『土地探し家探しする大津かな(疲れたといえる)』(200122)

 きょうは琵琶湖の向こうのほうまで出かけなければならない。

 散歩も忙しい。

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 散歩の休憩は、のんびりするとカラスが邪魔しにくる。のんびりリラックスすると邪魔しにやってくる。そうそうに引き上げる。忙しさは仕事の時並みである。


 高速バスに乗って名古屋駅を目指す。

 バスを降り、歩いていくと、JR名古屋駅の方へのビルとの境目にハトたちがいた。ハトたちはたくさん、盛んに何か食べていた。こんなところで何か食べ物を撒いていく人がいるのだ。へ~っ。

 ハトたちは(こんな都会の真ん中で)元気に生きている。

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 快速で行こうと思った。特急がはじめだったけれど、特急は時刻表になかった。もっと早く来ないとだめか。

 しかし人が多すぎる。こんなに人が多いのか。

 先頭に立っていたけれど、あまりに人がたくさん急に後ろに並ぶので、
「どうする。やめるか。新幹線にするか?」

 米原まで、それともいっそ京都までだな。

 特急券を買って京都まで行くことにした。のぞみは快速よりも次々とやってくる。どれもみんな100%乗車って感じだった。これじゃあいやだな。ひかりで行くか。ひかりで行くかな。ひかりだな。

 ひかりはまるで新幹線の「ふつう」といった感じである。車内はガラガラだった。運がいいのかな。数人しかいない。

 久しぶりに新幹線からの車窓の眺め。山並みはこんなものだけれど、やはり快速とは天と地の違いがある。すぐむこうに快速電車の車内が見える。昼過ぎなのに通勤電車みたいに100%混んでいる。お金のある人とない人。余裕のある人とない人。めったに電車に乗らない人と毎日乗る人。めったにどこにも行かない人と毎日の通勤で乗る人。

 わたしはめったにどこにも行かない人なので、満員の快速で地獄を味わいながら遠出しなくても、たまには新幹線で行ってもいいだろう。

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 ふつうに新幹線を降りて在来線に乗り換え。そのまま何となく歩いていく。ちょうどいいぐわいに何とか快速という電車が来た。

 はじめてくるところではあるけれど、比叡山の坂本は行ったことがあるので、(さらに先ではあっても)多少土地勘がある。それとなく電車に乗ってうまくいった。

 どんどん走っていく。早い。頭がぼんやりしてなんとなく蓬莱という国がどこかにありそう‥‥。

 湖西線からの眺め。(左側の席に座ったので)琵琶湖は右側で見えない。左が山。山の方の土地を見に行くのだ。

 これはとんがり山(正式な名前は知らないのでいま仮にこう呼んでいる)である。

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 ホームの景色。曇り空である。東海道線から乗り換えてから、何となく雰囲気が良くなった。こういうところはいいよな。

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 家はボロボロである。安いので仕方ない。しかし解体費用とかを考えるとかなり高いと思った。鳥たちの遊び場になっていた。長く空き家のようだ。基礎は白アリさんがたくさんすぐっているな。

 その家は前住んでいた人が京大の教授みたいだった。部屋の中は本棚だらけで、残り物の本類に加え、愛教大の社会学部かなんかからの贈呈の灰皿なんかが残っていた。

 こういうものはなにか縁があるのかなと思った。もし買ったらどうしようこうしようとか。

 どうかなと腕組みして考えていたら一瞬がまるで一時間近くたっていた。
「えっ!」

 あの世の一日はこの世の三十年という説もあるけれど、まるで一瞬である。

 慌てて引き返す。

 走る。とりあえずわからなくなってはいけないので、まったく同じ道を引き返すに限る。それでも時おり間違いそうになる。

 花が咲いている。

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 走った。走った。旅に出るとこういうことが多い。電車の時刻に縛られ地獄の苦しみを味わう。走る。走る。走る。

