『うまいコーヒーがある幸せ』(200721)

 わかってはいるけれど、この国のすべてが貧困化し心の貧しさが街角のあちこちでふつうになってきていると。買い物に行けばやたら引っ付いてきて、気分が悪くなるのは、そのせいだと改めてきょう思った。わかっていることでも、やはり買い物に行くたび人(きょうは中年の女)に引っ付かれると嫌な思いをするのだ。

 人間はさまざまに病んでいるので引っ付かれると吐き気がするように気分が悪くなるのだ。こういうのを霊能者は悪霊に取りつかれたともいうそうだ。

 きょうまた気づいたのは、スーパーで男に引っ付かないと男の近くに行く機会がないという愛に飢えた貧しい生活をしている女がたくさんいるのだと、いうことに。行く先々でわたしのそばに来て、わたしの見定める商品を一緒に見つめる。そういうことをするな。

 わたしは時間がないので、どこへでも急いで買い物をする。なのにあとを追うようにすぐ横に来て、同じ商品を一緒になって見るなよと。こういうのをもしかしてセクハラというのではないか。


 嫌なことを考えると連鎖するのか。また別のことを思い出した。不健康な店内では、心貧しい人のすることの悪が増幅されるといえる。イオンは新型コロナの「愛知県は第二波が来た」と知事も言うような状況なのに、窓や入口を締め切っているし、健康第一で商売をしてほしいものだ。

 イオンに関しては商品の出し入れをする従業員がやたら偉そうで、お客さんが(少なくともわたしなどまっすぐ歩くとすぐに小さくなって)通路で立ち止って彼らに譲るばかりで、いつからお客さんと従業員の立場が入れ替わったのか? とかそのほかにも不満が多い。

 自転車で急いで別のスーパーにも行かなければ。明日は仕事だしな。信号は常に働いている。

 
 実はきょうはスーパーに行く前に、プレミアムボスの6ッ缶入り5セットを1599円で買ってきた。酒のビックで買ってきた。こういう店では悪い人にはあまり出会わない。

 いつものように新聞を広げてコーヒーを飲む。きのうは「日経新聞が何と中日新聞に」なっていてオウジョウした。配達員が間違ったのだな。しかたない。販売店まで行ったら締まっていて窓をたたいても出てこないし、ピンポンもないのだ。どうしたものか。お巡りさんは車で目の前に信号で止まったけれど無視していった。手にある飲み干した缶コーヒーはイラつく元にさえなっている。

 家に帰って電話して夜中に持ってきてもらったけれど、公園で新聞を読むという楽しみがなくなってしまったのだ。


 きょうはゆっくり(一缶50円台の)プレミアムボスを片手に心豊かな時を過ごせる。小雨が降って来たけれど、いっかな気にならない。日経新聞は中日新聞とちがって深い。

 さてと缶ブタを開ける。独特の苦さはコメダのコーヒーより好きだ。

 あんがいきょうのすべてがなかったことのように消え失せ、ここが都会の公園であることを忘れさせ、たったひとりの幸せが満ちてくる。



缶珈琲一口飲めば瞑目の

闇の夜空に星空があり



 [追記]

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