『ランのつぼみが一つ膨らんできている』(240507)

 朝起きて、ベランダに出て、ランのつぼみが出ているので、写真に撮っていた。

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 一つだけ付いている

 部屋の空気が悪いので、ランのフィトンチッドで癒されようと、部屋と外とで出し入れしたので、途中つぼみがついたけれど、たくさん小さなうちに枯れてしまった。

 4月に急に暖かくなってすぐ冷えたので、それもあると思うけれど、温室のある家に住みたいものである。実家の開いた土地に作ろうかなとも思ったりする。(なんとか詐欺ペテンの被害者にならず、正当な相続人として、どうやら自分の物になって一人で使えそうになってきそうなので)。

 きょう散歩の休憩で、ふとそのことを想像したのだけれど、急に気分がやわらいだな。車の駐車場も工夫して、サボテンの置き場も考えて、いまある鉢植えの山桜も植えて、などと、次々考えたりすると、それがほんのまるでごくわずかな一瞬に近いような時間なのだけれど、そのあと、まるで世界が別世界になってしまった。


 きょうは久しぶりなのか、魚とか納豆とか、日ごろ食べるものを買いに行った。

 買い物に行くとき見えた景色。

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 帰りには、公園で鉄棒以下、少々身体を鍛えて帰ってきた。

 散歩の空。

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 きょうネットのニュースを見ると、日本ほどいい国はないといって、コメント欄でも、賛同する意見が目白押しになっていた。これは政府官僚サロンの情報の統制操作の結果ではないのか、ということも疑ったりした。

 この国がいい国であることは否定しないけれど、ではその社会に目を向ければ、借金を膨大に積み上げて(GDP比でも世界一の不名誉悪魔借金大国)、その恩恵を今享受する人は、意外にも多く、諸外国よりいい暮らしができているに決まっているので、「日本よりいい国はない」などという錯乱したような(少なくとも悪魔に魂を売ったからこそできるような借金大国では)自分を失った見方意見が大勢をしめてしまったりもするのであろうか。

 将来のことを考えず、あるいは、いい国であることに目をつけ、食い物にしようと画策するアクドイ連中が内外にいて、本来は、豊かで幸せな恵まれた国であるべき(あってしかるべき)はずが、食い散らかされた結果(あるいはこれからはもっとそうなる危険がサロンのおかげで十分あるわけだけれど)、それを悟られまいとする情報の統制管理が必死になっている感はぬぐえないという印象もあたったりする。

 きょうのスーパーのレジでも、わたしが並んでいると、二回もわたしの前に立って、レジをしようとするやつがいた。

 一人目はまだ、
「並んでいる?」と聞くのでましといえばまし、しかし思えば、そのおばさん、わたしがかごのこっちに立っているからでもあるまいに、
「並んでる」と返答いったけれど、またじいっとわたしを見つめて、
「並んでいる?」と聞く。

 理解できないのかこのババア、見ていると理解できないようなので、さらに、二回ほど、
「並んでる!」ときつく繰り返してにらんでやってようやく後ろに下がった(買い物かごが足もとのマークのところに置いてあるのだから当然であって聞くだけ野暮)。

 しかし二人目、なにもいわずにわたしの前に立ってしまうのだ。

 むかつく。まだ若い団塊ジュニアによくある顔(薬漬け)の男で、皮膚の弾力がなさそうで色がマダラになっていて、もう終わりそうにも見える(すごく多い、こういう顔、この世代の特徴である)。潤いがあって弾力があるのが人の健康的な肌だけれど、それはなにかを塗りたくっててかっているけれど、色がついていてそれがとてもマダラで爬虫類みたい、そしてあきらかに皮膚が硬直しているみたいなのだ。

「並んどる!」とさすがにわたしも目くじらが立ってしまう。

 そしてさっきわたしの前に来て、いまはわたしの後ろにいる、これも団塊ジュニアの女(悪人には見えない)を指さして、
「並んどる!!」といってやった(これが見えないのかという意味)。

 ふつう、自分以外の状況を少しは察するものであろう、しかしそいつ、まったくそういう気配がないのだ。かといって急いでいるわけでもなく、ゆったりやってきて、そのままわたしの前に入り込んで平然としているのだ。

 頭がおかしくないか。しかしこういう奴が、老いも若きも(つまり中学生でも)いるのだ、この国には。

 つまり悪人がのさばっているのである(教育がないというか、若いうちからすでに頭がおかしくなってしまっているのか、団地でもいるけれど、善悪というより悪に染まっている、単純に脳が足らないという見方もあるけれど、脳が足らなくて悪事を働くのでは悪に染まっているのと同じである)。

 悪というのはこの場合、社会的なルールがない。自分の欲のままというか、他人のことは暮らしの中で一切考えられない、迷惑もなにもない、ただ欲のまま、団塊ジュニアは心がすでに年老いてしまって枯れ果てた動物、死を目前状態でもある。先に書いた中学生の場合は、自分の欲のまま、目の前に並んでいる人を差し置いて、割り込んで、自分の買いたいものをレジの店員の前に置いて当然(順番を待つという気持ちは全くない)、いそがしそうで、そわそわしていた。

 つまりこの国には教育がないのである。教育とは基本にあるべき徳、それがまるで皆無、である。こういうところからも、格差が広がって当然ということもいえる。さっこん格差が悪いという意見がたくさん出てくるけれど、大金持ちというか、富裕層たちは、ほとんどが才能があってしかもまっとうな努力があってそうなった人であって、そういう人はたくさんの功徳を積んでいる。アマゾンを作った人は、世界中の人の暮らしを良くしている。楽天やヤフーの通販は、いろいろな面で及ばない、それくらい優れた才能を持っている人ということができる、グーグルも、IBMも、これは好きじゃないけれど、マイクロソフトもそうだろう。

 格差でいけないのは、悪いことをして大金持ちになった政治家とかサロンの連中とか、詐欺師とかペテン師とか、そういう人をいうのであって、一般論として、大金持ちは少なくともさっこんの状況では、格差は悪くはないというのがわたしの印象である。

 上位1%が世界の資産の35%を持っているといって、新聞記事に格差を悪に、その代名詞にしていたけれど、それはないだろう。たった35%であるというのがわたしの印象だった。

 ふつうに働いて、暮らせない社会を作って、庶民の老後を破滅や絶望へと導きながら、利権をむさぼっているサロンの方がどれだけアクドイことだろうか。


 町山智浩(元雑誌宝島の編集などしていた人)という映画評論家がいるのだけれど、いわく、
「アメリカの国民年金 Social Security から受取額の通知届いた。今(62歳)から受取り始めると月2173ドル(33万円)だけど、66歳からだと月3000ドル(46万円)受け取れる」

「もし日本に住んでたら厚生年金と合わせても14万円だった」 という。

 なお、何度もいうけれど、積み立て式なら、日本でも(国民年金だけでも)アメリカくらいの金額はふつうである。



サロンが食い散らかす豊かな日本






注:町山智浩のお話は、5月7日(火)の大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)のものからです。

 また、氏によると、
「年金の受取額月3000ドルというのは一人分なので夫婦だと6000ドル、年間72000ドル(1100万円)」
「アメリカの60歳以上世帯の年間支出、必要なお金の平均は55000ドル(医療費込み)」
「アメリカの国民負担率は32%。日本は47.9%。」と続いていました。

 氏の履歴を見ると、1996年以降(34歳ころ)にアメリカにいっています。

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