『きょうもいつものように一人静かに過ごす夜の幸せ』(200703)

 きょうは昼ころから徐々に雨が強くなってきて、夜も遅くなるにしたがって雨足が強くなった。

 晩ご飯の買い物を終えると、イオンで買ったプレミアムボス(78円)を飲みながら新聞を開いた。新聞は7月1日のもので、疫病と人間の関係をつづった話をまず読んだ。


最高のコクPREMIUMBOSSという

缶コーヒーを飲んで休憩



 しかしながら、ふと思い出す、今朝の新聞を家で読んだとき、驚いたのは、名古屋の名東区で殺人事件があったことだった。きょうもいつもながら買物に行くと人間が悪くなったなと感じながら、一人だけそうでない人もいて何もなく平和にすれ違ったけれど、(あれはふつうだな、以前はみんながあんな感じですれちがっていたんだ)などと思い、やはり人間のほとんどが(すれ違うたび出会うたび他者を傷つける)悪人になってしまっている、ときょうも傷ついた身体の自分を感じながら思った。

 がんの増加にしろ心不全(パンデミック状態《国内患者130万人で》といわれるほど)の増加にしろ、アレルギーの増加(30万~50万人)にしろ、そもそもは人間の心が悪に染まりきっているからであろう。

 宗教家は必ず「人類は滅びる」というけれど、それはこうした状況の下では信者を増やしたり、信者の信仰心を保つために無難な発言である。(「悪はいつか必ず滅びる」という思想は間違っているとはいえないから)

 名東区の大針一丁目で殺人事件が起きるのも、驚きだけれど、ふだんの買物で出会う人間たちを見ていれば、殺人事件もさもありなん、わからないこともないなという気もしないでもない。

 そのようにさいきん治安が悪くなったということは切実に感じていたけれど、(犯人がお巡りさんに相談していてもこうして)殺人事件がまるでふつうに起きてしまうようでは、「アメリカとどっちが安全なんだ?」と思うし、また、思い出すのは、ジム・ロジャーズ(Jim Rogers)さんが以前、
「もし私が10歳の日本人ならAK-47を購入するか、この国を去ることを選ぶだろう」(2017年12月週刊現代)と言っていたことである。

 どこに住もうかと考えながら、将来不安はぬぐえないといえる。


 雨足が強くなるなか、新聞に目を近づけ、東大寺の大仏様の写真を見る。

東大寺大仏美の10選.jpg


 この毘盧遮那大仏様は、光明皇后さまが聖武天皇に進言し、また、夫の聖武天皇だけではなく、民の来世の安寧平和をも願うものであったという。

 死者の安寧平和があってこその現世もまた平和であることを思い、おそらく最終的には少なくとも結果的に、平和にこの国を治めるための賢明な大仏様の造成、供養、祈りの姿である。 

 手元の7月1日の日経新聞には、
「奈良時代の735年(天平7年)8月、九州の大宰府より疫病の報告が都に届いた。今で言う天然痘らしい。国は病人に食料や薬を与え、神仏に祈りを捧(ささ)げた。しかし、疫病は全国へと広がり、2年後には政治の中枢にいた藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)の命を奪った。

 時の天皇、聖武天皇は仏の加護によって疫病を退散させ、国を守ろうと願い、全国に国分寺と国分尼寺を建立した。そして、都に総国分寺として東大寺が建立され、銅造の盧舎那(るしゃな)大仏が造立された。」(奈良国立博物館学芸部長 内藤栄)とある。

 すなわちだとすれば、
「疫病退散とは、人の心の中の疫病退散であったともいえるのではないか?」(自説)と思ったりもしたのだ。


東大寺総国分寺毘盧遮那(大)仏

みかども民も疫病退散









注:AK-47というのは、一般にはカラシニコフ銃と呼ばれる旧ソ連製の自動小銃。

 またジム・ロジャーズ(Jim Rogers)さんは別のところで、
「日本の治安は悪くなる。自分の命は自分で守らなければならない、ゆえに私ならカラシニコフ銃を持つ」という意味のことをいっていたのだ。

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『いろんな人の文章を読むと人生後半には苦難がのしかかってくる気がする』(200628)

