『寒風にもユトリロ展へ行く』(170207)

 松坂屋南館、エレベーターのドアに、目当てのユトリロ展の目玉ともいうべき作品がペイントされていた。

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 この〈可愛い聖拝受者〉トルシー=アン=ヴァロアの教会は、会場に入って割とすぐのところにあった。意外にも見ている人はほとんどいなかった。

 絵は教会と空だけである。自然は空だけである。ごくわずかに植物が描かれていたが。特徴的なのは、その空と教会の一体感である。しばしばユトリロの作品にみられる建物と自然との隔絶感がないことである。

 全般に言えることは、額がユトリロではないということである。額がなければもっと良かった。油絵にしては迫力がない。静かといえば静かなのだ。額で静けさをより演出すればよいのだが、額は彼の作品を台無しにしていた。

 彼は晩年アルコール中毒で手が震えていたという。しかし、ひとたび絵筆を握れば、その震えはぴたりとやんでしまうのだ。彼の複雑な境遇を思えば、悲しみと、救いと、わずかな喜びが、さまざまな絵の表情を醸し出していることに納得がいく。


 この目玉の作品はユトリロとは思えないような作品だ。

松坂屋美術館「ユトリロ回顧展」の目玉
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ユトリロの一人絵を描く至福かな


 今回の回顧展は国内外80点を集めたという。その作品の全体を見渡すと、空はけっしてこの絵のように本来の自由の空ではなく、パリに暮らす人間であるユトリロの救いになっていることが多くの作品で見て取れる。会場を無心で歩けば伝わってくる。


アル中の絵筆が描くユトリロの

自由の空は慈悲の広がり



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