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 来週か再来週かとりあえずもう一つまた(別の)家を見に行く(予定)。引退後の住処をどうするか。アメリカに移住しようかという思いもある。前からアメリカがいいなと時々思う。日本にて功徳を積みながら生きていくのが一番いいのではないかと思うけれど、それができなきゃ仕方ない。

 名古屋に住んでいると分かりづらいけれど、みんなアメリカや、友人の話ではタイとかハワイとかフィリピンがいいとか、いろいろ考えている。つまり誰もがこの国から脱出したいという思いが大なり小なりあるのではないかと。

 せんだっての元日産のゴーンさんの逃亡劇でも、この国の言い分はまるで北朝鮮のように独善的で、理性が欠如して、ある種情けなくもあり、怖くもあり、いやこれは日本だけではなく、世界を覆う潮流でもあるのかもしれないけれど、世界は変わったとしか言いようがない。

 国の借金を見てもこれは戦争状態の時の特徴をよく表していて、平和な日本で育ったわたしたち世代からすると、日本はやはり平和とかいうけれど、生きづらい社会になったというのが共通の認識である。

 そうはいってもわたしたちは(GDPを増やすために、それこそが国益であり社会の安定を保つには必要不可欠であり我が信条であるかのように国民をだましながらほとんど人の幸福を犠牲にして日夜努力する)政府日銀の政策を横目に、努力を重ね、それでも幸せに平和に勤勉に死なないように生きていくしかないのである。それこそがまさしく庶民にしてみれば功徳を積むことにつながるのである。


 大津まで戻ってホテルにチェックイン。疲れた。しかし晩ご飯の買い物に出かけるのだ。自家製パンは家から持ってきた。大津は買い物が不便である。100円ショップもないことは知っていたので、軽い晩ご飯である。フレスコで98円で大きなリンゴがあったので買った。HEIWADOのスーパーで138円の豆腐も買った。茄子の天ぷらも買った。半額になっていた。

 菜食主義みたいだな。これでもけっこうな晩ご飯だな。缶コーヒーもある。

 買い物の帰りに旧東海道の記念碑みたいのを見つけた。

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 もう一つ。

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 そういえば大津宿という言葉もある。

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 これは東海道ではなく木曽街道の大津。歌川広重『木曽街道六十九次・大津』(大津は70番目)。
 次は信州の土地を見に行くのでこっちの浮世絵にした。




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『巡礼で奈良の山の辺の道を歩くために乗った電車の中で見た新聞の記事より』(191225)

 ウミガメには様々な目的で観測装置がつけられている。いずれも人間がデータを集めて、金儲けや立身出世に使うためであり、あるいは環境保護を目的にしたものである。

 しかしウミガメにとってはおせっかいな、苦しみであり、人間にだって、「環境や貴重な命を守るためには予算をつけてお金を使う」という前提によって、ウミガメだけではなくて、ほとんどの人間である庶民が高い税金で苦しむことになるいったんが見えるわけだけれど、なにより当の本人ともいうべきウミガメの姿から気づくのは、人間そのものがついにウミガメと同じになっているのだということである。

 スマホを持った人間のある側面・多くの部分はウミガメになっている。他者を苦しめるものは自分を苦しめることになる。こうして他者と自分はつながっていく。


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観測装置を付けた海亀は

スマホを持った人と同じだ



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『きょうは長谷寺のあと聖林寺へ行った』(191224)

 聖林寺の観音菩薩は、言葉にできないものがある。ふれることも口にすることもできない。そのくらいの美しさであった。

 そのせいだろうか、薄暗い中に、異界の宙空に浮き上がっているのだ。



聖林寺の十一面観音菩薩

像は美の魂が宿っている




 これは美しいこと言語の外にあるもので、写真や映像などで見るものとはまったく違っていた。たまたまひとりっきりになれたので、ありがたかった。国宝である。あるけれど国宝というのはあまり意味がないといえる。言葉を超えた美を放っているからである。

