『きょうは除といい(暦を見ると)不浄を祓い百の凶を除くという日である』(230311)

 きょうは少しは新聞を読んで、コーヒーも余裕があるせいか、飲みかたや入れ方はほとんど変わらないと思うけれど、味はいけるもので、かなりうまかった。

 部屋を殺菌するオゾン発生装置を新聞を読む間も付けっぱなしにしていたので、(ただしオゾンは人体も酸化するので不健康な部分もあって良し悪しであるが)、空気がウイルスや細菌で汚染されていなったということもあるかもしれない。

 黒田日銀総裁の10年にわたった異次元緩和を振り返ってというような記事の表を見ると、いろいろわかるけれど、日銀の国債の保有割合が、53.8%になっているのは、たしかに10年前の11.5%からすると増えてはいるはいるけれど、
「え、たったこれだけ!?」という驚きでもあった。

 新聞などの報道では、まるで98%くらいは日銀が買い占めているような印象を抱き、
「実質財政ファイナンス」などといわれることもあったし、国債の保有残高が半分くらいしかない事実は、驚きであった。

 10年で500兆円くらい増えた日銀の資金供給量は年間50兆円だから、政府の発行する国債をすべて買ってしまったといわれても仕方ないということかもしれないけれど、実際そのすべてを日銀が買ったということはないはずで(なにしろ日本の銀行も買うし外国人はすごくたくさんの国債を空売りしている、空売りは誰かが過去に買った国債を借りてきてそれを市場で売っているのであるから)、せいぜい財政ファイナンスというのは見かけだけのことであって、実質は、「財政ファイナンスではない」と黒田さんもいっているとおりではないか、とみることができる。

 新聞などの報道は黒田日銀の金融緩和策を批判するためのもので、金利が上がると儲かるような取引をしている投資家や外国からの圧力なのではないか、あるいは野党か、リベラルといわれている人たちか、よく知らないけれど、日本の転覆を望む勢力の策略圧力のような気もしてしまうのである。

 市場で売りに出てきた大量の国債を日銀がほとんどを買ってしまうということはあるけれど、それは国債の暴落を仕掛けている投資家などと日銀が戦っているのであって、国民生活を守るためという言い方もできる(その他のことは省略)のであって、わたしは、 
「発行された国債の半分くらいは日銀がもっていても仕方ないんじゃないか」という印象であった。


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 さっさと散歩に出かける。

 余裕があるといえる。

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 若い女性も基礎疾患がすごいのか、10mくらい前を歩いているのに、細胞が腐っていくような空気を出しているので、立ち止って脇へ寄って、関係ないほうを見て時間をつぶし、それからまたゆっくり歩いていく。

 後ろから人が来るとわかるとすごくゆっくりになる。そしてもうすぐ(そこの角をわたしは曲がるので)終わりだな、と思ったとたん、その女性はその角を越えると(一緒に来た仲間女性が二人くらいいたのだけれどもうさっさと先へ行ってしまって見えなくなっているせいであろう)まっすぐ走っていった。

 ようやく一人になってラジオ体操をしてストレッチもし休憩した。

 WBC(ワールドベースボールクラッシック)のニュースをスマホで見ると、胡椒挽きが1万円のものまで売れているという、クリックしてさらに見ると、NOOTBAARという選手が活躍していて、彼のパフォーマンス、ペッパーミルを挽く動作がすごく受けているからだった。

「いいんじゃないか(身を粉にしてやっている)」

 こういうのは日本人には受けるんじゃないか、そしてわたしは思ったんだけれど、
「これは日本電産の永守さんが『よくぼくは死ぬ気になってやれ』というんですよ、社員に、といっていたことと同じじゃないか」と。

 永守さんが「死ぬ気でやれ」というと、それが悪魔でもあるかのようにものすごい批判がさいきん報道され永守さんを貶めようとしている(またその陰では鴻海に移籍した、もともとは日産から請われて日本電産の社長になった人をかばっているけれど、この人は坊ちゃんタイプでわたしが見ていてとてもじゃないけれど最前線で相手側と知力と胆力を持って交渉するような人物には見えなかったのに英雄扱いでさえある)、いっぽうでしかしながら、ヌートバー選手が、(彼は彼自身のことで実は見る者に悪意があれば自画自賛ともとられてしまうのだけれどまったく世間はそうは感じない気迫と若さと情熱でもって世界へ向かってペッパーミルを挽き)
「身を粉にしてやっているんだ!」というパフォーマンスがカッコよくて、いま世間で受けているのとは、天と地、爽快と泥沼の差があるのはなぜなのか?

 けっきょく人からああしろこうしろといわれることが、いまの多くの現役世代には受け入れらないということなのだろう、そうでなければまともに働く気がないのである。――それは大リーグやプロ野球の世界で戦う特殊な人(選手)でしょ、比較されても困るね、ぼくとはちがう世界だしね、とか思って突き放しているのか、また、そして大企業も(中堅でも世界を目指せば)、大きな世界を相手にして生き抜くためには、「身を粉にしてやること」、それがまっとうで必要で正しくても、
「ぼくは楽をして世界一になれる」とか「ばくはなにもしなくても誰よりもいい暮らしができる」とか、むかしそういう不可解な自信に満ちた生徒が教室によくいたけれど、そこまで行かなくても同じベクトルでいっているように聞こえる。

 ヌートバー選手は見れば生き抜くために必死になって練習をし、常に最高のパフォーマンスをという気迫と信念でやっているのだと思うけれど、それがまるでさいこうにカッコよくて受けるということは、日本人が失ったものがそこにたくさんあって輝きを放っている、それを目の当たりにして共有することが、この上もなく感動的だからかもしれない。


ヌートバーペッパーミルの心意気




 散歩帰りの空も快晴である。

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身を粉にして出てくるパフォーマンスは

死ぬ気で臨む心意気かな




注:ヌートバー(Nootbaar)のもとは、彼のお母さんがいっているドイツからのBarrというのとはちがうけれど、日本人的にNotable、などと英語読みすると、ペッパーミルのパフォーマンスは、とすれば、彼はnotable:「 注目に値する,顕著な · 著名な,名高い,傑出した」 という意味になるなあ。

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