 散歩に行く。

 きょうはやはり夜じゅうそして朝までも下の人の洗濯の音で悩まされつつ寝床にいた。ストレスでかみしめたので、歯の調子も悪くなっている。

 まずは散歩に行って人のいないところで休憩する予定。

 もっと早く家を出た方がいいけれど、気力がない。

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 虫がいて、木くずを出してたたずんでいる。木は枯れ木である。

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 予定どおりひたすら休憩した。寝る。一時間弱くらいも休憩したろうか、うるさいカラスも気にせず、蚊には刺されないようにしながら、それでも元気な蚊には数か所刺されたけれど、休憩しないと死んでしまうのでお休みである。

 そのうちいつものような体操を始め、再びの休憩だった。きょうは小鳥たちが来ない。それでも回復はしたといえる。

 もうあっというまに四時過ぎである。急ぐと十二指腸が痛くなってしまうので、気楽にして、歩いて、いつものように人に会わないように帰る。

 きょうはずっと涼しい。

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 山菜は来る時にそこそこ収穫したので、ただ歩いて帰る。途中赤い木の実がたわわになっていたので熟したのをふつうに数個食べながら歩いていく。


 公園ではたくさんのハトが食事に夢中だった。一羽のハトが人を見て飛び立つ音で、すかさず、すべてのハトがいっせいに飛び立っていった。

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 電線でまるでよそよそしげなハトたち。


人を避け平和の鳩が電線で

よそよそしげに見えているかな






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『きょうは雲が多く蒸し暑かったけれど夜にはきょうもありがたい雨が降った』(200627)

 散歩の空。

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 きょうはかぼちゃとしょうがを買わないといけないので、散歩から帰るとゆっくりする暇もなくご飯を食べて、数分横になって出かけていった。

 扇風機のタイマーが効かなくなってしまったので、回しっぱなしである。

 相変わらず空の雲は多く蒸し暑そうである。

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 わざわざ業務スーパーまで出かけていった、にもかかわらず、店内生鮮食品売り場は一変していて、いままでと商品が違うのであっけにとられた。

「あれっ」

 かぼちゃがない。しょうがもない。いやあった。おあぼちゃは今までのように半切れまたは一玉で売っていなくて、1/4カットになっていて、値段も明らかに高い。まったく。ここまで来てこれではな‥。

 よくみると、
「なんなんだこれは?」鹿児島産のカボチャは高級かもしれないけれど、「なぜ『岐阜めぐみの会』の商品なのだ?」

 ふざけたことをするなよ、といいたくなった。今までのかぼちゃやしょうがはどうしたのだ?「岐阜めぐみの会」が仕入れた鹿児島のかぼちゃを高く買わせるなよ。

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 帰り道腹が立った。こんなにインフレになるんだったら、本当に早く自分の土地を手に入れてかぼちゃくらい簡単に作るし、薬草茶や薬草酒だってその辺の雑草でいくらでも作ってしまうんだ。

 アルコールは業務スーパーまで行く必要なんてない、西友とかイオンで買って漬ければいいんだ。酒のビックだってあるんだし。

 自転車のかごには高くて驚く鹿児島のかぼちゃに、やはり「岐阜めぐみの会」の高知産のしょうが(これも高級な袋に入っていて以前と比べめっぽう高い)、それから‥。

 これじゃあ西友で買った方が時として安いかもしれないのだ。いちばん理解できないのは、愛知県にいて岐阜の農業関係の団体の商品を買わされるということだ。小売は物流が命というけれど、消費者にいろいろな中間の、差額の金を転嫁させる行為がまことに腹立たしい。


 家でふとネットで確認し、アマゾンでまとめて安く買う選択肢もあるのだと分かった。一安心ではある。

 きょうはその後西友へ行ったら予定のバナナも売り切れで三倍もする(台湾産)バナナだけが残っていた。

 公園で新聞を読んでいると雨が降ってきた。新聞には、野菜類の値段が高止まりだとか、庶民の生活必需品が高くなっていて、この傾向は当分続くとか、そんな話が小さく載っていた。少し前、外食が営業自粛などで商品が売れず困っていて、野菜もタダで配っているというニュースもあったけれど、名古屋ではそういう話はなかったし、とにかくインフレ一辺倒といっていい。

 年を取るとお金の話が多くなる。若いころは勉強と趣味だけという感じだったけれど、将来のことはなにも考えずにやっていた。将来のことを考えずにやって来たから、いまこうしてお金のことを考えるようになったのか、それとも時代が悪魔的なのか?