 この十一面観音菩薩像は、もともと驚くべきことに、三輪山・大御輪寺の本尊で、前回奈良へきたとき、三輪神社を参拝し、そのあと、山辺の道を歩いて、仏教伝来の地へ行く途中寄った、平等寺にあったものではないかという記述もどこかで読んだ。聖林寺は「平等寺の遍照院を移して再興した」といい、そこにあった仏像類の大半はここ聖林寺に移されたからなのだ。

 前回そのことを知って、
「それじゃあ聖林寺へ行かないと」と思ってきたのだ。

    聖林寺の境内は狭いけれど、その猫のひたいほどの境内のはしに立ってながめると、奈良盆地が三輪山の裾の先ににぎわっているのが見え、さらに(わたしには見えないけれど)卑弥呼の墓(古墳)があるのだという。
 
    なんだかすごいなぁー。はるかな昔、邪馬台国というわけなのだ。あるいはまたそこ、桜井は昔大和の中心だったという。 

    邪馬台国は知らないけれど、聖徳太子くらいは本当だろう。なんともいえない静けさが横たわっている。







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『奈良行きのバス』(191223)

 人がいるところでものを食べるのはよくないとはヒンズー教の聖者の言葉であるけれど、じっさい胃が気持ち悪くなってしまうので。だけれど仕方ないので予定通り、時間を見計らって名鉄の地下で買った弁当を食べていく。



奈良行きのバスに揺られて人の世の

苦労が窓に見えてくるかな




晩ご飯一口ごとに口をつく

有難いなあ有難いことだなあ



親父さんと一緒に食事した

感謝の気持ちがまたよみがえり





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『あとから気づいたけれど通勤地獄を経験してそのあと奈良まで行くのはかなりきつかった』(191223月)

 仕事が終わって予定通り奈良へ行く。23日というのは二泊三日だと25日に戻るので、
「帰りが混むかな」と心配していた。
 行きは案外普通電車に乗ればすいているかなという楽観があった。

 ところが通勤地獄の時間で普通電車も空気が悪く、
「これじゃあ混んでても急行とか準急とかに乗り換えて早く行ったほうがいいな」と適当にホームに来た電車に乗り換えた。

 けれど、人が多いのはホームからたいしたもので、もうずいぶん疲れた。


巡礼も通勤地獄の人となり



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『きょうは疲れることが多かったけれどおみくじは大吉で有難い一日といえる』(190920)

 きょうはあやふやだった予定を変更して、京都行きを奈良の観光に切り替えた。京都の周山からさらにその先まで行くとなると、帰りのバスの時間が遅くなって優雅に帰ってこれなくなりそう。

 きのう長谷寺へ行って聖地巡礼をたんのうしたので、きょうは奈良でまたどこかへ行こうと。

 帰りのバスは奈良交通と名鉄バスで予約ができるみたいだったけれど、一苦労二苦労で、けっきょく(奈良の窓口で)予約ができず、
「乗るときバスの運転手さんにお金をはらってください」ということになった。「席は空いてますから」と。「五分前にバスは来ますから」と。

 大和路の観光を山辺の道を歩き、バスの時間より40分くらい早く奈良駅へ帰ってきたけれど、こうしてバスの予約ができないので、バスが来るまでの時間、これ幸いといえばいえること、三菱自動車の株を買い、奈良の野菜を売っている店でお袋に野菜の種を買った。種は500円だった。

 株はナンピン買い増し、将来の年金向け、種は、
「(お袋よ)土いじりをして野菜の生長を眺め少しでも元気に長生きしてくれよ」という願いである。



 きょうの肝心の観光のことはといえば、観光案内所で、
「三輪神社へ行くんですが、その近くになにかいい神社仏閣はありますか?」ときくと、パンフレットを持ってきてくれて、三輪神社を通っているハイキングコースみたいのがあり、見ると、仏教発祥の地というものがあった。

