『昼の散歩』(200707)

 九州の方では豪雨がすごいらしい。

 散歩に出かけるけれど、雨は中途半端でそれほどでもない。

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 タイサンボクが咲いている。

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 梅雨の間はタイサンボクの花は咲き続ける。


梅雨空に泰山木が咲いて居り



 起きてからのすぐのせいもあるけれど、それだけではない、体の重さ。


 休むことなく歩いていく坂道。このごろキノコが大きくなった。

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 またあった大きなキノコ。

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 休憩。

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 とりあえず人に邪魔されず、カラスは元気に鳴いているけれど、一人静かにすごせたといえる。二時間近くもいたので、幸せな時間だったといえる。人間は一つひどいことがあれば、どこかでその埋め合わせをするように幸せな時間があるようだ。

 どこかで功徳を積めばどこかでその果報がいやでも訪ねてくるようなことも同じだろうか。

 
 さいきんキクラゲは食べすぎたし、クサギはなくなったし、このごろはキク科のヨメナとか背高泡立ち草とかも食べているけれど‥‥。

 雨が多いので、キノコ類はすごくなっている。


山菜を探して帰る散歩かな




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 これはもちろん食べる気にはなれない。

 
posted by superbird at 16:01Comment(0)散歩

『水曜日の仕事は無事終わった』(200701)

 仕事前の散歩

 きょうの空は雲が多い。

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 きょうは化学ばかりの一日だった。基礎的なことだけれど、計算は小学生レベルでも、大学レベルの奥行きのある知識をたくさん生徒たちに伝えた。おそらくたとえ遠隔授業でも、先生が熱心に一途に(チャットがメインだけれど)授業をすれば、それなりに伝わるものがあるはずだろうと。

 自己満足かもしれないけれど、仕事が終わって後悔のないときは、気分がまあ軽やかではある。

 いつものブランチは仕事前につくっておいて、バナナヨーグルトとクルミだけ食べておいたので、仕事の後は残りのカボチャスープ(みたいなもの)に自家製のパンだけである。

 ほとんど食べずに4時間半(休憩が間に二回あるので4時間50分)、さすがに今日も食欲がないのでやはり散歩に行く。

 タイサンボクは健在だ。

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 ゆっくり写真を撮って、それからその先の足もとに咲くレンゲも見て行く。

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 ピンク色を帯びたレンゲ草にも目をやる。

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仕事して夕焼け空に花があり



posted by superbird at 03:28Comment(0)散歩

『きょうは仕事が三つあったけれど救われた感じもある』(200629)

 仕事前の散歩。

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 近所のおばあさんに出会った。
「お出かけですか?」というと、
「ちょっとそこまでマッサージに行ってきます」という。
「そうですか」とわたし、「この前足を骨折されていたんで(心配してたんですが)、治ったんですね」
「ええ。これからマッサージ屋さんでリハビリです」という。
「そうですか」
「暑いですね」とあいさつされた。
「ええ。きょうは日が照ると暑くなるそうですね。31度の予想でしたよ」

 おばあさんは元気に歩いて行かれた。常に明るく生きておられる姿は大したものである。尊敬に値するのではなかろうか。数々の不幸があって、あの方は苦労が多いことはわかっている。それなのに、いやそれだからこそ明るく生きるすべを学んできたのであろう。

 でも骨折は怖いな、と骨折をしたお年寄りに出会うと思う。


 ブランチの山菜を探しながら行く。仕事なのでゆっくりは歩いていけないのだけれど、公園の中を見ると、若い人が平日なのにとても多いのが不思議である。さいきんは年寄はあまり歩いていない。いわゆるいい若い者が平日の昼前に仕事もせず、たくさん散歩している。その光景は新型コロナによる社会変化の表れといっていいのか?

 わたしは非常勤でしかももう引退してもいいような年だし、仕事が午後からでも(ありがたいことに)十分年の割に働いているといえる。どうしていい若い者が、この時間に働かず散歩などしていられるのか。テレワークでも遊んでいられる時間はそんなにないんであって、不思議である。

 これって国にとっても本人らにとってもけっこうしんどいんじゃなかろうか?


