『きょうの空』(190811)

 散歩帰りの空(東)。

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 外出しようとして諦めた空。ゆうちょ銀行のATMがきょうは5時でおしまいなのだ。

 母親への還暦(だったか?)のプレゼントを吟味しながらサギみたいなHPに嫌気がさしたりしながら、それでも汗をかきながら、蒸し風呂みたいな暑さに耐えつつ、一時間くらいもかかったろうか、クレジットの番号を入れて、ようやく着替えて外出して空を見て、
「だめだな」と、自分のショウガとかクルミの買い物へ行く予定が狂ってしまったのだ。

 よくこうなるけれど、うちは親子がまったくちがう人間で、親子の仲がむかしから悪いので、世間並みのことをしようとすると、ほとほといやになる。

 (よく母親は「(実家へは)帰ってこなくていい」というのでおそらく向こうも似たようなことを考えているのだろう。あえて逆の見方をすれば、わたしの体の負担を考えて「帰ってこなくていい」といっているという解釈もできるけれど、ほとほといやになるのだ。そういえばきょうは帰省のピークだそうだ。)

 親のことを考えると腹が立ってうまくいかないというのは、社会のことを考えると腹が立ってうまくいかないというのに似ているような気がする。


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 子供が親のことを考えていると自分の事がうまくいかなくなる、ということは一般論としてあるのではないかと思う。とくにさいきんのように時間に追われている社会では輪をかけて。

 何もしないで地域のことや親などのことを考えていて幸せに生きていけるというのは、社会の変化が緩慢であったころの話であって、むやみやたらと社会も自分の仕事のことも変化するこの時代は、あまりにも時間がないのだ。

 前からそういうことはいわれていたけれど、さいきんはそれがすごすぎる。社会が身勝手なせいでおそらくみんなが身勝手なことをして、それを受け入れるのが当たり前みたいになっているようにも見える。

 身近な暮らしにおいても、きょうもわたしの部屋の玄関ドアを同じ階の子連れの母親が通りがけに叩いて行ったのには腹が立った。

「人の玄関ドアを叩くなよ!いいかわかったな!」と外出してからしばらくなんども口ずさんでようやくおさまったけれど、すれ違いざまにわざと咳をしたり、そういう身勝手なことを平気でする人間が名古屋には極端に多く、さいきんは、
「またか」とか、
「そんなものさ」と諦め、まるで「これがふつう」と思えるほどなのだ。

 団地の雰囲気もこの何年かで急に悪くなった。社会が悪くなったのと関係あるだろうな。ところが若い人は過去を知らずこれがふつうなので、過去を知っていると年寄りの何とかと批判されるので、誰にもいわないのが平和である。


 さて社会と親のことに話を戻せば、親の強欲が子供の将来を不幸にするということもあるだろうし、社会の強欲でいえば、いま庶民の学習コストなどさまざまな、負担するコストは極端に増加している。それらは社会の発展GDPのなかにどのように組み込まれているのか。


 時間がないということは(税金などを除いても見えないところで)お金の負担も増加しているということである。

 インターネットをしていても、ブラウザのキャッシュ、ネットサーフィン中に組み込まれるウイルス様のプログラムは、閲覧履歴を勝手に収集しているけれど、その通信はわたしたちの負担である。負担もそして勝手に収集するためにネットが遅くなって時間を奪われるコストも負担させられている。

 世界でも屈指の低速といわれる日本のネット環境で、それはないだろうと。

 あちこちのレジの無人化でも、お客はその使い方を学習しなければならないし、それではたして便利になったかといえば答えはノーである。なぜならそれはお店の都合であって消費者目線の無人化ではないからである。

 タッチパネルは遅く、人間が応対したほうがずっと早い、お客はキカイの都合に合わせなければならず、商品のバーコードを読み取らせたり、さまざまなことに確認などをしながらお金を払ったりクレジット決済したりする。

 アマゾンのシアトルなどの無人店舗とはまったくちがう種類のものである。

 お客のコストを増やし店の利益を優先しているので、じっさいはものすごい値上げである。おそらく人件費の抑制というものをお客に転嫁しているのである。


 現役世代が仕事をしながら将来のことを考え、かつ幸せに生き抜くのは至難のことである。わたしたちはふつう幸せを追いかける時、社会のことを常に目にしながら考えるからである。

