出てくると嫌な思いをするといってよい。そんなことを思いながらも新聞を読む。19日に県をまたぐ移動が全面解除。自分も世間の人と同じかもしれない。(豊橋は同じ愛知県内だけれど)先週帰ろうと思って帰らなかった。今週帰るのはなにか人間はみな同じ行動をとるようでもある。

 いつものように新聞で気分転換をしているとあっという間に豊橋である。


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 豊橋を歩く。

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 歩いて実家へ行く。

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 実家のあるところは決して人が幸せに健康的に住むのには向いていない。散歩道もないし、緑が少ないし、しかしこうして山や川や空を見ると、まるで海外から帰って来た時の日本が、いつもほっとするように、故郷の安らぎが広がっている。

 ここは国道で、ものすごい車の量と音で、まるであそことは別世界「こういうところは人をダメにする」などと思いながら歩いていく。


幸福は遠く近くに一人在り




posted by superbird at 01:36Comment(0)暮らし

『質素倹約とかがどこか嫌われている社会なのかもしれない』(200619)

 きょうは雨が降った。夜の六時ころからやむという予報だった。きのうすき家でうな重の特盛を買った。ところが「ご飯が並」だったので一言、「この前はもっと大きかったよ」(器のこと)というと店員は、「人によってちがうみたいです」と受け答えた。

 そういうことじゃないんだよな。(まかないの)人によって量が違っては困るんだよな。家に帰ってHPで調べたらたしかに「うな重の特盛」は「ご飯が大盛り」と書いてあった。

 なんなんだこれは。と家に帰ってまたしてもいやになった。

 きょうはそれでちゃんと写真も撮ってあるしレシートも保管してあるし、特盛の印字された小さな容器もあるし、返金でもしてもらおうと思ったけれど、
「たったそのことのために遠くまで自転車で走っていくのか?」と思うとうんざりしてしまった。

 けっきょくそんなことはしなかった。

 ときおり、けっきょく店員は、わたしが「この前はもっと大きかったよ」といって、「同じ商品で量が違ってはいけないのだ」ということが理解できなかったのだ、そういう「違法」ともいえる事実を理解できなかったのか!などと情けなくなった。

「やはり日本の教育レベルは下がりっぱなしだ!」と納得して、仕方なし笑った。

 同じ商品を買う。しかしまかないの人が違うと同じお店でも違う商品を出す、それが当たり前な社会になってしまったのだ。バカ言えと。

 きょうは元気がないので、あまり活動しなかった。

 わたしたちはお金を無駄にすべきではないのだ。非常勤の先生の稼ぐお金はあぶく銭ではないのだ。日銀がやたら緩和するのはどこかあぶく銭を世にばらまいているといえる。

 人は汗水たらして稼いだお金は大切に使おうとする。いっぽうウォール街のようなあるいは政治家の錬金術や日銀やそこに群がる短期の投資家たちの魔法のような金融で稼いだあぶく銭は、派手に散財されてしまうものである。

 世の中はあぶく銭が増えすぎたということもできるのだ。わたしたちはごく少数の人たちだろうか?

「お金に色がついている」ということもできるこの発想は「メンタル・アカウンティング(心の会計)」(リチャード・セイラー、ノーベル経済学賞受賞者)というらしい。

 雨が降って相手がわたしの話を理解できたとしてたった数十円くらいの差額だけれどそれを得ること無駄にし放棄して、心ふさぐわたし。しかし世の中は、それを当然とするかのようにできている。

 国はまず大目に税金を取り(血と汗の結晶的な貴重なお金を)、あとで民に還付金として返却し、(タナボタ的なお金に変化させ)散財させようとしている。


泡銭の溢れる街に節約の

肩身が狭い窮屈さかな




posted by superbird at 03:28Comment(0)備忘録

『やはり疲れるのだった』(200617)