 順調に三つ仕事を終えた。

 仕事を終えて、やはり食事前の散歩が必要だった。食欲がない。

 歩いていてふと思ったのは、たとえ事務方(上の人)にとっては評価が悪くても、自分は生徒に対してできることはしっかりやっているのだ。思えばきょうもあれだけたくさんの生徒から授業が終わるたびに感謝されている。

 わたしの評価が悪いというより、政治闘争のようなことが大学内にあって、上の人(トップ)が変わったら扱いが一変したということの方が正しいのではないか? 客観的に見ると、そう思えるのだけれど(真実は知らない)‥。

 わたしだけでもないけれど、同期で採用された人、同じ高校から採用された人、言うべきではないだろうけれど、――まあ、これで一番うまくいっているので、結果的にわたしは感謝している。すべての人に感謝していれば(知らぬが仏的)間違いがないといえる。

「自分でおかした悪が自らを汚す。
 悪をおかさないならば、自らが清まる。」

 という原始仏典の言葉があるけれど、この「悪」がまるでいろいろに姿を変えて(現代人の)心を汚している。悪とは口にする食べ物もそうなりうるし、口にする言葉もそうなりうる、想念もそうなりうる。欲望の結果あるいは知識の結果、いろいろな姿になって心を汚してしまうのだ。


 何気ない足元の花を見て行く。

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 タイサンボクもまだ花が健在だ。

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 散歩帰りにはだれも見向きのしないような花をたくさんつけた雑木の花を見て行く。

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 アルボムッレ・スマナサーラという仏教徒の方が、
「人間はご飯のように口に入れて食べるものだけで生きているのではなく、心の栄養で生きている」というようなことをおっしゃっていたけれど、どうやらきょうは心の栄養で元気である。

 そうでなかったら通勤地獄がないので徐々にサプリをやめたこともあるかもしれない。(五木寛之さんも「ああいうのはなんか好きじゃない」とおっしゃっていた)

 食事もテレワークに合わせて変えてきたのと、体質改善を心掛けて半年以上かな、(大学の先生になってから特に時間がなくて食事がひどかったのを)、ようやく体の何かが変わってきた気もする。

 例えば、
「何年もファーストフードを食べていた人がベジタリアンになっても二か月や三か月で体質が変わるわけではない」という。

 ファーストフードなんてめったに食べなかったけれど、惣菜とか、売っているお弁当とかはどうしてもけっこう長く口にしていたので、食品添加物とかなにか、ジャンクフード的ではあるので、体をもとのように戻すには、長いことかかるのである。


花を見て心豊かになる日暮れ




posted by superbird at 02:35Comment(0)散歩

『まだ慣れないテレワーク』(200624)

 きょうは仕事が三つある日なので、散歩は早足で行く。

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 空はまあまあだけれど、雲が覆いかぶさってくるような面もある。

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 4時間半、しっかりテレワークをしたといえる。

 仕事でもずっと家にいるので、途中、簡易書留の郵便物を受け取ることができたのはありがたい。

 いっぽう押し売りも来るけれど、
「いまテレワークだから」というと部屋の中を見て帰っていくのである。


 コーヒーを休憩で二杯飲んだら、胃がむかつくようになってしまった。

 コーヒーというのはゆっくり楽しみながら飲むべきで、仕事で神経を使っている合間に飲んではいけないのだ。何も飲まずにひたすら仕事をするのが正解だな。と思ったけれど、4時間半も何も飲まずにぶっ続けというのはきついのではないか?とも考えた。