 仏教が出家するのは真の幸福を得るためである。大乗仏教が在家でもって妻帯も認め、幸福を得ることを目指すけれど、実際はどうだろうか。日本においても幸せといえば、キリスト教の天国を目指すのなら、まあうまくすればありうるだろう。

 現役世代が働きながら将来の幸せを求めるのは盲目、日銀の出口戦略がないのと同じ、先がないのだから、働く中で幸福を得るしかないだろう。政府日銀が目指すインフレと、増えることのない年金暮らしでは、仕事が終った年齢になったら人生はほとんど終わりという社会設計、時代になっている。




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『ぎらぎらと儚い夢が闊歩してまともな人の肩身は狭く』(190731)


家計債務の可処分所得比を眺めれば

儚い夢のばかり目につき



 新興国の家計債務の可処分所得比は130%とか日本のバブル期並という。それはまずいでしょう。
 いっぽう日本だって、明日が見えない中で100%を越えているのだから、他国のことはいえない。

 若い人達が借金でいろんなことをしているのだ。欲望に目がくらんで明日が見えないのではないか?
 住宅や車のローンが大きいという。

 家計債務の可処分所得比とは借金が大きいということだけれど、
 大きいのは個人の家計だけじゃなくて、企業だって国だって同じである。

 リーマンショックで企業は借金に慎重だったけれど、さいきん急に社債とか発行しだした。


 Ai革命とか自動運転とか、5Gとか、いまは確かに産業革命なのかもしれないけれど、
 誰かが目を覚まして船を下りたら、あんがい産業革命でお金儲けできるのは
 ごく一部だったなんていうことにもなりかねない。

 後は莫大な借金が残って国も個人も立ち行かなくなった、なんていうことにならないようにしなければと、
 おそらく日銀も頭を痛めていることだろう。

 ところがまともな出口戦略がないのが一般の見方なのだ。
 そこで身勝手な思想が巷に溢れて、社会は不安定になってしまうのだ。

 何しろ借金で経済成長をというけれど、借金に見合った利益が得られなければ、
 まじめに働いてもひたすら苦しみばかりが増えて、やけっぱちになってしまうかもしれないのだ。

 たとえばローンで家を買った、
 年間のすべての借金返済額は所得(年収から税金などを引いたお金)を上回っている。

 家の価値は下がった、車もポンコツになってきた、所得は増えない。
 これで楽しく幸せに生きていけるだろうか?


『景気が悪くなるのは当たり前の貧困』(190731)


インフレで貧しき者のばかり増え


 毎年のようにべースアップ何%とかいわれ社会人は豊かになったとしても、買い物に行けば貧しい人ばかりという印象である。

 高いものは売れず、西友のシシャモは値上がりしたらその後しばらくして突然物がなくなったし、もやしばかりはよく売れ、魚は新鮮で内臓のついたものが消え、あるいはごくわずか、安物で不味い魚がたくさん並び、値下げの札がつくと、待ってました以上の飛び込みでその品を奪い、買い物をすれば時々目を見張る光景に出くわす。

 本屋さんでは立ち読みの常連客が必ずいる。買い物のカートを持ってきて、その上に本を置いて、真剣に立ち読みする人(元学校の先生という雰囲気)もいる。毎日必ず来て何時間も読んでいる。

 人の流れていく光景は、大人も小さな子供にしても昔にはなかった悪臭を放っている。

 また親が子供とともに万引きをしたり、また大人の教育がなっていないのは、親がいても子供を監視せず、他人のかごの中の商品を自分のかごに入れてしまっているのに親が気づかなかったり。

 同一労働同一賃金が施行される来年、聞けば、(愛知県の)学校の非常勤の先生の給料は、時給換算1.5倍になるというけれど、いろいろな手当てがなくなり、2020年から実質値下がりするそうだ。

 これで消費税が上がるのでは‥‥。


国難の民の姿の哀れかな


『万引きも巧妙でいたちごっこなのだろうか』(190727)

 きょうの晩ご飯は198円のそこそこ新鮮な魚(つばす)。あと納豆45円(?)も買った。しかし日本も貧しくなったなと思うような出来事にまた出くわした。


万引きを今日も目にするイオンかな


 きょうは小さな男の子をだしにして、万引きをするという父と子供の二人組だった。やり方が巧妙なので、じっと見つめていないと監視カメラではわからないだろう。


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『大学の図書館に古い雑誌(中央公論)を見て気づいたこと』(190725)