 わたしは即座に、
「ここへ行きます」といった。
「そういうものに興味があるんでしたら」とその人はいった。何かいろいろいった。
「この道は(歩いていって)すぐわかります?」
「わかりますよ。天理よりこっちはわかりにくいですがね」


 わたしはきのうと同じ電車に乗り、三輪駅で降り、神社を目指した。

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 大きな鳥居が駅から見えるので、そっちへ行ったのだ。鳥居のところまで来たら、記念写真を撮った。珍しく自分の写真を撮った。しかしさて神社に進んで行こうと信号を渡り、振り返ったらそれはなんと参道の始まりだった。


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 Uターンである。何て馬鹿な奴だろう?!と思った。ところがわたしと同じように観光らしき人たちは次々と一人または二人で歩いて来てわたしとすれ違うのだ。
「そっちはちがうよ」というべきか、それとも黙っているべきか。なぜか忠告する雰囲気ではない。しかたない。そのままにしておこう。

 少し歩いて、わたしははたと気づいた。
「待てよ、考えてみれば、参道の始まりまで来て、そこから神様のところへ行くのだから、これは正しいのではないか?」

 歩いていくと駅から右折してそのまま大神(みわ)神社へいく人もいれば、わたしの後ろから来る人もいるのである。

 歩いていくと、その先に木々の緑が増え、たしかに参道らしき入り口になってそれらしい鳥居があるのだ。

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 鳥居をくぐるときに一礼する信仰心のある人ばかりである。日本最古の神社であるけれど、熱田神宮とも三島神社ともちがう。やはり神様の性質が大いにちがうのだ。それがはっきり出ているのが由緒ある神様ということもできるのだ。

 身体を清める祠(神さま)がまずあって、そこを通り過ぎたので、みんな通り過ぎる、Uターンして立ち寄って汚れをはらい、拝殿に向かった。

「本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社」とある。

「ご祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」とある。

 お参りしようと思ったら、右の方に自分で自分をきよめる設備があった。そこで玉串を振って自分をきよめるのだ。

「はらえたまい、きよめたまえ、かむながらまもりたまい、さきわえたまえ」などと唱えるのである。

 拝殿。
 
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 (中略あとで書くかもしれない)

 山辺の道を歩いて、ついに来た「日本仏教発祥の地」、百済から使節が釈迦如来の像と経典類を持ってここに到着したのだ。

 地図で川を見ると、初瀬川である。きのうの長谷寺へ行くときに渡った川である。
「あそこからここへきているのか!」

 ここにはむかし大きな港があり、使節団がここにやってきたのだ。

 しかし発祥の地といってもお釈迦様が悟りを開いた場所でもないし、日本仏教発祥の地という雰囲気でもない場所である。大きな石碑がある。その横で寝ることにした。暇な人が平日の昼間から川で釣りをしている。一人(年寄り)はわたしの昼寝を邪魔しにきた。年寄りは近くに来ると、疲れるので駄目である。俄然そのあと疲れた。

 二人とも釣竿だけ置いて、わたしがきたと思ったらやってきて、昼寝するとすぐどこかへ行ってしまった。けれど、時間に縛られているわたしは、二人がいなくなるのと前後して再び三輪駅まで歩き始めた。来る時は小走りできたけれど、帰りは登りなので、ほぼ歩く。

 昼寝前にパンフレットを見て、あとから思うとさえない句を読んだ。さえないけれど、むかしここが大いににぎわっていたけたけれど、いまはなにもない、田舎の田んぼが広がる中に川が流れている、けれども、だた心の豊かさを感じさせる雰囲気を持っている、それと同じで、(この句は)長谷寺のあの雰囲気が、この発祥の地とどこかでつながっているような気もする、それを感じさせる句でもあるのだ。


