『とらわれのない自由な空がうらやましい』(190208)

 先だってePUBファイルにしておいた『タイムマシンを買った』というSF掌編小説集を、きょうamazon-kindleで出しておいた。

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 特に感動はない。

 それよりも、きょうたまたま自治会の会長さんと話していて分かったことが悩ましい。

 団地の「10時過ぎ洗濯禁止」というルールを守らない人に対して自治会関係者の人が、まともに行動しない、他の関係者に何か言ってはくれるものの、(これは確かに情報の共有という面では一つの大きな成果ではあるけれど)誰も直接掲示板に張り紙するなり、ルールを守らず毎日のように夜11時半過ぎや早朝4時代に洗濯をして周囲の人を苦しめる当事者に口頭注意するなりをしてくれてなかったことが一つの悩みである。

 さかのぼればもう昨年の秋以前からこうした悪しき事実は関係者に伝えてあるのに。自治会関係者が団塊ジュニア世代になったこともルールが守られない、悪く言えば人に迷惑をかけてもいい自由でいいじゃないかというような無意識的な行動原理になっていることが大きいと思われる。

 きょう日経新聞の春秋という欄に、『太平洋海戦史』という著書を取り上げ、先の太平洋戦争での戦争を指導した政治家や軍人の「無為、無策、無感覚」によって、「強情、軽率、油断および怯懦( きょうだ)が災害を招いた実情は山ほど」と書いてあった。

 残酷で悲惨な言葉にできない敗戦は、けっきょく政治家や軍人の「無為、無策、無感覚」が大きな原因でもあったのだ。なるほどまことにこの人間社会というものは、新聞などでさっこんの社会情勢を見ていても、身近な団地暮らしをしていても、責任を持つべき人が無責任で「無為、無策、無感覚」であることを感じてしまうこのごろである。

 ひるがえって考えればさっこんの人間の無意識的な行動原理とは、社会的な「無為、無策、無感覚」ではないだろうか。

 人間が物事を真剣に考えていないことは明白である。それが日本の現実である。少なくともさいきんよくそうしたことが目につくような気がする。考えてみれば格差社会の進行とも関係があるのだろうか。格差社会では、上位1%とか2%とか国によっては5%とかの富裕層が、社会の富を独占しているとかいう話もあるけれど、当然の成り行きであるとも言える。

 だいたいにおいていいか悪いかは別にしてとりあえず法の下、世間の中で、長年にわたって富を築き上げてきた富裕層というのは、まっとうに努力してしかも社会に貢献してきた方々だと思うからである。

 そういう富裕層に向かって、「無為、無策、無感覚」な庶民はいわば外野であって、言うべき中身はたとえまともであったとしても、野次以外のナニモノでもないであろう。


空を見れば遠く御嶽山が見えており


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