『さっこんの事件を見て』(190622)

 他人の迷惑を無視する社会の中で傷つく人たちが、自分を見失ったときに目覚めるのは、他者へ向けて「死ね」という感情である。目覚める感情は自分ではなく、悪魔であったり神であったりする。

 アメリカはどうだろうか。銃による大量無差別殺人がしばしば日本でも報道されているけれど。



注:例えば、2019年6月17日の 大阪府吹田市の拳銃強奪事件。「私のやったことではありません」と逮捕された男がいっているのは正しい。
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『きょうは仕事が休みで気が緩んだかもしれない』(181130金曜)

 年をとると無理は禁物である。精神力は強くなるかもしれないけれど、それがあだとなっていつしか体を酷使していることがある。先日(3日)の同窓会でも、親しかった友人がいつのまにか亡くなっていた。そのお兄さんもなくなっていた。共に良くしてもらった人たちだ。

 ほかにも、
「酒はヤバイ」という友がいた。「倒れて気づいたら二日たっていて、退院になっていて、治療費を請求された」と言う。
 彼は笑っていたけれど、怖い話ではなかろうか。

 怖い話といえば、仏教徒はけっこう迫害されているのではなかろうか。この国の仏教も、例外ではなく、明治期の廃仏毀釈(発端は「神仏分離令」(原田伊織氏の話)という)でひどい目にあっている。

 ついさいきん奈良興福寺の多川俊映さんの「私の履歴書」を読んでいろいろ分かった。知らないことがたくさんあるもので、境内もなくなってしまったお寺もあったという。

「ここは昔お寺があったんじゃなかろうか」と常々思っている場所があったので、「やはりそうか」と。

 興福寺はまだ境内があるし、仏像もあるのでいいほうだけれど、それでも、原田伊織さんの話では、
「二千体以上の仏像が破壊されたり、焼かれたりし、経典は町方で包装紙として使われ、五重塔は二十五円(一説には十円)で売りに出された」という。

 こんなことがあるのか!?

 またいっぽう、きのう気になったのは、
「神仏習合という思想は実は古くから日本仏教にあった(多川俊映さんの「私の履歴書」)」ということだった。「奈良仏教、平安仏教の時代から神仏習合がみられる」という。

 仏教に親しみを感じるわたしにとって、これは少し安心する話だった。


 さて昨今この国は無宗教ともいわれ、いっぽうで、建て前上この国は仏教国であり、また同時にハロウィーンが盛況であったり、神道への復古のような言論もあって、歴史を顧みず素直に見ると、まるでよく分からない国でもあるようだけれど、通勤で巷を歩けば、やはりこの国はほとんど無宗教という印象を受けてしまう。

 たとえ宗教心のあるこころ豊かな人がいても、一割二割の心無い人がいれば、そこはもう無宗教の世界になってしまうのではなかろうか。アメリカがキリスト教の国であっても、彼の国で起きる銃の乱射事件のような事件を見聞きすれば、キリスト教の精神はまるでかりそめ、無残で冷酷な国と映ってしまう。

 とりとめもないことをきょうは書いた。だけど平和な国はどこかにあるにちがいない。


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『純粋なボランティアを見た』(180825)

 尾畠さんは65歳になったら自分の好きなことをしようと決めて、店をたたんでボランティア人生になった。尾畠さんの人生を読むと、案外人は皆自分の好きなことができないで生きているのだなと思った。

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ボランティア人生の尾畠さんのこと

読めばいつしか勇気づけられ



 貯金なし、年金月五万五千円。軽自動車を13年乗り続け、健康保険証は11年間使っていない。大きな病気は40歳ころの腸捻転かなと。

 オオバコ、ドクダミ、ヨモギ、タンポポ……、といった野草を集め、茹でて酢醤油で食べ。ボランティア中の主食は、持ち運びに便利なパックご飯とインスタントラーメンです。ご飯は3パックで198円。ラーメンは5パックで158円。

 パックご飯は温めるとガス代がかかるのでそのまま食べ。おかずなんていりません。梅干しがあれば十分。寝泊まりするのは軽ワゴン車の後部座席。軽自動車の走行距離は約20万㎞。故障したことは一度もなし。

 生まれは1939年。78歳と8ヵ月。大分の自宅にいるときは毎日8㎞ほどジョギング。健康の最大の秘訣は「とにかく体にいいものを食べる」。

 おいしいものはいらない。楽しみは甘酒、肉も魚も食べますよ。



注:参考週刊現代。

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『きょう新聞を見て思ったこと』(180816)

 きのうは終戦記念日で、村山元首相はインタビューで、
「戦争は狂った人間がすること。国全体が狂う」(中日新聞)と述べていた。

 ふと経済を見渡すと、世界中が何らかの戦争をし、それによって、
「国全体が狂っている」といえなくもない現実を思った。

 同時に、村山元首相の戦争体験を読むと、時代とともに、甘くなっているのだな、経済戦争の被害は人と人が殺しあう悲劇と比べると、甘いものになっているのだなという印象を受けた。