 大学の図書館に古い雑誌(中央公論)が廃棄処分になっていて見ると驚く。表紙のコピーが、「まるでいまの社会問題と同じ」なのだ。

 けっきょく人間はいまもむかしも同じ課題に直面しながら解決できないでいるのだ。

 2008年の中央公論、およそ十年余り前ということになる。6月号(雑誌の記事の題名)「食の危機があなたを襲う」、1月号「医療崩壊の行方」、4月号「いま隣にある貧困」など

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『天国は自然の空気や水がたった一人の世界にあふれ』(190717)

 きょうは地下鉄駅でトイレに入ったら、びっくり、大便が散乱していて、使い物にならなかった。「こりゃあ駄目だな」とショックを受けた。(これで立て続けに二回目だな。)

 なにせ床はもちろん洗面台にも付けて(?)あったのだ。あちこちあるので足の踏み場にも苦労する始末だった。臭うし。無理だな。ひどいな。

 こういう行為が続くということは何を意味しているのかな?
 さっこんよく言われる、たしかに、
「(他)人が苦しむのを見て快感をおぼえる」という人が増えているかなと。

 むかしは、
「人が喜ぶのを見て自分も喜ぶ」というのがあったけれど、さいきんは社会がそして人間が変わり、ということであろう。

 おそらく化学物質とか薬のまんえんで体内汚染が深刻になって、さまざまなホルモンも異常になっているのだろうけれど、
「他者を苦しめることによって快感をおぼえる」という、ある種畜生、すなわち、問答無用の弱肉強食の、弱いものいじめを善とする存在と同列なのかなとも思う。

 畜生の世界は、ふつう弱いものを殺して食べて生き抜くということがあるからだ。人間社会は本音と建前で、建前上は、いろいろいいことを言っているけれど、社会を見れば、そんなことは言ってられなくて、本音ではたしかにいま弱肉強食がまかり通っている。知的に姑息に闇の中みたいに、ブラックボックスのまんえんする暮らしの中で、そういう傾向が増していると思う。

 だからホルモンの異常と手を組んで、腹いせじゃないけれど、不特定多数の人が使うトイレというものを使えなくして喜んでしまうという。
「他者を苦しめることによって快感をおぼえるので」という行動になってしまうのだろう。

 人間の理性や知性を失ったある種畜生になってしまっているような人なのかな?と思う。
(ちなみに関係あるのかどうか、愛知県の一人当たりの借金は東京の二倍だという。)

 きのうは自分の上着が大学に着いたら女の化粧品のにおいがきついので人と話すのが恥ずかしく、辟易とした。もちろん名鉄のシートから付いてきたのだ。「洗濯」と思ったけれど職場で洗濯するわけにもいかないし‥‥。

 種の絶滅が叫ばれ、生物の多様性が失われとか危惧されるけれど、一番の問題は人間が心身の正常さを失って知性もないがしろにされ、真実正しい環境保護なんて、経済の原理によって無視されているからであろう。

 よく動植物がどんどん絶滅していって人間だけになってしまうという人もいるけれど、じっさいは、正常な人間というのはあんがいもうかなりいなくなって、ただ不自然な心身異常な人間(人非人)が増えてきているような気がしないでもない。



人間もレッドリストに見えており



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『大国の大統領は大言壮語』(190628)

 プーチン大統領は、G20で日本にきていて、FTのインタビューで、欧米の自由主義の結果問題化した移民問題について、
「移民は移民として保護される権利を有するがゆえに、刑罰なしに殺人や略奪、性的暴行ができる」と指摘している(日経新聞にはこれしか書いてない)。

 いっぽうトランプ大統領は、(同じ日経紙で)欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁を高く評価し、
「(アメリカの)FRBの議長に据えるべきだ」といっている。

 同じ日の(日経別ページの紙面)に、岸本葉子さんのエッセイがあって、
「パンツに求める条件は年々厳しくなっている」という。

 これが笑わずにいられるだろうか?しかしあんがい真実をついているのかもしれないのだ。



注:FRBとは日本語で「連邦準備理事会」といい、日本の日銀と同じような役割を担っている。中央銀行制度の最高意思決定機関である。

 プーチン氏のいいたいことは、自由主義は「何もしないことを前提にしている」からだめだということのようである。「移民であるがゆえに、(SUPERBIRDが追加『アメリカの例でもお巡りさんから比較的自由だし』)、殺人略奪、レイプをしても野放しにされている。」ようである。「犯罪はすべて罰せられなければならない」と。これは当たり前ではなかろうか?