 多少肩も凝ったけれど、慣れてきた面もあるので、パソコンに向かってマウスを動かし、淡々とキーボードを打っている自分がいる。

 胃のむかつきがあるので、終わったら散歩に出かける。

 日が傾き、雲が増えたようである。花がきれいなのは、薄曇りからの光がちょうどやさしく地上を照らしているからであろう。

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薄雲の日暮れに閉じる花の



 そのまま足の向くまま、タイサンボクの花を見に行く。

 近くの花を見て早めに帰ってご飯を食べるのだ。考えてみたらまだ起きてから一度もご飯を食べていないのだ。

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仕事して人を避けてく食事前





注:美(い)しは古語である。
 よい。 けなげだ。殊勝だ。などいろいろ意味はあるけれど、(蛇足ながらあえて言えば)けっきょくは「美しく、よい」というべき可憐な姿に感動したということでいいのである。

posted by superbird at 02:33Comment(0)散歩

『また急に暑くなった』(200623)

 散歩に出かけて、かなり行ってからリュックがないことに気づいた。どうしよう。しばし悩んでやはり取りに帰ることにした。

 まるで二往復という感じの散歩の工程である。休憩したものの、きゅうに暑いので、ばてたといえる。人もいないのは暑いせいであろう。草刈りが始まったのでうるさくて神経にさわる。

 ほとんど草なんて伸びていないのに、初夏以降二回目で、こういうのを税金の無駄というのであるけれど、悪いことをしている人や組織に対して文句を言う人、抗議をする人がいなくなったわが日本の社会といえる。

 まあ抗議や文句を言っても全く動かない、改善しないのが今の社会や人間ということもできるのであろうけれど。そういう弱者(税金を取られる低所得者や悪人にいつまでも痛めつけられている弱者)を無視して、のうのうと暮らしている特権階級や悪人たちは、必ずいずれどこかでしっぺ返しをくらって再起不能の底に突き落とされる、というのが因果応報、「良いことをすればよい人生が、悪いことをすれば悪い人生が」(とりあえず知っているところでは道元和尚も言っているという)仏の教えである。

 休憩していてそんなことを考えたわけではないけれど、散歩帰りのキノコ。なにげなく足元に出てきているのは救いでもある。キノコというのはたしかに真摯にけなげに生きている。

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暑くなり散歩帰りの茸かな



posted by superbird at 02:40Comment(0)散歩

『やはり疲れるのだった』(200617)

 きょうは三つコマがあるので、何とか楽にやりたいと思う。朝の散歩は何て晴れやかな空だろう。

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 そんなには疲れていない散歩である。


 仕事は中間試験が最後にあって、きょうは楽かなと思ったら、最後ものすごく忙しくなった。答案用紙をメールで送ってもらうのだけれど、「ちゃんと着いたOK」ということを一人一人の生徒に通知する作業をした。これはわたしの判断で行った。なぜなら今までの課題とかの提出で、送ったのに着いていないとか、(何度言っても生徒が)違うアドレス(遠隔のアプリ内のメールが重かったり開けなかったりするのだ!)に送ってしまってアクセスできないとか、来たけれど見れないとか、いろいろ問題があったので、
「もし生徒が送ってくれていてもダメだったら困るであろう」という判断である。なにしろ中間試験だからな。

 それでへとへとになってしまった。

 仕事が終わってご飯の準備と思ったけれどやはりまず散歩することにした。

 きょうの空も悪くない。

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仕事の日空が優しく見えており



posted by superbird at 02:29Comment(0)散歩

『シジュウカラが最初に聞こえる夜明け前の散歩』(200614夜明け前)

 このごろ夜明け前に、最初に聞こえてくるのはシジュウカラである。歩いていくと一羽で鳴いている。昼間とか夕方とちがって力強く切れがある声で鳴いている。

 高いところで鳴いている。昼間や夕方のように長くない。短いのだ。

 わたしは少しでも寝るために早々いつものようにここでUターン、シジュウカラはいいなあと、家に帰る。



夜明前の四十雀はツピッツツピッツ






注:ムクドリたちは遠いところでたくさんで鳴いている。

posted by superbird at 16:13Comment(0)散歩

『きょうは親愛なるツバメがやって来た』(200611夜明け前)