初瀬川下って出会う発祥の地



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注:「日本仏教発祥の地」は石碑や見たパンフレットには「仏教伝来の地」と書いてあった。
 桜井市のHPには、
「欽明天皇の時代に百済の聖明王の使節が訪れ、釈迦仏の金剛像一躯と経論若干巻物等を献上し、日本に仏教を最初に伝えたといわれている所」とある。
 しかし釈迦仏の像は、学者である田村圓澄著『仏教伝来と古代日本』の説明では、悟りを開く前の「太子像」ということになっている。
 つまり、悟りを開く以前、まだ出家前、この現実世界に悩む王家の子息、釈迦族のゴータマ・シッダールタが、半跏(か)思惟している像である。

 伝来の地の碑は自分の写真に写っていなかった。電池切れまじかだったので、推測するに、写らなかったようなのだ。海柘榴市のHPからもらってきた。


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posted by superbird at 23:53Comment(0)

『人とともにいる生き物』(190919投稿は28日)

 JR奈良駅に住みついている鳩たち。本屋さんの看板文字の上にいる。

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 桜井駅で乗り換え。いったん外へ出て戻ってくるとき駅の外壁横で見た花。

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 長谷寺巡礼を終え、奈良駅に戻って改札を出てふりかえると、ひっそり目立たないように生の生きたゴムの木の鉢植えがあるのだ。

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奈良駅の観葉ゴムに和むかな




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『きょうは長谷寺に行くことになった』(190919)投稿は9月21日。

 奈良へはきたけれど、どこへ行くかは決めていないので、二日目のきょうの予定を考えなければならない。きのうは歯が痛くなってしまってもう何も考えられないので、きょうは歯が少しよくなったのでどこへ行こうかという感じである。よくなったとはいえ一晩寝て朝なので痛みが少ないだけで、疲れてきたらきのうのようになってきたでは駄目である。

 ホテルで朝ご飯を食べ、部屋に戻ってやはり多少食べたりすると痛いのである。奈良駅周辺というのは東大寺とか春日山とかやはり行きたいところはあるけれど、まずは少し遠くへ行ってみようということになって、地図とか見て少しくつろいでいた。


 けっきょくどうなったかというと、それほど遠くないし、日本最大級の観音様というので長谷寺へ行くことにした。少し部屋で休憩してさていさんで駅へ行って切符を買い、改札を前にして電光掲示板を見ると、次の電車は約30分後だった。一時間に二本くらいあるみたいだ。これじゃあ駄目だな、時間がもったいない、一度ホテルへ戻って寝た。

 再び時刻を合わせ、駅へ行き、約数分前ホームに来て順調に桜井駅を目指した。知っている途中の駅は名前だけだけれど、天理、あとは名古屋ではまずないような名前の駅が次々来て、三輪という駅では大きな鳥居が見え、たくさんの人が下りていった。有名な大神神社というものがあるらしい。

 駅ホームの白い看板みたいのを見ると、その他観光名所案内で、神社仏閣は数ヶ所あるみたいだけれど、一つ一つ名前を見ていく。順々に距離が長くなっていく。これは無理だなと思った。今度きてもいいかと思ったのだ。


 次は桜井駅で、無人駅である。そこから近鉄に乗り換えて、次は長谷寺駅である。近鉄だけで来るよりJRを先に使ったほうが早いし安いのだ。320円プラス210円。

 ゆっくり電車を降り、ホームに立つ。


近鉄の長谷寺駅のホームでは

み~んみんみんみんみ~ん



 いっしょに降りた数人は先に行ってしまい、ホームにはわたし一人。ミンミンゼミのお迎えである。


 駅から十七分ということだ。

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『新横浜から出勤』(190508)

 きょうはいつもどおり、仕事である。いま新横浜のホテルにいるとはいえ、いつもどおり名古屋で仕事である。

 なんかすごいなあ。

チェックアウトいざ出陣のスーツかな



 ホテルの部屋でいつものようにスーツに着替えていると、いつもとちがってサラリーマン戦士になったような気分になった。さすが横浜のビジネスホテルで、エレベーターに乗ってもサラリーマンを多く見かける。そうしたこともあるのだろうか、着替える時の気分がどこか自分じゃないみたい。