 銃や焼夷弾、原爆の被害にあった人たちの悲劇は口では表現できないものだし、村山元首相の若き日のまさに生死の境を生きてきたインタビューを読めば、いまのわたしたちや若者の経済戦争の結果の鬱々とした苦悩は、どうしても甘いなという印象になってしまう。

 しかしこうも言える、戦争には急性のものと慢性のものがあり、前者はまさに戦争、後者は経済戦争によく当てはまる。

 ただ見えて来たことは、どちらも国や官僚が引き起こしたものであることは時代が違っても同じということだった



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『暑い時は重要な決断をしないほうがいい』(180815)

 暑すぎるととかく人は、我を忘れて、
 心に浮かんだ自分じゃない思いのままに行動してしまう。

 暑すぎると人は
 この暑さの中の面倒臭さを切り離そうと、
 短絡的に行動してしまう。

 暑すぎて面倒くさくなって
 考える知性が隠されてしまう。

暑さかな心に出でしとらわれて

無謀なことをする人がおり




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『老いてなお世界に功徳を積むことを忘れて夢を追う老人が増えた』(171211)

 人はただ生きていくだけで無数の人や生き物たちのお世話になっている。通勤で乗る電車の席は昼近くになっても満員である。人はただ生きているだけで無数の命のおかげで成り立っている。

 暇人はただ生きていくだけでは満たされず、生きること以上の過剰な欲を持たされている。きょうは八十過ぎの年寄りが満員電車に乗ってきて、足を開いて座って、見たこともないような大きな原稿用紙をファイルから取り出し、新聞紙のような広げて、推敲なのかを始めた。両隣の人を肘で突付きながら。

 暇な老人は夢を実現しようとしている。そこでは生きること以上に新たに無数の人や生き物たちのお世話を強要している。夢が人を傷つけ、無知な老人は地獄へ近づいていく。ただ生きていくだけの無数の見ず知らずの人たちを苦しめてまで。地獄を引き寄せながら、八十過ぎの気力も失せたような老人は、眠りの中で夢を追いかけている。ただ生きていくだけでお世話になっている無数の生き物たちの恩を忘れて。

 老いてなお世界に功徳を積むことを忘れて夢を追う老人が増えた。



神さまの恩に報いて救済の

功徳があれば天国も見え




注:これは老人だけに当てはまるのではなく、時代の風潮で、老若男女に見られる、地獄を引き寄せる人たちと社会が一つになった時代の風潮である。
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『授業をするとき時々思うことでもある』(170628)

 通勤で金山駅に着いて休憩のために歩いていく。そのとき思ったこと。

 人間は、自然科学にかこつけて宇宙を、
「ああだこうだ」と嘘を言う。

 それだけじゃない。


人間はああだこうだとないものを

あるとみなして生きているかな


 物質の基本粒子原子は人間の妄想である。


人間は宇宙宇宙と嘘をつき


人間は宇宙とはなどと嘘をつき

かくある宇宙を作り出すかな




注:「物質の基本粒子は原子である」という前提に立てば、不完全ではあるけれど、多くの事実が説明できるし、予測できるし、その妄想によって多くの利益があることも事実である。しかしながらそのいっぽうで、人間はその結果多くの苦しみを得ていることもまた事実である。

 西洋では古くからの表現で言えば、宇宙はコスモスとユニバースという二つの表現がある。
「宇宙(ユニバース)とはもともとラテン語のuniversusで、これは向き合うものが一つになること」である。いっぽう「宇宙(コスモス)は秩序だったもの」という意味であるけれど、universusの「向き合うものが一つになること」は仏教的である。

 自然科学をあたかも宗教のように崇拝する現代では、まるで宇宙というものに対してたくさんの表現(描写)がある。それは科学的な理屈の上に出来上がってきたもので、仏教の目指す仏陀の境地とは異なるものである。


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『昆虫の一寸の虫にも五分の魂はまるで人間のためにある言葉である』(170603)

 日本では毎年100万人くらいの子供が生まれてくる。そして毎年130万人くらい死んでいく。つまり大雑把に言うと、毎年100万人生まれてきて、100万人死んでいくのだ。日本の人口はいま1億2673万人(H29年5月)、仮に1億人としてみると約1%。

 1%ということは100人に1人である。1クラス50人のクラスが2つあれば毎年1人死んで行くことになる。

 毎年130万人といえば、名古屋(約230万人)の半分以上が1年で死んでいなくなることになる。

 こうして大量に死んでいっても全体の数はほとんど変わらないので、そのことはほとんど気づかないともいえる。

 こうして人間の生まれ死んでいく数をながめると、まるで昆虫などが大量に生まれそして死んでいくさまにも重なって見えてくる。

 1億の人口からながめると、100万人の命はまるで「一寸の虫にも五分の魂」の世界である。

 人間の貴さは、昆虫の命の貴さである。


年百万の生死の数を眺めれば

虫の命の貴さが見え



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『謙虚に生きることは幸せに生きること』(160724)

 知らないということは恐ろしいことである。

 知らないがゆえに他人に迷惑をかけ、
 罪を犯すことにもなりかねない。

 だから謙虚さが大切である。

 謙虚であれば、不幸を招くリスクを
 減らすことになるからである。


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