『京都には愛すべき文化があるけれど変わったな』(190220)

 きょうは相国寺へ行った。ホテルから歩いていった。はじめは地下鉄で行こうと思った。途中古本屋があって覗くと、広重の版画があった。

 トビウオである。青い。

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「赤尾照文堂より」


「15000円かあ」15000円(?)だった。

 こころ惹かれる思いがしばらく続いた。

 ほかにもだれそれのなかなかこころ惹かれる梅の肉筆画があった。これも腕組みしてしばらくながめていた。実はきのうも壬生寺へいくとき、どこかの大きな会社のウインドウに同じ作家とおぼしき梅の絵があった。なかなかにいいのだ。

 名古屋ではこういう場面に出くわすことはない。

 さらに歩いていくと、大きな観光案内所があったので、立ち寄って、
「相国寺に行くんですけれど、その辺りに何か他にいいところはありますか?」と聞いてみたら、
 片手を上げて思案しながら、
「ここから歩いていって、御所を散策してはいかがですか。ちょうどいま梅が見所です。ここから二十分くらいです」という。
「ああ、そうですか」とわたしは梅が見所という言葉に心奪われてしまった。
「ええ、このあたりです」とその年齢的にはもう引退後とも見受けられるご老人は地図を指さしていった。
「はあっ、そうですか」とわたしはいいかなと思った。
「御所は一般公開中ですから、散策しながら出かけたらいいんじゃないでしょうか」

 御所まで歩いて二十分、御所の端から端、御所は広いので相国寺までまた二十分。けっきょく歩いていくことにした。けれど、疲れるのだ。

 御所の中でもう疲れてしまった。大木があちこち倒れるままになっているのには驚いた。昨年の強風台風で倒れたままになってるのか。名古屋の牧野ヶ池緑地よりある面ひどい。

 倒れるものは倒れるままにしておくのが自然といえば自然で、これが正しい管理という言い方もできる。もちろん意味があるからこうなっているのだ。

 昨夜3時過ぎまで本を読んだりメモを書いたりしていて、歩いているともう疲れて駄目なので、ベンチで寝ることにした。空は回復してきていて、青空が見える。日差しが暖かい。

 歩き始めると白の混じった小鳥が一羽。逃げることなく目の前にいる。珍しい小鳥である。

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「これはにげない」

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 人が来ると逃げていった。


 御所を出て道路を渡り、同志社大学のふちを回るように歩いて、遠回りになった。

 相国寺にようやく着いた。

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 以前の知っている禅寺とはちがっていた。
「ここは禅寺じゃないな」と思った。

 救急車の音が耳につき、外の音もうるさいし、境内だというのに自転車が道路を行くみたいにひっきりなしに走っている。通勤通学の道路である。
 関係者以外の車は入れないとあるけれど、関係者の車だとしても中を走っているのは気に入らない。おそらくいろいろあって座禅によって出てくる雰囲気がないのだ。

 雰囲気がないせいか、日本人観光客が禅寺を味わっていない。

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 法堂。

 法堂(はっとう)は住持(住職)が僧に説法をするところである。本尊の釈迦如来がおられる。

 開山が夢窓疎石だとは知らなかった(というより何度か来てだいぶん前には知っていたけれど、さいきん忘れてしまっていた)。


 美術展があるようだったけれど、興味がわかないのでUターン。

 一本の白梅の木が満開で、この白梅だけがじっと見つめていればその美を無言のうちにかもしている。

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 すずめが境内の道にいる。名古屋の散歩道とあまり変わらない光景である。

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 ここは変わったな、と何度も思う。

 さっき「雰囲気がないせいか、日本人観光客が禅寺を味わっていない」といったけれど、
 観光客に禅寺を味わうこころがないから、禅寺の雰囲気がないともいえる。

 外国人が視線をちょろちょろするのも駄目である。ここは遊園地じゃない。遊園地と同じベクトルで来られても困るところである。彼らは日本文化を理解する下地がないので、門外漢である。

 日本人が教育を受けてなくて禅寺を理解できず暴れたりするのは門外漢というより、いかれたやつという感じがするけれど、外国人はそれとの比較でいえば門外漢である。


相国寺門外漢の鼻が見え



 再び御所へ戻ってまた疲れたので、人の来ないようなところ、松の木の根元で寝た。今度は少し本当に眠った。




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