 そうだとしても、新横浜から新幹線に乗って1時間半弱(そこから乗り換えて2時間くらいか)、名古屋の学校へ仕事に行く気分は、いつもとちがって高級感がある。

 コントレックス1.5Lを買い、きのうの夜駅構内の何台もある自販機を見学した折、切符を買ったので今朝はさっそうと、新聞を買い(読売一部150円)、すぐ来たのぞみに乗り込んだ。

 新幹線はいまややたら来るので、時刻を気にしなくてもいいし、名古屋まで停車駅もなく、なんて素敵な旅だろう、お客さんもそこそこ少なくて快楽的でもあった。


 時々思う。名古屋の家からじゃなくてこうして新幹線で(横浜から)通えたら、これはいいだろうな、とか。

 もちろん名古屋の家が居心地がよければそんなことも考えなくてすむだろうけれど、心身の健康のことがあるので現実は考えて思ってしまうのだ。


 そうしたどこか俗っぽいけれど、切実でもある願いや思いも、富士山が見えてくるといつのまにか高尚な気分に変容している。

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富士山を見ればやっぱり感動し



富士山を見れば涙がにじむかな




 天気もよくて申し分がない。


 たださっこんの事件を受けてか、快楽にひたっていると、警備の人が男女交互にやたら行き来する。不愉快な気を出してやたら横を通る。そのたびに空気が穢れる。

 快楽的な旅は諦めて、歯を磨きに席を立った。出会うサラリーマンは紳士的であった。これでいい。

 もうすぐ名古屋である。

posted by superbird at 16:20Comment(0)

『予定通り総持寺へ行けた』(190507)

 総持寺を探していく途中、すぐ近くに成願寺という禅寺があった。中に入ってお参りした。小さなお寺だったけれど、たしかにいいお寺だった。

 その先を左折して総持寺へ行った。


 きょうの写真はもう暗いのにもかかわらず、なぜかこれだけがよく映っていた。

 大祖堂。

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(おそらく)また来るだろうな。

 どこか大きすぎて俗化されているところがあると感じたのは、思えば女子高生の無数の行列が建物の中を延々と歩いていたことも大きいのかもしれない。

 学校授戒法要とかいうものをやっていて、功徳を積んでいるので仕方ない。禅寺・曹洞宗の総本山だからこそ(こうしたことも起きること)なのだろう。

 また昼間明るい時に来なさい、ということか。





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posted by superbird at 01:02Comment(0)

『きょうの予定は内房線を南下して土地めぐりをすることだった』(190507)

 新横浜から横浜へ出るのは地下鉄・バス・JRと三つあるようだ。適当にJRで行った。そこから高速バスで行くことにした。アクアラインで行けばショートカットで近くて早いだろう。

 聞いたまま、SOGOの先の階段、Cの階段を上がっていくとそのバス停はあったけれど、30分に一本しかなかった。見ると、5分前に出たばかりか。床掃除のまっただなかで、機械を使うのでいつまでもうるさい。

 運が悪いな。

 自販機で1550円の切符を買い、ベンチでひたすら休む。

 高速バスの旅は快適だった。ただそのあとJRがいけない。

 木更津へ着いて、さっそく少し待って内房線に乗って南下。電車が不都合なほどにやたら停車して、時には20分あまりも停車したりして(君津)、名古屋では考えられないような時間の流れを体験し、じれたホームを歩きながら体操をして、‥‥。


 乗り換えの電車を待つ間に見かけた鳥。

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(きけん!と書いてある)