 なにしろわたしが高校生の時代には、郵便局の金利が1割くらいはあって、2000万円貯めれば金利で暮らしていけるという時代だったのだ。今はマイナス金利。出口戦略は見えないし、やはり悪魔的な時代背景が庶民の暮らしを破壊しているというほうが正しいのだろう。

 世界をおおいつくそうとしているのは人間の欲望を是とするがゆえの不可解な経済政策である。


 雨はすぐ止んだので、さらに別の公園へ行って、体を鍛えて休憩していると、また雨が降ってきた。

 今度は本降りになった。

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『きょうは蒸し暑かったけれど』(200626)

 散歩に行く。

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 きょうは蒸し暑いけれど、休憩していると、ごくたまに風が涼しかったりもした。直射日光は避けて木陰を選ぶけれど、紫外線はきっと強いのであろう。

 皮膚がんも、皮膚がんでなくても皮膚の疾患には注意が必要だ。なにしろ今まで平気で直射日光の下でいろいろしてきたし、休憩するのだって太陽を気にせず寝ていたりもしていたものだから。


 散歩帰りは池で一羽の水鳥を見つけた。水中に潜って盛んに何か食べているのだ。わたしもこれから食事の準備をするけれど、人がいないので、近寄って見ていた。

 一羽しかいないのでまるで池を独占して自由に食事を楽しんでいる。

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気持ちよく水と戯れ食事する

川鵜が一羽で生きているかな



 空は相変わらずといえる。

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 きょうは郵便局に用があるので、食事をしたら十分ほど休憩し、出かけていった。

 記念切手を貼って送ろうとしたらなんと一枚もないので驚いた。ふつういろいろなのがあまっていて、適当に選んで貼ることができるのだ。

 なぜかな?

 クレジットカードのお金(ほとんど食費など生活費)も入れ、銀行のATMで家賃も払い、家に戻ってきた。めんどうくさいので家賃は二か月分払ったのでお金がなくなった。

 人間は生き物としてのにおいを捨て、化学物質の臭いで体を包んで自分の病気を隠している。いくら抗菌剤や香料で隠しても、病気の空気はその人の周囲をおおっているのだ(すぐわかる)。

 そういうことをして隠しても、逆に余計病気は悪くなるし、他人に大なり小なり(病気を)うつしているので早くやめた方がいい。

 こうしてみると人間はまずは隠し事をせず、自分の素の姿と向き合うことが必要だと気づく。それじゃあ人前に出られないというかもしれないけれど、上に考察したように、余計病気は悪くなり、他人さまにも迷惑をかけ、これでは社会が病人だらけになっていく(もうなっているともいえるけれど)。

 自転車で帰る。(いっぽう自分は)早くいい土地を見つけろよと。そして一人で暮らしていけよと(ずう~っと前から同じことを考えているな)。健康な人間は(こんな時代は)一人で生きていくものではなかろうか?

 家に帰って来て見る空(北)。

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 帰宅してしばらく、急に雷雨になった。名古屋の南西では激しい雨になっているという。


俄雨隠れた功徳の有難さ




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『いつものように朝ごはんを食べる楽しみ』(200621)

 実家へ帰る前にすき家がちゃんと営業しているか調べた。なにしろさいきんはあちこち営業時間の短縮とか、休業とか、あるいは幸楽苑など閉店になっていたりして、行ったら食べれなかったではショックが大きいといえる。

 ところが24時間営業になっていたのでこれはすごいなという、喜びであった。

 そして実家で朝起きて、今度は寝過ごしたので、
「もうもしかして」とあせった。「朝の定食の時間に間に合わないのではないか!」

 HPを調べたら11時までだったので、何とか間に合いそうだ‥。

 早足で歩いていく。近くの家の塀にあった花がきれいだ。

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 いつものように食べたいものを食べる。

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 店員の若い女の子の対応もいいし、これで500円ちょっと、とても満足のいく朝ご飯だった。

 ところが最後の方でやって来た若いアベックの客がわたしを見ながら食事をするので腹が立った。やたら見る。若いアベックならそっちで目でも見つめ合って楽しく食べたらどうか?

