『カフェインレスコーヒーが一つ残っていた』(211024)

 きょうは真夜中の二時に起きた。目が覚めたといったほうがいい。下の階からの洗濯の音が響き始めていた。

 きのう夕方、ブランチの後に昼寝をしたら、そのまま(たしかに途中臭かったりうるさかったりで目が覚めたけど)眠り続けて、真っ暗、時計を見たら二時だったのだ。

 少し考えて、
「これはすごく疲れているか病気になっているか」なんじゃないかと思った。

 起きようとして腰が痛くてまず驚いた。腰が痛むのはやはり疲れているときとか風邪のときである。

 それ以外は症状がないので、どうしたものかと悩んで、一度トイレに行って、もう少し寝ていることにした。洗濯機の音が響くのでお腹が痛くなったけれど、疲れていて起きる気にもなれなかった。(六時過ぎになっても洗濯は続いていた)

 夜明け前頃に起きて、着替えたりして、それから散歩に出た。夜明けの散歩になった。

 散歩の空。

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 太陽が昇り始めているんだけれど、六時半ころ、雲が覆いかぶさっている感じ。(あとで調べた、日の出は6時07分)

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 空はしかしおだやかで、散歩道もおだやかな感じがする。

 ネコがいて、こっちを向いていたけれど、向こうにカラスが来たのでうしろを向いた。行儀がよさそうなネコである。

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 そこには月も見えていた。(わたしが月を見ていると一緒になって見ようと?わざわざわたしの後ろに立ち止まって見るやつがいるのでもう気分が悪い)

 霊界通信(スウェデンボルグ著)という本では、
「高級霊の後ろに立つと、(高級霊は怒って振り向きざま)立った人をものすごい勢いで弾き飛ばす」という箇所があるけれど、この地上では人間は無礼者が多く、平気で人の後ろに立って他人の霊を傷つけ地上を地獄にしているのである。

 月に向かってカラスも一羽飛んできた。

 長く寝ていてまだぼ~っとしているので、カラスが行くのを見て、そのまま月を見ていた。

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 人のいないところまで来て、体を休めた。そこそこゆっくりした。暖かいせいか、蚊が二三匹来た。腰がまだ痛い。ストレッチをして少し楽になるのだけれど、どうもよくないのだ。

 新聞を読む。

 散歩帰りの空。

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 東京チカラめしのカレー(優待品)を使ったブランチを食べ、昼寝をし(空気が臭くて眠れなかったので)よく眠れずに起き、遠隔授業の後半部分のファイルの整備をし、アップロードしておいた。

 明日の授業で使うファイルの準備(USBに入れ)もし、パソコン内のファイルに目を通し、さらの準備をし、ひと段落。

(きょうは何を書いておくかな)

 一つは鈴木大拙の『日本的霊性』という本の中身が「著者が到達した境地が遺憾なく示される」というけれど、禅に関してだけじゃなくもっと大きな視点からの日本の霊性だったということを書評を見て知ったこと。

 もう一つは、散歩の休憩で新聞を見ていて、菅義偉(すがよしひで)元首相に対して、
「具体的かつ深い知性と経験に裏付けられた言葉がほしい」という見出しがひっかかったこと。

 内心、そんなことできるわけないだろうと思った。
「これは先生に対して生徒が投げかけてくる言葉だ」と。

 コロナ禍もあり、経済、財政、世界情勢、いろいろなところから噴出する課題などが同時にのしかかってきているのに、身勝手な言葉だ。
「自分たちはどれだけ勉強し、首相(先生)に対して、では、どういった口の利き方をしてきているのか」

(生徒は多くの場合少なくとも浅はかであり先生に対して紳士的に「具体的かつ深い知性と経験に裏付けられた言葉で語ることはもちろんない」けれど、首相に対して、報道人やマスコミが「具体的かつ深い知性と経験に裏付けられた言葉」を使えるほどに知性と経験を備えているのかあるいはそういう努力を日々しているのか)

 生きた言葉でこちらは語っているのに、生徒たちというのは文句を言ってくる生徒ほど、幼稚な言葉の間違いを繰り返したりしながら、浅はかで「ついカチッ」とくるような言葉を投げかけてくる。

 報道陣やマスコミも同様で、彼らは生徒たちよりは学歴が高いだろうから、「具体的かつ深い知性と経験に裏付けられた言葉がほしい」などとむずかしい言葉でいってくるけれど、もしかしたら自分たちにこそ、
「具体的かつ深い知性と経験に裏付けられた言葉」が必要なのを痛感しているのではなかろうか。



買置きのカフェインレスコーヒーを

一口また一口大切に飲み



 本来は、目上の人に対しては、ことに偉い人には話す機会もなかなか与えられないのが本来であって、もしその機会が与えられれば礼儀を忘れず(これはわたし自身日本文化に深く精通しているとはいえないのでむずかしいと思っていることだけれど)、控えめに、紳士的に言葉を選んで話しかけるべきであって、(現実はまったく逆になっている)、生徒が先生にまともな日本語も使わずに身勝手で不当な要求を、自分の立場を有利に運ぶために姑息に、(ことに遠隔では)次々繰り返すような教育現場は、大人の社会の縮図とすれば、常々言われてきたことだけれど、日本社会の根っこが崩壊しているといわれるこの社会は、言いたくないけれど、きょうも授業のことを思えば、目にする文化というか、徳が崩壊しているということであって、人と人が出会えば、まるで地獄と化すとしかいいようがない。


人は人世の中は世の中一切の自己

平和な世界が空にあるかな



注:一切の自己というのは、↓ある仏教者(内田興正)の思想である。
 自己=1/1=100/100=100億/100億=一切/一切

 というようにして(これはわたしが付け足した)全宇宙につながる自己があるということ。
 一切/一切=全宇宙

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