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 土地とかを見に来たんだけれど、この辺りはいい。

「こっちは伊豆半島よりきりっとしていて緑も多いんじゃないか」
「半島が大きいからな」、
「いいんじゃないかな」と、思ったりして、‥‥。

 電車に乗れば時折、きれいな海をながめ、時折深い緑をながめ、‥‥。

 下車した駅から見た山。

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 駅を降りると急に明るくなって山を照らしている。

 反対側の景色。

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 土地を見に来ると天気が回復することは多いけれど、急に明るくなって気分がいい。


 山を行って見えた観音像。

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 山を登って、(待てよ、電車で)来るときにものすごく時間がかかったので、もう「すぐ戻らないと」という感じで再び駅に向けて走ったりして戻って、なにしろ目前の16時55分の電車に乗らなかったらまた1時間くらい来ない、あわてて(無人だった)駅で入場券みたいのだけを(地元の高校生に聞いて)かなり単純なつくりの自販機で買って、ふつうに良心的にホームに入場。ほっ。

 さっき来た山の向こう側に高校があるみたいで、まわりは高校生ばかりといった感じ。

 木更津まで(途中青柳で8分停車があっただけで)帰りは順調に来て先の入場券みたいのを見せ、電車賃(410円)を払い、あと残り(高速バスまで)3、4分、走ってコンビニで缶コーヒーを100円で買って再び高速バスに乗り、アクアラインで海をながめて瞑想し、横浜駅まで戻ってきた。

 もう暗くなっていた。


 考えていたけれど、土地を買うのはやめだな。

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『千葉へ行くのでまずは新横浜へ行く』(190506)

 世間が十連休とかいうとやはりだれしも頭がおかしくなる。


片隅に夢見る薔薇の花の家



 連休中はどこへも行かなかったので、きょうの夜から授業後遊びに行こうと思った。ところが金山に来てみると、意外や意外、いつものように金券ショップで新幹線の切符は買えないのだった。

 こういうこともあるのか。世間知らずだったというべきかな。自販機で切符は買えるけど使えないのでは仕方がない。

 茫然としながら金山駅前をなんとなく歩いていると、こちらはまっすぐ歩道をそのまま歩いているのに、横から出てきて傲慢に、ふだん見ないような無礼な歩き方をして「どかんっ」とぶつかってきて何もなかったかのように歩いていく若者。きょうは運が悪いな。見ればイヤホンをつけて周囲のことなど我かんせずで歩いていく。そう思っていると、今度は先ほどでもないけれど、かすかに体が当たった程度ではあるけれど、そのもう一人は昼前なのに酔っ払いみたいにふらふらである。いい若者が。

 連休ゆえの不運、彼らにしてみれば、連休ゆえの無知なる唯我独尊というべきであろうか。

 いまは自分も旅行のことがあるので、授業が終わったらどうしようか。何が何でも新横浜まで行かねばである。


 学校へ行くと、生徒は病気で遅刻したり、病気で休みますなんていう連絡がいくつもわたしの元に届いていた。

「だめだな、こいつは」なんて厳しいことを口にしながら、日本はこんなものかなと思う。そして、教壇からは、「世間はまだ連休できょうは連休最後で疲れているでしょうから」と微笑を浮かべて「休むのも悪くはないでしょうけれど」などとお茶を濁す。

「将来この国はぼろぼろになる」というのがわたしの持論である。が一方で若者は、どうやら報道では、右肩下がりよりも日経平均が7000円台の底を脱したあとの時代を生きてきて、景気回復を目にしてきた層が増えてきて、楽観しているようだ。

 この国がよくなることはいいことではあるけれど、「よくなる」と信じる者が増えれば理不尽でも「よくなる」のでそれはそれでいいのだけれど、マイナス金利がいかに不都合なものであるかを知らない無知な若者といえる。

 経済の話は学生たちがいかにいま勉強していい企業に就職して夢のような暮らしを手に入れるかを語ることがあっても、物理や化学の先生なのでしかもきょうは遊びにいくので、いつものように封印し、地道に計算のしかたや、未来の科学の話などをに目を輝かせながら、いまやっている座標平面を使った物体の運動の分析方法や、などなどを説明して、問題をたくさんやってもらって、無事終了した。

