『いつものように朝ごはんを食べる楽しみ』(200621)

 実家へ帰る前にすき家がちゃんと営業しているか調べた。なにしろさいきんはあちこち営業時間の短縮とか、休業とか、あるいは幸楽苑など閉店になっていたりして、行ったら食べれなかったではショックが大きいといえる。

 ところが24時間営業になっていたのでこれはすごいなという、喜びであった。

 そして実家で朝起きて、今度は寝過ごしたので、
「もうもしかして」とあせった。「朝の定食の時間に間に合わないのではないか!」

 HPを調べたら11時までだったので、何とか間に合いそうだ‥。

 早足で歩いていく。近くの家の塀にあった花がきれいだ。

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 いつものように食べたいものを食べる。

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 店員の若い女の子の対応もいいし、これで500円ちょっと、とても満足のいく朝ご飯だった。

 ところが最後の方でやって来た若いアベックの客がわたしを見ながら食事をするので腹が立った。やたら見る。若いアベックならそっちで目でも見つめ合って楽しく食べたらどうか?

 体をこっちに向けてまでよその年寄を見つめながら食べるな!(丸亀製麺でも一度こういうことがあった‥)

 もう一人わたしよりかなり年寄のおばあさん(この人はいつもここに来ている)の方は全く見ないでけしからん奴らである。帰るころにはわたしの頭のところに穴が開くくらい見つめたりするのでまったく腹が立って、店を出てから恨んでやった。

 不思議なことに恨んでやると、さっき穴が開いた頭のところが復活したのである。これは発見だった。ひどい目にあわされたら恨むくらいのことをして仕返しをしないと、(ガンを付けられて)病気になる、というものである。


食事中の眼付けられて店を出て

恨み晴らして行く散歩なり



 ガンをつけられたら恨み返す。なんとなく世の中(悪い気が多くなって)悪くなるような気もする。

 さっこん悪いことをしてそれに気づかないような人も多いのだろう。良くないことだという意識が働かなくなっている社会でもある。例えば人間観察などという言葉もあって、それが他人をじろじろ見つめることになって、そんな悪徳がさも一つのステイタスであるというようにも受け止められかねないような文化がどこかにあったりする。

 じろじろ見つめるだけで、ガンがついて病気になることだってあるのだ。人は人と関わらないほうがいいし、人を見ないほうがいいのである。なぜならふつうこの社会では人は罪を負っているし、たいがいはそもそも病気だし、日々いろいろな欲望で汚れている、それだけでも十分である。


 空を見て気分転換というところだろうか。
 
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 駅の方へ明日の名鉄の座席指定がどのくらい混んでいるか確認しに行こうかと迷ったけれど、やめにしよう、食後の散歩は少しでも空気のいいところ、人のいないところに行くべきだろう。

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 名古屋でもよく見かける花。

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 よくあるような花だけれど、多少ちがうところが、ちょっと変わった花といえる。

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 川べりでしゃがんで休憩した。きょうはほぼ新月で、シジミを採りに来ている人たちがいた。彼らは車で来ていて、漁業権を持っているのかな。わたしは幼いころからここでシジミ採りをして遊んだものだけれど、昔は地元の人がふつうにシジミを採ったり魚釣りをしていたものだけれど、祖父の時代からここで遊んだりしたものだけれど、親父がここで釣りをしていたら、
「ここは漁業権が設定されているから魚釣りは禁止だ」といわれたこともあり、おかしな世の中になったものである。

 いっぽうでああいう身勝手な人たちは人目につかないところでシジミ採りで楽しんでいる。

 おもむろにラジオ体操をした。緑が濃いのはこの辺りだけである。山菜を採って帰る。


 家に入る前、急に電線で鳥が鳴き始めた。

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甲高く気合を入れてヒヨが鳴き




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