 きょうは三つコマがあるので、何とか楽にやりたいと思う。朝の散歩は何て晴れやかな空だろう。

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 そんなには疲れていない散歩である。


 仕事は中間試験が最後にあって、きょうは楽かなと思ったら、最後ものすごく忙しくなった。答案用紙をメールで送ってもらうのだけれど、「ちゃんと着いたOK」ということを一人一人の生徒に通知する作業をした。これはわたしの判断で行った。なぜなら今までの課題とかの提出で、送ったのに着いていないとか、(何度言っても生徒が)違うアドレス(遠隔のアプリ内のメールが重かったり開けなかったりするのだ!)に送ってしまってアクセスできないとか、来たけれど見れないとか、いろいろ問題があったので、
「もし生徒が送ってくれていてもダメだったら困るであろう」という判断である。なにしろ中間試験だからな。

 それでへとへとになってしまった。

 仕事が終わってご飯の準備と思ったけれどやはりまず散歩することにした。

 きょうの空も悪くない。

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仕事の日空が優しく見えており



posted by superbird at 02:29Comment(0)散歩

『きょうもとりあえずは無事終われて感謝である』(200615)

 散歩の空。

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 月曜は3コマあるので、せわしない散歩である。

 ムクドリが見えるけれど、人がいるといじめるのですぐ遠くへ行ってしまう。


 休憩して急いで家へ帰って軽くバナナヨーグルトとクルミを食べてという予定である。

 散歩帰りの空。

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 家でまた休憩し、ベッドの上で仕事の計画を軽く練る。すでに資料の準備はきのうまでにすませて作ってあるので、あとは適当にやるだけである。実は資料のほとんどは学校にあるので、これがきつい仕事ではあるのだ。

 とはいえさすがにテレワーク(遠隔授業)も慣れてきて、徐々にコツがつかめてきたけれど、運動不足になることが分かった。疲れるとすぐ寝る(横になる)のだけれど、これが学校へ行っている時の教室を移動するという肉体的な鍛錬と比べて、テレワークはその点まったくお粗末である。

 授業と授業の合間の休憩の十分はあり得ないので、生徒が問題を解き始めた時などに2分くらい横になったりできるのはいいけれど、それほど余裕はないわけで、常に授業のことなどを考えているといえる。そして体は動かさないのだ。

 頭ばかり使っているので、胃が悪くなる。なにしろ黒板がないので、速攻で生徒に見せる資料をいろいろに工夫して作ってみせるのだ。それが黒板の代わりなので、まったく必死てパソコンをいじっている。

 そして授業が終わっても生徒への対応が余震のように続く。それはまあ対面でも遠隔でも同じかな。授業以外のところでのお勤めはある程度教師の宿命である。

 食事の準備を進めようとして散歩に行くことにした。遅くなっても嫌な人間にたくさんであっても、とりあえず軽く運動である。


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 公園にタイサンボクの花があることを知っているので、そっちへまずはいく。

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仕事終え泰山木の花があり


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 すぐに人が寄ってくるので避難。さっさと逃げる。

 きょうの空は有り体にいっていい。

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仕事の日見るたび空は満ちており



posted by superbird at 02:44Comment(0)

『買い物を終えてわが自転車は荷物でまるで膨れがっている』(200614)

 公園の地面はぬかるんでいる。晩ご飯の買い物を終えるまでにいろいろ買った。古着や、家で漬ける梅酒の瓶や、(今年はまだ飲めないので)梅酒や、そして最後に晩のおかずにと、ロシア産のカラスカレイを買った。

 公園で顔を洗うために自転車を止め、トイレに寄って戻ってくると、わが自転車は荷物でまるでどこかの誰か他人のもののように膨れがって見えた。浮浪者じゃないだろうな?