 こうしてみるとトランプ氏の移民政策(たとえばメキシコとの間の壁とか)は間違っていないのである。

 岸本さんの、「パンツ」というのは下着のことかと思ったら、そうではなくて、スラックスとかジーンズのようなものだった。そしてあまり細かいことをいうと、なにがなんだか分からなくなってしまうのである。

 


大国の大統領は大言壮語

でもそれはもしや正しいのかも





『年中風邪が流行っている現実はシビアである』(190522)

 風邪ひきが多い。自分も今朝(散歩から帰って)二回目の大のとき、下痢をしていたので驚いた。

 学校では部屋で一番偉い人が咳のしづめで、わたしの教える部屋は風下なのでとても気分が悪い。

 授業が終わったらすかさずキャンパスへ出て外の空気を吸う。気温差が大きいのでみんな対応できないのだろう。

 わたしの場合きのうの晩ご飯のシイラの刺身がいけなかったのだと思う。今朝の散歩で気功して体が熱くなってとりあえず夜眠れないという悪条件をいつものように克服したと感じたのだ。それでも感染して下痢しているなんて‥‥。

 放課を待って学習支援の部屋から退散。しかし講師控え室は行けばめちゃくちゃに空気がこもっている。ウイルスの天国で。年寄りが多いのはよくない。わたしよりシビアにじっと耐えている先生が二人もいる。ここも退散である。そうだロッカーに保管してある濃い有機栽培の緑茶を熱いお湯で出して持っていく。

 キャンパスの木の下で休憩である。体の節々がめちゃくちゃに痛い。

 あと六分くらいある。ひたすら耐えるのみ。思わずベンチに横になってしまう。

 次の学習支援が終るとまた、同じことを繰り返した。濃い緑茶を耐えるように飲む。次の5限目の授業をなんとしてもしっかりやり終えなければならない。来週は中間試験である。



『慈善行為が悪徳とみなされることもある格差社会』(190511)


格差かな慈善行為が悪徳と

人の心に響く悲しみ



 フランスのノートルダム寺院が火災にあって再建に向けた寄付が富裕層を中心にして我も我もというように集まった。

 いっぽうでそれを見て、
「深刻な貧困・格差問題は放置されているのに寺院再建には富豪から莫大な寄付が集まる」という事実に腹を立て「黄色いベスト」による暴動が過激化したという。

「不平等が拡大する時代に善をなす人々は恵まれた層である。寄付によってそれをアピールする行為は我々を傷つけ怒りを買う行為だぞ」ということであるらしい。

 むかしわたしも夜間定時制高校で教えていたとき、なにげない一言が彼ら生徒の心を傷つけ怒りを買ったことがあった。わたしも無知な一教師だったのだ。

 しかしこうしてみると、恐ろしい世の中になっちゃったなと、悲観するより(乗り越えて)笑うしかない。


『きょうも金山で休憩した』(190411)

 世の中のルールというのは、判断に苦しむようなことが多い。お客さん以外の人、ある種の支配者、お店の人の決定することがしゃくし定規に適用されると、明らかに不健康だったりする。

 名鉄やバスの窓の開閉もそうだけれど、窓を開けることとかが、大学の教室も時折そうなるし、社会的に一律に禁止される風潮になってるような気がする。

 ほんの、サッシとサッシが接触して、1mmmも開けてもない程度の窓であっても、
「開けるな!」と言ってくる(張り紙をしに来ていた)のはどうかなと思う。

(きょうのネットカフェでそうだった)

 神経質に過ぎるのではないだろうか。まあ都会の姿であろう。

 他山の石、他人の振りを見て我が振り直せとしておこう。


 そういえば少し前よく目についた、
「よい子はここで遊ばない」という川辺などで見かけた表示もそうだな。

 何が本当のところ正しいのか、過ぎたるは及ばざるが如し、とも言える禁止事項が身近に溢れれば、良識ある素直な青少年は、そしてひいては庶民は善悪の判断がおざなりになり、便乗的に禁止事項を突きつけてくるやからも現れ、社会も個人も健全なまっとうな生き方とはが理解できなくなっているのではないか。それがひいては社会モラル崩壊の一因ではないか。

 自由というのは不自由なことに気付くことによってわかる。社会モラル崩壊は不自由な人たちの集積の結果といえるかもしれない。すなわち社会モラルの崩壊は不健康な人たちをたくさん生み出す。そして不健康な人たちというのは不自由な人たちといえるのかもしれないのだ。