 体をこっちに向けてまでよその年寄を見つめながら食べるな!(丸亀製麺でも一度こういうことがあった‥)

 もう一人わたしよりかなり年寄のおばあさん(この人はいつもここに来ている)の方は全く見ないでけしからん奴らである。帰るころにはわたしの頭のところに穴が開くくらい見つめたりするのでまったく腹が立って、店を出てから恨んでやった。

 不思議なことに恨んでやると、さっき穴が開いた頭のところが復活したのである。これは発見だった。ひどい目にあわされたら恨むくらいのことをして仕返しをしないと、(ガンを付けられて)病気になる、というものである。


食事中の眼付けられて店を出て

恨み晴らして行く散歩なり



 ガンをつけられたら恨み返す。なんとなく世の中(悪い気が多くなって)悪くなるような気もする。

 さっこん悪いことをしてそれに気づかないような人も多いのだろう。良くないことだという意識が働かなくなっている社会でもある。例えば人間観察などという言葉もあって、それが他人をじろじろ見つめることになって、そんな悪徳がさも一つのステイタスであるというようにも受け止められかねないような文化がどこかにあったりする。

 じろじろ見つめるだけで、ガンがついて病気になることだってあるのだ。人は人と関わらないほうがいいし、人を見ないほうがいいのである。なぜならふつうこの社会では人は罪を負っているし、たいがいはそもそも病気だし、日々いろいろな欲望で汚れている、それだけでも十分である。


 空を見て気分転換というところだろうか。
 
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 駅の方へ明日の名鉄の座席指定がどのくらい混んでいるか確認しに行こうかと迷ったけれど、やめにしよう、食後の散歩は少しでも空気のいいところ、人のいないところに行くべきだろう。

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 名古屋でもよく見かける花。

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 よくあるような花だけれど、多少ちがうところが、ちょっと変わった花といえる。

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 川べりでしゃがんで休憩した。きょうはほぼ新月で、シジミを採りに来ている人たちがいた。彼らは車で来ていて、漁業権を持っているのかな。わたしは幼いころからここでシジミ採りをして遊んだものだけれど、昔は地元の人がふつうにシジミを採ったり魚釣りをしていたものだけれど、祖父の時代からここで遊んだりしたものだけれど、親父がここで釣りをしていたら、
「ここは漁業権が設定されているから魚釣りは禁止だ」といわれたこともあり、おかしな世の中になったものである。

 いっぽうでああいう身勝手な人たちは人目につかないところでシジミ採りで楽しんでいる。

 おもむろにラジオ体操をした。緑が濃いのはこの辺りだけである。山菜を採って帰る。


 家に入る前、急に電線で鳥が鳴き始めた。

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甲高く気合を入れてヒヨが鳴き




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『実家へ帰る(ほぼ一年余りぶり)』(200620)

 昼の散歩。

 きょうは実家へ帰ろうかなという思いがあって多少落ち着かない。

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 散歩の空。

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 散歩帰りの空。

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 部屋に戻って風呂に入り昼ご飯も食べ、バスの時間を調べ、ベランダの植物たちにしっかりと水をやる。

 なにしろこの頃の温度差は大きくて暑くなると急激に突然のように土が乾いて枯れてしまうのだ。

 昼寝をする暇もなく、ひたすら準備をし、実家で月曜の仕事をしようか迷いながらも、PC(ネットブック)を一つ持っていくのがおっくうで一泊二日、日曜に帰るかなと。

 バスの時間がもう三分しかない!バスが遅れてこないと間に合わない。

 出かける時の空。

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 道路が混んでいて、自転車で走っていくと、乗るべきバスが目の先に見えていたけれど、それを追い抜き、裏道に入り、
「たぶんあれは信号でひっかかるな‥」と思いながら、「間に合ったな」

 道路はたしかに混んでいて、コロナ以前のしかも車の特別多い時と同じくらい混んでいて、バス停に到着してしゃがんで待っていたけれど、バスはいっかな来ないのだった。


 名鉄のミューチケットは、金券ショップで注文すると、
「扱ってない」といわれた。
「えっ?」
「回数券がもう一年前くらいに亡くなった」といわれた(この人は知っているだけ立派)。

 安売りはなくなったんだ。仕方なし自販機で往復チケットを買い、1560円。ミューチケットは360円、定価で買って席を取った。2号車である。

 久しぶりに名鉄に乗ると知らないことが多い。座席のナンバーにおかしいところがあった。言わないに限る。

 コロナなので窓を開けようとしたけれど、開く窓がなかった。金山で後ろの席にしゃべってばかりの若い女が来たので、席を変わり、ようやくコーヒーを飲みながら新聞を読み始めた。席を変わると喋らなくなったり、香料を使わなくなったりするのはよくあることである。人間は人の迷惑になることを積極的にする。

