『きょうは晴れてきた』(240610)

 散歩の空。

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 とにかくやることをどんどんやって、散歩に出かけていくという感じで、仕事をしているときとはまたちがった忙しさで一日がすぎていくということかなと思う。

 人に引っ付かれないということをまずは常に考えながら歩いていく。

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 空は曇り空だけれど、日が照ると、暑いくらいになる。

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 ムクドリが、ものすごくたくさん、集合みたいになっている。

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椋鳥に召集令状戦争間近



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 ハトが一羽だけ、こっちの方にはムクドリにまじって人になつっこい。

 人間さんが来ると、なにか特別美味しいものをもらえるという、刷り込みが出来上がっているようで、警戒というよりむしろ、「早くくれよ」という感じで近づいてくる。


椋鳥に平和の鳩が一羽かな



 鳥たちを見て、それから、晴れてきたので急に増えてきた人の姿などを気にしながら、人に引っ付かれないように歩いていく。

 空を振り返って見たりする。

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 人がいなくなって、休憩する。

 きのう見つけたんだけれど、桜の実が、桜の倒木(半ば朽ちている)に落ち、そこで芽を出して、これから成長しようという、どこか先祖の遺産にあずかって活用し、命を育もうという、発芽の姿が数本、いくつも見ることができるのだった。

 辺りを探したんだけれど、桜の倒木以外のところにはまったく桜の新芽はなく、先祖の朽ちたつまりは遺産によってのみ、これから新たな桜を育てよう、先祖の遺産によってのみ子孫は繁栄することができるという、摂理を見ることができるのだった。

 人間でいえば、先祖が資産(おカネや土地や家など)を残してくれないと、なかなか子孫は繁栄できないということを教えてくれているような、あるいは遺産を浪費する(先祖やからの資産をすべて使い尽くして死んでいくという)さっこんの社会に警鐘を鳴らしているようにも見ることができるのだった。


 様々な先祖代々受け継いだ

 資産遺産を丁重にして

 地には命の豊かさがあり


 これは桜の倒木、半ば朽ちているところに、種が落ちて芽を出しているところ。

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 数本確認することができた。


 身体を鍛えて、休憩してみると、眠くて仕方がない。コロナもまた増えているというけれど、やたらというか、BGMのように眠気が自分の底流に延々と流れ続けている。

 ときどき、
「救急車が多いな」とつぶやく、――つまりサイレンの音で目がさめていたということではないのか、とこれを書いていて思った。


 夜中、日経のデジタル版を見て、子供は「ぜいたく品」という表現があって、仕事と両立「無理ゲー」という。

 これはすごい表現だなあ(妖怪の世界からきたみたい)、と思った、そしてさっこんの若い人たちの言葉(なのかどうか知らないけれどこれ)は地下世界の腐臭を漂わせて、(ゲゲゲの鬼太郎でいうと)ねずみ男の声が聞こえてきそうなのだ。

 それと同時に、ああやっぱりこの社会は人間をモノとみなしているのだなあ、と改めて思ったのだった。たしかに「仕事と子育て」を両立させようとする政府官僚サロンの戦略は身勝手千万、詐欺師ペテン師ウソ八百に満ち満ち彩られている。

 読者の表現(いっていること)のようだけれど「ぜいたく品」とは、いかにも子供に対して命と愛を兼ね備えた神さまの、もともとはカネとは縁遠くあるべき賜であることを否定しているかのような響きがするのだった。


人間が子供を見れば幾らかと

モノ扱いの悲劇なりけり


神様の愛と命を受け継いだ

子供を捨てた社会なりけり




 きょうの晩ご飯は、また大きなアジの塩焼きになった。美味いけれど、これを食べるまでに、いろいろ手を加え、眠気ともたたかい、ようやくのように、うまい晩ご飯にありつけるのだった。

 きょうはゴキブリも少なくなった。つまり、最初は多かったのだ。どういうわけか、(空気が悪くなったのだと思う)、まったくいなくなった。蚊もいないのは、きのうは悩まされるくらいいた、しかしきょうは、臭気はそれほどないけれど、空気が悪いからである。

 酒を飲んでいないと、お腹が痛くなったするのだ。

 早く寝たいと思う。


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