 夜明け前、散歩から帰ってくると、一羽のツバメがエレベーターホールで舞うように飛んでいた。どこからともなくやって来て、ひらひらとゆっくり旋回するように舞っていた。

 見ていると、昼間のように俊敏に逃げるようなそぶりも見せず、しばらく舞って逆に目の前で、とまってみせた。一羽のツバメが姿勢を正して横向きにとまっている。心に留まるものがある。

 鳥の目は(両目で物体を見る)人間とちがって片側で見るので、わたしはツバメの正面にいるのと同じである。


夜明前の燕がゆっくりゆっくりと

散歩帰りのホールに舞っており



posted by superbird at 16:30Comment(0)散歩

『きょうの散歩は中途半端な雨だったけれど』(200611)

 きょうは仕事があるので、それほど散歩に時間があるわけではない。しかも中途半端な雨が降っているので、どのコースで行こうかと悩んだりもする。上り坂を行く。どんどん行く。えらいなあ。寝れていないので疲れている。

 休憩で寝たいと思う。草刈りの音が小さいけれど聞こえてくるのでゆっくりはできない。

 そういえば梅雨入りだった。時折強く降ったり小降りになったり。人が来ないのがありがたい。すぐ近くで鳴いていたカラスもいなくなった。

 ムラサキシキブの花はこの時期だったのかな。たくさん咲いている。

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梅雨入の紫式部の花があり



posted by superbird at 04:03Comment(0)散歩

『散歩の空』(200609)

 きょうは仕事休みで、明日は仕事である。

 散歩の空。

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 このごろ休憩していると、鳥がやって来る。この前は頭の上の方でしばらく「がさごそ、がさごそ」枯葉を動かし何かしているし、キツツキがやたらたくさん「こんこん」やっていたり、きのうは、足の先の方に集団で灰色の小さな鳥が飛び回りながら囀っていたり、別の日には知らぬ間に体にさわったりする。

 きょうも胸に乗っかって行ったりして驚いて飛び起きた。

 きょう散歩帰りに歩いていると、木の切り株の上に鳥の巣がのっかっていた。何気なく顔を近づけてみると、
「これはすごいな!」なにしろ巣の材料がいわゆるポリエチレンのひものくずみたいなものでできているのだ。内装は自然のもののようだけれど、外側(外装)はポリエチレンの糸くずという「どこか近代的なつくり」になっているのだ。

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 散歩帰りの空。

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休憩に鳥の世界も寄ってくる


posted by superbird at 02:44Comment(0)散歩

『人はできるだけなにもしないのが一番いい』(200608)

 散歩の空。

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 散歩の休憩は眠ったりするとあっさり仕事の時間になっていて驚いたりするので、眠らないようにすると、今度は予定より早く帰ることになった。これはこれでいいのだ。家で仕事前にゆっくりできる。

 世の中いらんことを言う人が多いので、極力人と会わないように、喋らないようにしていく。また人に見られても、それだけで病気になるんじゃないかとさえ思うこともある。

 人の目は邪眼という言葉もあるけれど、名古屋には多い。

 散歩帰りの花。

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 この花はたくさん咲いているけれど、土地にあっているのだろう。人が切らなければ次々と成長して、まるで花だらけである。


 昨年ここのこの花は心無い別の団地の人にすっかり切られてしまい、その切った人(すぐ近くの団地の人がおせっかいでやったことなのだ)はおそらく団地の人に怒られたのだろう、あちこちでやっていた草刈もやめて、こうしてたくさんの花がまた咲くようになったのだ。

 とにかくいらんことをしたり、いらんことを言う人がさいきんやたら多い気がする。

 すなわち、いらんことをする人がやたら多いから何も悪いことをしていないわたしのようなものが、やたらいらんことを言われたりするのであろうか、などと気づくのである。悪いことをしている人はいるのに、そういう人はやたら言い訳ばかり理屈をこねてしかも近寄りがたい雰囲気を出し、人はなかなか言いづらいようである。いっぽう、わたしなどはしゃべりかけやすい感じなのか、軽く見られているのか、やたら何か言ってくるのである。