 自転車を押してベンチの横まで来て、何とか自転車を止め、軽く走って、ベンチに腰掛けた。ここはときおり買い物袋に生活必需品なのかいっぱいに詰め込んで、体の周りにそれをいっぱい抱えるようにして大きくなった人が寝に来る。(自分は休憩するだけだけれど)暗がりの遠目には目が悪い現代人には区別がつかなかったりして‥。


 不安定でときおり雨が降ってくる公園で新聞を広げ缶コーヒーを開ける。


 『きょうが何日なのかは(この頃)常にわからない』


新聞で今日の日付を確認し




 『きょうのコーヒーは甘くもなく苦くもない』

 きょうのコーヒーはふつうだな。甘くない。苦くもない。(けっきょくは)コーヒーを一人心静かに飲めることが有難いのだ。


珈琲を一口ふつうの有難さ







posted by superbird at 01:45Comment(0)暮らし

『シジュウカラが最初に聞こえる夜明け前の散歩』(200614夜明け前)

 このごろ夜明け前に、最初に聞こえてくるのはシジュウカラである。歩いていくと一羽で鳴いている。昼間とか夕方とちがって力強く切れがある声で鳴いている。

 高いところで鳴いている。昼間や夕方のように長くない。短いのだ。

 わたしは少しでも寝るために早々いつものようにここでUターン、シジュウカラはいいなあと、家に帰る。



夜明前の四十雀はツピッツツピッツ






注:ムクドリたちは遠いところでたくさんで鳴いている。

posted by superbird at 16:13Comment(0)散歩

『きょうは親愛なるツバメがやって来た』(200611夜明け前)

 夜明け前、散歩から帰ってくると、一羽のツバメがエレベーターホールで舞うように飛んでいた。どこからともなくやって来て、ひらひらとゆっくり旋回するように舞っていた。

 見ていると、昼間のように俊敏に逃げるようなそぶりも見せず、しばらく舞って逆に目の前で、とまってみせた。一羽のツバメが姿勢を正して横向きにとまっている。心に留まるものがある。

 鳥の目は(両目で物体を見る)人間とちがって片側で見るので、わたしはツバメの正面にいるのと同じである。


夜明前の燕がゆっくりゆっくりと

散歩帰りのホールに舞っており



posted by superbird at 16:30Comment(0)散歩

『きょうの散歩は中途半端な雨だったけれど』(200611)

 きょうは仕事があるので、それほど散歩に時間があるわけではない。しかも中途半端な雨が降っているので、どのコースで行こうかと悩んだりもする。上り坂を行く。どんどん行く。えらいなあ。寝れていないので疲れている。

 休憩で寝たいと思う。草刈りの音が小さいけれど聞こえてくるのでゆっくりはできない。

 そういえば梅雨入りだった。時折強く降ったり小降りになったり。人が来ないのがありがたい。すぐ近くで鳴いていたカラスもいなくなった。

 ムラサキシキブの花はこの時期だったのかな。たくさん咲いている。

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梅雨入の紫式部の花があり



posted by superbird at 04:03Comment(0)散歩

『散歩の空』(200609)

 きょうは仕事休みで、明日は仕事である。

 散歩の空。

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 このごろ休憩していると、鳥がやって来る。この前は頭の上の方でしばらく「がさごそ、がさごそ」枯葉を動かし何かしているし、キツツキがやたらたくさん「こんこん」やっていたり、きのうは、足の先の方に集団で灰色の小さな鳥が飛び回りながら囀っていたり、別の日には知らぬ間に体にさわったりする。

 きょうも胸に乗っかって行ったりして驚いて飛び起きた。

 きょう散歩帰りに歩いていると、木の切り株の上に鳥の巣がのっかっていた。何気なく顔を近づけてみると、
「これはすごいな!」なにしろ巣の材料がいわゆるポリエチレンのひものくずみたいなものでできているのだ。内装は自然のもののようだけれど、外側(外装)はポリエチレンの糸くずという「どこか近代的なつくり」になっているのだ。

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 散歩帰りの空。

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休憩に鳥の世界も寄ってくる


posted by superbird at 02:44Comment(0)散歩