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『ネット社会は誰しもサラリーマンの悲哀を知る』(190304)

 確定申告の申告分離課税で、住民税の申告不要を選択し、そのための書類を区役所へもらいに行った。分かっている人がはじめいなかったりして、要領を得ないのはもう慣れているけれど、本当に申告した所得が住民税の方へ反映しないのか質問しても、ネット上で調べた2つ以上の税理士の言っていることとちがうので、疑心暗鬼である。

 速攻で家に引き返してきて、今度は高速バスの予約を入れた。

 さくねんより値段が高いので、不信感を持ち、値上げしたのか?とおもって調べたけれどそうではない。うっとうしい。お金を使って電話したら、聞けばやはり値上げはなかった。

 わたしは、原因は、
「往復の予約を入れたら往復にならずあるべきWEB往復割引が適用されなかった」ことだと判断した。しかし先方電話ではそうは言わなかった。往復がないというのだ。

 電話を切ってから調べたけれど、たしかにネットでは往復割引があるという印になっている。それにさくねんはこれで上手くいって今回より安い。憤慨である。

 わたしたち消費者は中間管理職である。ネットが間違いを犯しても、それをお金を使って電話で問い合わせても要領を得ない。鬱屈した気分になる。サラリーマンの悲哀に似たものがある。

 案外ネットというのは間違いが多いのだ。便利なようで時間ばかり取られ、こちらの思うようにならず、ストレスがたまる。

 先日の京都への旅行でも、深草のバス停が廃止といっておきながら、ちゃんとあったりして。つまりやたら間違いがあるので、消費者はツケばかり払わされて、わりをくうはめになる。

 こんなときは夜風にあたって星を見たり体操したりして、人間社会のことを忘れるのが一番。



日が暮れてサラリーマンの悲哀かな

ちらと夜空に星のまたたき


『身体を破壊する化学物質というのは毒なので始めはふつう眠れなくなる』(190302)

 柔軟剤の香料にしても洗剤の界面活性剤にしても抗菌剤にしても、身体に悪いのは明らかで、それを使っている人は眠りが浅くなるし、寝巻やシーツなどににおいがついていれば眠れなくなる。

 しかし一般に低所得者ほどそうした化学物質をたよるようにすがるように使っている。いまを生きるためのカンフル剤という意味で使っているのだろうか。

 カンフル剤というのはけっして永続的に使えるものではなく、短期的な利益のためにあるのであって、神様からもらった永遠につながる命という観点からすれば自殺行為だということを知るべきである。

 身体を破壊する化学物質ということを一刻も早く認識すべきである。彼らはいまの快楽だけを見ているので、化学物質にたいする無知が原因とはいえ、結果的に将来の希望とか夢とかをみずから破壊しているのである。

 眠れないということは死のリスクを高めるということも、すでにここでも何度も書いてきた。



蟻地獄かな抗菌剤や香料を

カンフル剤に低所得者は



『心の貧しさは知性の低下を招く』(190215)

 きょう来た分配金の支払い計算書をながめながら、株の配当金(REITの分配金と同じ税率)が20.315%税金で引かれても、不愉快になりそうなところをいつもは、
「これもお国のため、国民のためになっているんだ、わたしのような低所得者が20.315%!こんなにたくさん社会に貢献しているんだ」と思えば笑って納得し満足もできるものであるけれど、きょうはいつもとちがって、現実は誰のためになっているのか、国が作る姑息な税制のもと底辺を見つめて将来を考えて辛苦する自分の境遇からすると、すなおにお国のためにと納得できないことは悲しいことである。

 政府官僚のしてることは当然国の存亡に関わることだけれど、さっこんの統計の不正にしても、嘆かわしいことが目に余るのではないかと、わたしも新聞などを見て感化されたのか学習し、統計の重要性に気づかされ、統計の不正、統計に携わる者のモラルのなさ、人間の心の貧困を思わずにはいられず、最後には大いに笑ってしまったのだった。


税金はお国のためと思えども

国がああではと笑うことになり





注:姑息な税制というのは、地方税との関係を含め、複雑でなにが得なのか損なのかわからないからである。低所得者に税理士を雇う金銭的な余裕はないし、素人が何年確定申告していても、税制がけっこう変わるし、正しく対応できず、やってみたものの損をしていたなんていうことがあとから分かることが多い。

