『天国では人は一人孤独を楽しんでいる』(210115)

 ある映画のセリフに、

「砂漠に30年もいたら預言者になれるさ」

 という言葉がある。

 現代日本社会でいえば、

「他人と関わらず30年も一人で暮らしていたら仙人ぐらいにはなれるさ」

 といってもいい。


 将来の人間社会は、過疎化が進み、いっぽうでIT化が進み、

 子供はいなくなり、

 人は人と関わらずに暮らすことになるだろう。

 その時地上は天国になっている。



 散歩の空。

 きょうは快晴だった。

210115sanposora1kaiseikita.jpg


 近くのアパートの壁を見ると、ミノムシがぶら下がっていた。

210115sanpotikakunoapartminomusi1.jpg


 いつのまにここにきたのかは定かではない。

 もう一匹すぐ横にぶら下がっている。

210115sanpotikakunoapartminomusi2.jpg


 近くの団地の南側では薄いクリーム色のバラの花が咲いていた。

 地面にはりつくように咲いていた。

210115sanpomitinohana.jpg


 すぐその先では、ハトたちが食事中だった。

210115sanpomitinohato.jpg



 散歩帰りの空。

210115sanposora2.jpg


210115sanposora3.jpg




天国では人はそれぞれ平穏に

活き活きと孤独を楽しんでいる



posted by superbird at 01:02Comment(0)宗教

『観音やするりとかわして救済し』(200216)

 昨夜寝床で臨済録を読んだ。さっと本を手に取り、読みかけだったところに入っているしおりを頼りに開いて、数分ばかり。

 臨済が弟子に対して、小気味よく説教(示教より)をする場面である。

「ほおっ」
(歌にしてメモしておいた)。


聖を愛し凡を憎んで浮き沈み

無心で臨済するりと一発



 すなわち聖凡にとらわれているとよくないわけだけれど、(いまあるそういうとらわれた自分の心の)理解を深めようと、と考えると無心はいいけれど。

 はたしていまの社会で。むかしから無心でいるとひどい目に合うお坊さんの逸話があるのもまた事実である。

 さらに言えば、これでは聖凡(聖を愛し凡を憎んで)があるから、「するりと一発」悟りの境地があらわれる。すなわちもちろん目の前にいる聖凡にとらわれた弟子を悟りに導くための方便である。


 ところがはたしていまの社会で、というところでもう一度(実は今朝)考えると、聖凡一如という境地もあるのである。(次のように)。


観音や聖凡一如でするりかな





posted by superbird at 20:15Comment(0)宗教