 社会に出てくると嫌な思いをするといってよい。そんなことを思いながらも新聞を読む。19日に県をまたぐ移動が全面解除。自分も世間の人と同じかもしれない。(豊橋は同じ愛知県内だけれど)先週帰ろうと思って帰らなかった。今週帰るのはなにか人間はみな同じ行動をとるようでもある。

 いつものように新聞で気分転換をしているとあっという間に豊橋である。


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 豊橋を歩く。

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 歩いて実家へ行く。

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 実家のあるところは決して人が幸せに健康的に住むのには向いていない。散歩道もないし、緑が少ないし、しかしこうして山や川や空を見ると、まるで海外から帰って来た時の日本が、いつもほっとするように、故郷の安らぎが広がっている。

 ここは国道で、ものすごい車の量と音で、まるであそことは別世界「こういうところは人をダメにする」などと思いながら歩いていく。


幸福は遠く近くに一人在り




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『買い物を終えてわが自転車は荷物でまるで膨れがっている』(200614)

 公園の地面はぬかるんでいる。晩ご飯の買い物を終えるまでにいろいろ買った。古着や、家で漬ける梅酒の瓶や、(今年はまだ飲めないので)梅酒や、そして最後に晩のおかずにと、ロシア産のカラスカレイを買った。

 公園で顔を洗うために自転車を止め、トイレに寄って戻ってくると、わが自転車は荷物でまるでどこかの誰か他人のもののように膨れがって見えた。浮浪者じゃないだろうな?

 自転車を押してベンチの横まで来て、何とか自転車を止め、軽く走って、ベンチに腰掛けた。ここはときおり買い物袋に生活必需品なのかいっぱいに詰め込んで、体の周りにそれをいっぱい抱えるようにして大きくなった人が寝に来る。(自分は休憩するだけだけれど)暗がりの遠目には目が悪い現代人には区別がつかなかったりして‥。


 不安定でときおり雨が降ってくる公園で新聞を広げ缶コーヒーを開ける。


 『きょうが何日なのかは(この頃)常にわからない』


新聞で今日の日付を確認し




 『きょうのコーヒーは甘くもなく苦くもない』

 きょうのコーヒーはふつうだな。甘くない。苦くもない。(けっきょくは)コーヒーを一人心静かに飲めることが有難いのだ。


珈琲を一口ふつうの有難さ







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『スズメがイオンにいるのは初めて』(200605)

 きょうは車の多さが際立っている。知っている喫茶店がなくなっていることにも気づいた。業務スーパーからイオンの方へ行く途中の高級住宅地(道路に面して20軒余りの家々)の間の道は何とさわやかな空気が広がっていることかと。その空気の良さに驚く。と同時に、低所得者の多い団地などは知的レベルが低いので香料や抗菌剤の臭いがすごいこと。

 やっぱりな、などと納得しながら、困ったものだな教育レベルの低い人たちは‥。製造業の多さでは日本一という愛知県には外国人労働者が東京に次いで多いそうだけれど、外国人の人たちというのもまた(新聞を読めば)日本語もまともに喋れずただカネを稼ぎに来ているようで、教育レベルは相当に低く、平気で抗菌剤や香料を使っている。教育レベルが低いことによって彼らが受けているさまざまな不利益には同情することだらけだけれど、そういう人たちは増えることによって社会はどうなるのかといえば、無知な推測といわれるかもしれないけれど、日本人の低所得者は彼らに添うようにして教育レベルが低下し、格差の拡大の原因に、社会の分断や不安定化をもたらす原因に、と悪い影響を受けているのだろうかと。自転車を走らせながら思い考え、そして夜には新聞など読んでそのことに関するいろいろわかって気付いたこと、思ったこともあった。


 自転車のかごや買い物袋にはアルコール4L、カボチャ一個、ショウガ95円、コショウ詰め替え用一袋。自転車で裏道を走っていく途中で上に書いたようなことを思い考えたのだ。