 損をしても修正申告をあとからする時間的な余裕もまた働いている庶民にはふつうわたしでなくてもないだろうし、姑息なことをしているというのが素直な感想になってしまうのだ。

 税制というのは高卒程度の誰でもが分かるように単純にするべきである。

『とらわれのない自由な空がうらやましい』(190208)

 先だってePUBファイルにしておいた『タイムマシンを買った』というSF掌編小説集を、きょうamazon-kindleで出しておいた。

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 特に感動はない。

 それよりも、きょうたまたま自治会の会長さんと話していて分かったことが悩ましい。

 団地の「10時過ぎ洗濯禁止」というルールを守らない人に対して自治会関係者の人が、まともに行動しない、他の関係者に何か言ってはくれるものの、(これは確かに情報の共有という面では一つの大きな成果ではあるけれど)誰も直接掲示板に張り紙するなり、ルールを守らず毎日のように夜11時半過ぎや早朝4時代に洗濯をして周囲の人を苦しめる当事者に口頭注意するなりをしてくれてなかったことが一つの悩みである。

 さかのぼればもう昨年の秋以前からこうした悪しき事実は関係者に伝えてあるのに。自治会関係者が団塊ジュニア世代になったこともルールが守られない、悪く言えば人に迷惑をかけてもいい自由でいいじゃないかというような無意識的な行動原理になっていることが大きいと思われる。

 きょう日経新聞の春秋という欄に、『太平洋海戦史』という著書を取り上げ、先の太平洋戦争での戦争を指導した政治家や軍人の「無為、無策、無感覚」によって、「強情、軽率、油断および怯懦( きょうだ)が災害を招いた実情は山ほど」と書いてあった。

 残酷で悲惨な言葉にできない敗戦は、けっきょく政治家や軍人の「無為、無策、無感覚」が大きな原因でもあったのだ。なるほどまことにこの人間社会というものは、新聞などでさっこんの社会情勢を見ていても、身近な団地暮らしをしていても、責任を持つべき人が無責任で「無為、無策、無感覚」であることを感じてしまうこのごろである。

 ひるがえって考えればさっこんの人間の無意識的な行動原理とは、社会的な「無為、無策、無感覚」ではないだろうか。

 人間が物事を真剣に考えていないことは明白である。それが日本の現実である。少なくともさいきんよくそうしたことが目につくような気がする。考えてみれば格差社会の進行とも関係があるのだろうか。格差社会では、上位1%とか2%とか国によっては5%とかの富裕層が、社会の富を独占しているとかいう話もあるけれど、当然の成り行きであるとも言える。

 だいたいにおいていいか悪いかは別にしてとりあえず法の下、世間の中で、長年にわたって富を築き上げてきた富裕層というのは、まっとうに努力してしかも社会に貢献してきた方々だと思うからである。

 そういう富裕層に向かって、「無為、無策、無感覚」な庶民はいわば外野であって、言うべき中身はたとえまともであったとしても、野次以外のナニモノでもないであろう。


空を見れば遠く御嶽山が見えており


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『洗剤メーカーは相変わらず悪役』(190129)


次々と新手の技で環境を

人を蝕む洗剤メーカーがおり


 金儲けのために消費者に訴える洗剤メーカー。
 
 殺虫剤ともいえる洗剤、消臭効果をうたう抗菌剤。
 
 悪魔の香料に加えて、
 汚れが従来の2.5倍も落ちると、
 誇らしげに新たな界面活性剤を開発し、
 環境破壊、健康被害を拡大させる。

 自然環境を破壊し、
 人の体を蝕んで金儲けをするメーカーが、
 大手を振るって社会を闊歩している。




『世の中はいつまでも悪いことが続くわけじゃないと信じたいかなと』(190111)

 常々世の中は変わったな悪くなったなと思う機会が増えたけれど、団塊ジュニアとかが社会の中心になって社会を作っているので諦めだったけれど、案外(その親である)団塊世代の偉い人たちの中にはそれをよしとしていない方々もおられることがわかった。

 先日は週刊誌を読むと、経済学者の野口悠紀雄さんも猛烈にいろいろ書いておられた。不満が鬱積しているのがよく分かった。

 こういう知性のある方の発言は、いわゆる、
「年寄りのなにがし」という捨て台詞では片付けられない問題提起といえる。



諦めの「そんなもん」の世もよく見れば

偉い人らも苦言を呈し