 ものすごい雷雨になった。

 講師控え室で紅茶とコーヒーを飲み、自家製パンを食べ、さて雨も止んできたので出かける。はじめは友達の車で近くの駅まで送ってもらおうと軟弱なことを考えたけれど、その人ものすごく早く(三十分以上早く授業を)終わって(実はこういう人が多い)、帰ってしまったので(わたしはほぼ定刻までやるけれど)、ゆっくりにわか雨が止むのを待つしかない。

 新幹線は混んでいたけれど、案ずるよりやすし(なにしろJR CYBER STATIONで見たら指定席はほぼ売り切れ、でも)「ひかり」自由席で座っていった。そして小田原でたくさん降りたので、もう楽ちんだった。十分くらいだったかな。極楽だった。極楽はあっという間に終わった。

 新横浜ははじめてだったので、さっぱりわからない。もうなんかお店がほとんど閉まっているみたいでどうしようもない。

 新横浜は学校から家に帰るより早く着くので、いっそ新横浜に家があって通えたら幸せだな、人生ばら色だなとか思った。(実際は名古屋の家がもう少し心地よくてよく眠れたらそっちのほうが幸せだろうけれど)。

 春休みと秋休みは名古屋を離れて静かで空気のいいところに住みたいな。

 このごろは見ていると、不幸な人と幸せな人が両極端である。それは団地の人を見ていてもそう思うし、ある一人の人が何かをきっかけにして振れることもまたよく目にする。

「禍福はあざなえる縄のごとし」のひとつの現れだろうか。

 

幸せは禍福を編んだ太き縄

という仏によく出会うなり









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『仏舎利塔からは平和が広がっている(お絵描き)』(190314)

 仏舎利塔で少し寝て、富士山の絶景スポットまで戻って絵を描きに行く。なんだか体がだるいので、ゆっくり歩いていく。手提げ袋に入っているのは絵の道具、スマホ、それくらいなもので、あとはカメラとかメモとかも携帯しているけれど、重いのだ。

 中国人たちは富士山が見えているときにやってきたグループはもう大はしゃぎで、童心に返ったみたい。しょうがない人たちだなあ。

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 わたしはどこで絵を描こうかと考えながら、この前はどこだったかな、この辺で描いたんだったっけとか、以前書いた斜面を探したりする。

 中国人観光客の邪魔をしてはいけないし、スマホでずうっと動画を撮っている人もいるし、何となく新聞紙をひいて座って描き始める。適当になにげなく絵の具を出して溶いて薄めて描いていく。

 富士山が雲に隠れてしまうと中国人観光客のグループはとても静かである。はしゃげて幸せなグループもあれば、静かに観光をして帰っていくグループもある。後者の人たちの中にはわたしの絵を見ていく人がいる。

 わたしの絵の写真を撮って満足していく人たちもいる。名刺でも作っておけばよかったかな。などとあとで思った。

 わたしが絵を描いていくところを見ていくのは自由である。画面に太陽の影(わたしの頭とか)ができている時には、わたしはあえて立って後ろに下がり、ちゃんと絵がきれいに撮れるように配慮する。

 どことなく(中国人が)満足し、感謝して帰っていくのが分かる。

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富士山や世界平和の祈りかな



 帰り道、境内には法華経に出てくる菩薩の灯篭が立っていて、一つ一つ名前を口に出して唱えていく。それらは宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の最後に出てくる、

南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

 というのとそっくりである。

 参拝の道にはもっとたくさんあって、一つ一つ唱えていく、すると観音菩薩の像が左手に見えたので、そっちにも参拝していく。延命十句観音経の大きな石碑が立っている。

 その先に、観音菩薩像が立っておられる。

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 これはいわゆる山門なのだろう。

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御殿場の日本山妙法寺

平和祈願の山の中かな



posted by superbird at 18:13Comment(0)