とにかく団地周辺は工事が多くてうるさいので空を見る余裕などはないといえる。
歩いていって、人を避けて、ひたすらその連続になってくるのだけれど、別の場所でいつもと同じ花を見ることができた。
山茶花があちこちにある街に居り
公園の端に、垣根のようになってしかし半分伸び放題になっているおかげで、こういう素敵な花木に出会うことができているといえる、庶民のささやかな楽しみといえるのではなかろうか。
さらに歩いていくと、きょうは(あんなところに)、ハトが二羽見えた。
さらに歩いていくと、紅葉がきれいになっている木が見えた。
あとでわかったのだけれど、あの真ん中の木がステキに見えるのは、両側にある二本の木も関係しているのだろう、ただ見ているときには気づかないけれど、写真で見ると真ん中の木を引き立てている。
休憩していると、だんだん暖かくなって、冬ではないくらいになってきた、そして空気もどんどん悪くなってきた。マイコプラズマ肺炎の空気が煙のように漂ったりもした。その他の汚染された空気もあったけれど、マイコプラズマ肺炎の空気は濃度が低下しても、確実に漂っている。
散歩帰り、どういうわけか、団塊ジュニア世代くらいの夫婦が二組、ともに犬の散歩をしながら歩いているのにすれちがったり、出会ったりした。
どうしてまだ二時台なのに働いていないのか、と不審にも思ったけれど、さっこん労災とかいろいろあって、働かない労働者が多いのはどこへ行っても同じである(実家の近所にもいる)。散歩をしていても、気候がいいと(わたしは冬なのにこんなに暖かいのは気候がいいとはいわないけれど)、顔色の悪い人が歩いているのである。
とにかく顔色の悪い人が歩いているけれど、そういう人はすぐにいなくなってしまうといえる、団地の近所でも、歩いていたけれど、そういう人は(何人もたくさんいるけれどみんな)確実にいなくなってしまうのである。何十年も歩いている人はわたししかいないといえる。
健康のために歩いているのか、いなくなるために歩いているのか、もし健康のためならすぐいなくなるのもおかしいわけで、もしそうでなければ、別の健康法でも見つけたということであろうか、健康のためならどんどん健康になって、それこそ顔色も良くならなければおかしいわけで、よくわからないといえる。
とにかく歩いている人は、かなりむかしは別だけれど(むかしは健康的な人が歩いていた)、この何年かでいうと、空気が毒ガス化して、それがより悪化しているのと同じなのだろう、人が変わっても、はた目横目にも見ると、どんどん顔色が悪化してきているということはいえるのである。
散歩帰りの花。
人を避けていくと、このコースになるという、四季咲きの桜に出会う半ばは道なき道。
四季咲きの桜は近く人の目は
遠くなりゆく花のありけり
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