『京都四条京極夜のお散歩』(160201)

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 ホテルから夜の散歩に出かける。LAWSON100まで行くつもり。その途中、染殿院地蔵堂という隠れ家のような小さな寺を見つけた。一遍上人という石碑の文字にひかれたいした当てもなく足を踏み入れると、開基は空海、「空海入唐(804-806)の後、当院に留まり、主著『十住心論』(『秘密曼陀羅十住心論』(830頃)を清書調巻した」とある。
 それだけでも十二分に感動ものなのだけれど、この地蔵堂の縁起には、夢窓国師のすさまじい伝説的な縁起話が記されていた。
 要約すれば、夢窓国師西芳寺(苔寺、西京区)を作成(庭は天龍寺のという説もある)の際、大石が重く動かず難儀していると、どこやらの僧が現れ、その石を一人で動かし夢窓国師の意のまま言うがまま庭作りを助けてくれた。
 夢窓国師、感謝の礼を述べ、欲しいものがあったら何でも言ってくれというと、くだんの僧、
「袈裟がほしい」という。
 夢窓国師、手持ちの袈裟がないので、自分の袈裟を脱いで渡すと、くだんの僧、錫丈を地に立て残し忽然と姿を消し去ったという。

 この話、さらに続きがあり、その後夢窓国師、四条京極近辺で托鉢をしていた、その折この地にやってきて地蔵堂に詣で、地蔵を拝すると、かつて夢窓国師自身が作庭の際僧に与えた袈裟がその肩にかかっておるのを見て不審に思うと同時にそのお地蔵さまにあるはずの錫丈がなくなっていることに気づいたのだった。
 これを見て夢窓国師、
「はてはこのお地蔵様!」、にわかに先の作庭の際、難儀に突き当たって苦心していたとき助けてくださった、かの僧であると悟ったのは当然であろう。

 縁起によるとこの染殿院地蔵堂、京都御所以南が大火(ドンド焼)のときに建てられた仮堂である(注)。もし仮のお堂でなければ、わたくしあやうく五体投地の礼拝である(笑)。なぜ五体投地の礼拝である(笑)となるか。LAWSON100への道すがら、いろいろ考えたからである。

 何をいろいろ考えたか。長くなるのでその理由を夢窓国師の名を借りて、手短に説明するのも一考というもの。彼の名は夢窓国師ではなく夢窓疎石だからといったらどうか。疎石の疎は「おろかな」という意味である。石はもちろん心にあって悟りの邪魔になるとらわれ、なかなか自由にならない「動かしづらいもの」である。


托鉢の夢窓国師が感涙の

地蔵堂にて深く礼拝



 最後にひとつことわっておくけれど、わたくし夢窓国師の片腕というわけではなく、夢窓国師の布教をたまたまお手伝いさせていただいた一旅行者にすぎず、すなわちこの一文は仏教の方便である。



(注1)夢窓国師は托鉢していたというが、将軍足利尊氏の義理の弟、直義(ただよし)に禅の教えをじかに説法する身分でありながらである。現代の高僧が近所を托鉢などという話は聞くこともなく、「畏れ多くも托鉢を」、と胸を打たれたしだいである。

(注2、2月2日記す):仮のお堂ではあるけれど、翌朝改めて出かけ寺の方に訪ねると場所はここと変わらないとのこと。

 狭小の境内にあった寺の縁起。なぜこれほどの寺がいまあるかなしかの土地しか所有していないのか。その理由のいったんをうかがい知ることができる。

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