『旅行から帰ってひさしぶりに考える』(190316)

 旅行から帰って二日目、下の階の人が夜じゅう洗濯するという異常なことが、とりあえずなくなっていたので、夜になると眠れるようになったけれど、朝六時とか六時半とかにはもう洗濯を始めるので、やはり寝不足である。

 豊橋へ帰ったり御殿場へ行ったりする前と比べればましになったので、本当にありがたいことで、御仏や神さま方には感謝の心を素直に表していたいと思う。

 きょうもきのう同様早く起きて外で寝て、それから気功をして帰ってきて、朝ご飯を昼近くに食べて静かだったので昼寝をして、それから少し散歩をし、戻って家の中の整理をしたりパソコンの棚を整理したりした。

 親父さんが飲んでいた薬のプリントアウトしたものが二枚出てきた。2015年に死んだことを思い出し、そのまえ(2012年)に何とかしようと思っていたのに、2012年で大学の先生になりたてで常識離れした大学という職場環境への適応力のなさがあったり、親父さんが疲れているのか、あとから分かったことだけれど、わたしの知らないところでいろいろ会社を含めてやり始めたせいで、豊橋へ帰っても二人で話す機会が減ってしまったことがあったりで、自分の好きなこと、親父さんの悪い足のことについてどうしたらいいかということを、好きにできなかったことがまた思い出された。

 親父さんも年だったので、自分自身でどうしようこうしようとしなかったのかと思ったけれど、よくよく考えれば、親父さんなりにいろいろ考えていたことと思う。ただわたしにはそういう相談は直接はなかったな。

 親父さんは天国で幸せにやっている。

 家族がどうだったら、わたしがどうだったらと、後悔はあるけれど、親父さんはいま幸せにやっているのだ、これが一番よかったのだと思うしかない。ことあるごとにこうして親父さんの死に関して後悔が頭をよぎるのは、自分の好きなことができていなかったことがもとにある。

 そしていま自分がこうして住環境が悪くて苦労していることも、もとをただせば自分の好きなこと(転居)をしようしようと何度も思って引越しをしてこなかった、できなかったことと重なるようでもある。

 ともに自分と周りとの関係で、思うようにならないということもできるのだ。

 俯瞰してみれば、この世に生きる人間は、およそ周りとの関係で、「こうしたらいい」と思ってもそれができないということが多いのではなかろうか。いわゆるこれがカルマというものである。

 人間はそれなりに皆自分の事に関しては賢くても、欲の積み重なったようなこの地上の世界では、身動きが取れないようになってしまっているので、世界は「平和」を望んでも平和な世界はなかなか実現しないのであろう。





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