 これからお金を下ろして晩のおかずの買い物などもまたする予定で。

 (裏道から出ると)この道もまた車が多い。

 イオンの前に来ると、スズメが一羽、落ち着きなく地上に留まっていた。ゆっくり見ている暇もないので、わたしもスズメ同様に忙しい。

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忙しい雀が一羽顔を見せ





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『夜の幸せなひと時が救いかな』(200604)

 きょうは人間がおかしいと思う。しかしよくよく考えてみると、先日の郵便局の窓口の女性もいつもとちがって機嫌が悪かったし、あんがいこのごろ目に見えてじゃないけれど、人間が不機嫌になっているのかもしれない。

 きょうも仕事で肩が凝ったけれど、一コマしかなかったので、体はまだ楽なはずで、仕事の後の昼寝も起きると二時間も経っていたし、世間の人たちとちがって自分は心がやすらかといえる。

 わざわざ遠回りして自転車で買い物に行く。

 買い物先でもアルバイトの大学生は仕事をせず二人で喋ってばかりいて、閉店間際になると、放送でその旨繰り返し「もう間もなく‥」などとお知らせを流し続けているのに、偉そうな口調で個人的に人を脅しつけるように「もう間もなく閉店です」といってくるのには腹が立った。

 自分たち仕事もせずに何をエラそうなことを言っているのだ。わたしは時計を見ながらいつも閉店前に店を出るのだ。お客さんを脅しつけるのが仕事と勘違いして満足しているようでは話にならない。今の世の中こんな感じである。

 人は社会にあっては本来のやるべきことをしろ。自治会※もそうだけれど、本来のやるべきことをせずにいらぬことをして人を攻撃してくるのが今の人間たちの特徴である(もちろんそういう人が目立つということではあるけれど)。

 夜の道を自転車で走って行って、家に買い物の荷物を置き、また自転車で走って行って、人を避けながら、人のいないところで休憩である。夜中でもきょうは人が多い。

 きょうも一人自転車のやつがわたしの前を何度(数回)も行ったり来たりを数分くらいかの間隔で繰り返し、わたしをじっと見つめていくのには閉口した。先日もどこかの爺さんが同じここ暗闇の中でハイヒールじゃないけれど高いかかとの靴をコツコツ音を立てて行ったり来たりを繰り返し、なかなか立去らないのには閉口した。

 そんな不愉快な存在の人間に気を取られながらも、わたしは薄灯りの暗いベンチの片隅ですくむようにじっとしている。「三密を」とかいって「人を避けろ」というのがコンセンサスになりつつある世の中であるがゆえに、こういうおかしな連中が、過去から積み重ねてきた自分に抗しきれず、その自分が巨大化し出現し、ときどき人にかかわろうとまるで虎視眈々と狙っているのだ。

 わたしの場合たかが知れている範囲ではあるのだろうけれど(ニュースでは自制できずに暴走しているようなのもいる)、なにしろ半分眠ってじっとしているとこの前はわざわざ突然(軽くだけれど)肩をたたきに来るやつもいた。

 訳が分からないので(言っている意味も)、
「はあっ!」と二三回言ってようやくそいつは立ち去ったけれど、さいきん人とかかわろうとするやつが多くなったのはたしかなのだ。こういうのはもしや、「治安が悪くなった」ということもできるのかもしれない。

 むやみにこっそり近づいてきて突然人の体にさわるな!!こういう連中は苦労しても心の中から切って捨てていくしかない。


 街灯の薄明かりで新聞を広げ、持ってきた缶コーヒーを開け、記事の一つで世の中に思いを致し、至福の境地を堪能する。このごろいつもの缶コーヒーがミルクチョコレートのような味がする。


ミルクチョコレートのような珈琲を

一人静かに飲めるしあわせ





注:内輪の話で恐縮ではあるけれど、自治会※というのは、あとで分かったことだけれど、その、
「棟長ですけどね」といっていらぬことを言ってきたやつは、もともとは二年連続で副棟長だったので、まだ役員をやっていると思っていたけれど、何と先日役員名簿を見たら何一つ自治会の役員をやってなかった(もちろん見ても地域の役もやってなかったのだ)。

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『今日の晩ご飯はまたまたサバになった』(200603)

 最近サバが多い、というより、サバばかり食べている。きょうはサバの塩焼き、一切れは煮たけれど、さごしの白子、あさりのみそ汁もあったんだった。

 だけど豊かなようでほとんど毎日同じような味付けの同じようなものという貧しさでもある。その中でさごしの白子とか、意外にも三重の真サバが旨かったのはありがたいこといえる。

