『観音やするりとかわして救済し』(200216)

 昨夜寝床で臨済録を読んだ。さっと本を手に取り、読みかけだったところに入っているしおりを頼りに開いて、数分ばかり。

 臨済が弟子に対して、小気味よく説教(示教より)をする場面である。

「ほおっ」
(歌にしてメモしておいた)。


聖を愛し凡を憎んで浮き沈み

無心で臨済するりと一発



 すなわち聖凡にとらわれているとよくないわけだけれど、(いまあるそういうとらわれた自分の心の)理解を深めようと、と考えると無心はいいけれど。

 はたしていまの社会で。むかしから無心でいるとひどい目に合うお坊さんの逸話があるのもまた事実である。

 さらに言えば、これでは聖凡(聖を愛し凡を憎んで)があるから、「するりと一発」悟りの境地があらわれる。すなわちもちろん目の前にいる聖凡にとらわれた弟子を悟りに導くための方便である。


 ところがはたしていまの社会で、というところでもう一度(実は今朝)考えると、聖凡一如という境地もあるのである。(次のように)。


観音や聖凡一如でするりかな





posted by superbird at 20:15Comment(0)宗教