 この辺は製造業が中心で(なにしろ44年間連続製造業出荷額日本一である)、テレワークもあまりなく、裏道を行くショートカットの車が前のようにまたすごく増え、雰囲気が金儲けでそわそわし、人の目つきが悪く、わたしのようないい大人がのんびりフラフラしているのは、すっかり見かけなくなった。


遠隔に浮世離れの風情ふぜいかな



posted by superbird at 02:03Comment(0)散歩

『外を歩くと嫌な思いをすること』(200607)

 きょうの散歩で気づいたのは、世間の大人(親)たちは完全にふつうに戻ったなということだった。昼の散歩で歩いていくと、向うから小学生1~2年くらいの男の子を連れた男親が歩いてきた。わたしはすれ違わなければならないので、左端に思いっきり寄った。男親は全くよけずむしろこっちへ寄ってきた。

 わたしは左へ道を外れて土の、落ち葉の積もったようなところへ入って歩いていく、子供はかなり向うへ寄っていく(これは殊勝である)。親と離れてまで(わたしと)ぶつからないように寄っていく(自分の親がわたしとぶつからないように配慮しているのだ)、にもかかわらず、わたしとすれ違わなければならない親の方はわたしの方へ寄ってくるので、わたしは道ではないところを歩きながらたまたまあった上の木の枝にぶつからないように首をかしげてようやくすれ違うというありさまだった。

 少しして振り返ると、二人は道の真ん中を歩いている。(もっと早く真ん中を歩け!)なんなんだあれは、と思ったけれど。

 そうか、名古屋の経済活動は少し前、数日くらいか十日前くらいか、完全に元に戻ったのだろうな、疲れ果てて元気のあるわたしに寄ってくるのだ。自分のことすら意識できないような人非人みたいな心である。

 道路の車の走り方や量も完全に前のようだしな。あるいは新たな位相に入ってサラリーマンはほとほと性根を失ってしまった緊張が解けた日曜日なのだな、などと半分は同情もしたのだ。(あれは病気といえる。)


病人のサラリーマンが日曜日




 きょうの空はのんびりしていた。

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 散歩帰りの空。

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posted by superbird at 02:32Comment(0)散歩

『夜明け前の散歩』(200606夜明け前)

 どうやら急いで何かしているといつの間にか(きっとストレスがすごくなって)あちこちが痛むようになる。時間がないのでさっと散歩に行って帰ってこようとしたのがいけなかったといえる。



急ぐほどお腹が痛み笑いヨガ




posted by superbird at 02:52Comment(0)散歩

『きょうの散歩は暑かった』(200605)

 散歩に行く。空を見るとこれは暑くなりそう。

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 キクラゲを少し採取してさらに歩いていく。

 なにしろきょうは人がいない。暑くなるときは新型コロナで云々というときよりも明らかに人が来ないのだ。(名古屋の最高気温の予想は32度)

 人のいない道にはこういうものがよくある。クモ(?)の糸から釣り下がった何かの葉っぱ。でもこれは珍しい葉なので写真に撮っておく。
 
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 休憩していると薄曇りでもものすごく暑い。人が来ないだけのことはある。

 きょうは仕事がないけれど、カボチャとしょうがは絶対買いたいし、バナナもあと一本しかないし、そういえば自治会費や税金(地方税)の支払いのためにお金も下ろさないといけないし、とにかく早く食事の準備をして、食べて休んですぐ買い物に行かなければならない。

 ふつうの人はこういうことをふつうにやっているのだろうけれど、なぜかこのごろ急に忙しくなったような雰囲気というか気分になってせわしない感じがする。これはもしや世間が(経済の再開に向けて)再起動しているからかもしれない。

 パソコンでも再起動するときはエネルギーをたくさん使う。それと同じでみんな位相の変化を体験するような忙しさの中にいるのかもしれない。 

 とにかくゆっくりしていられないのだ。これが不思議。

 暑い中に咲いている涼しげな白い花。

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暑くなり人影絶えた昼下がり



posted by superbird at 21:15Comment(0)散歩