 何しろ三重のサバといえば魚屋さんに聞いても、千葉などと比較して味が落ちるということなのだ。


晩ご飯三重の真鯖も旨かった




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『朝起きて忙しいというのは世間の人と似ている』(200602)

 朝起きてニュースをチェックして、ベランダや部屋の中の植物たちの顔いろをうかがい、
「そうだバラの花の写真を撮っておかなければ」

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 急いで写真を撮って、バラの枯枝を少し切り取り、肥料もやっておかなければ、と鶏糞(発酵肥料)を、サボテンとランには薄めた液肥もやり、鉢の土がすっかり乾いたものにはさっそく水をやり、部屋の中のランにも液肥をやり、くだんの植え替えをしたばかりのランの根がまた虫に食べられていないか慎重に目を凝らし、大丈夫かな、きょうは暑くなるようだが、さてそうだ何かパソコンでやることがあったぞ、少し明日の仕事の準備をして、――。

 ようやく散歩に出るのだった。

 きょうの空。たしかに暑くなりそう。

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 散歩道に見つけたテントウムシ。

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 散歩道をさらにいって、何ということのない雑木だけれど、花を咲かせているので目をやって、「きれいだなあ」と感動し、歩いていく。

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 休憩のキノコの親子。親子に見えるのは人間の感覚で、実は考えてみれば、これは同じ菌糸から出てきている同体なのだ。

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 休憩していていつの間にか眠ってしまった。鳥がきていて、がさごそしながらわたしの体をさわるので目が覚めた。

 散歩帰りの空。

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 きょうはブランチを食べたらどうしても郵便局に行かなけらばならない。五時までだからキリキリになるかもしれない。

 世の中は寄付やボランティアやなど、善なる行為がマスコミを通じて知ることができる。しかし現実は、そういう行為がまれなもので、むしろ一般にはきらわれる行為なのではないのかとさえ疑った。

 ふつうに生きている人にとって、目の前に善を実践する人がいると、あんがい目障りであったりもして、不機嫌にもなりうるのだ。


夏の空天道虫にバラの花



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『きょうはご苦労だった』(200531)

 いつものようといえばいつものようにブランチの後に昼寝して買い物に行った。しかし目当ての晩ご飯のおかずは苦労した。五月末の優待券があるので、天ぷらの持ち帰りをと、予定の讃岐うどんへ行くと、完全休業中だった。

「えっ!?」緊急事態宣言とか解除でも?

 で次善のザめし屋へ行こうと、自転車を走らせていくと、
「見当たらない!(お店がないぞ)どこだったっけ?」

 Uターン。この辺りのはずだがな‥。
「ない!なくなっている!!」

 広い駐車場があって、黄色い旗が立っている。
「OPEN」という文字が見える。不採算だったのか、閉店撤退、さっさと解体して更地にし、「駐車場になってしまったのだ!」

 近くに吉野家があって、
「お客さんが一人もいないのにやっているのは偉い」などとよくわからないことを考えてしまう。

 こうなるとどこかへ買い物だ。西友だな。



晩ご飯三重の胡麻鯖食べるなり






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『日曜の夜が意外に静かなのは』(200524)

 きょうも晩ご飯の買い物を終えて公園で休憩。

 梅酒を漬けなければならないので梅(中)を2Kg買った。1Kgのを二袋である。アルコールも買った。氷砂糖も買った。それに加えて晩のおかずのアジのフライも買った。生のいい魚がないので仕方なかった。

 自転車に乗って帰るのもしんどいものがある。二三日分の新聞をかばんに入れて移動しているので、その重さもまたこたえる。公園で顔を洗って、おもむろに軽く狭い園内を走ってみたりして、体調を取り戻し、ようやく一息。新聞を取り出しながら、缶コーヒーを探し出しながら、ベンチに腰を下ろす。

 もしや明日は公立の学校の授業再開か。 


珈琲を一口飲んで静かかな




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『ようやく後輪のブレーキを直した』(200523、24日夜明け前)

 もうだいぶたってしまった。きょうはようやくそれを直した。ワイヤーを何度も調整しながら。自転車の後輪のブレーキは、ようやくいい感じになった。夜明け前である。もう寝る時刻なんだけれど(ここしか時間がないのだ)。


夜明け前自転車直し安堵かな



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